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せと恋~瀬戸内の夕陽がつなぐ島の恋~  作者: 一番星キラリ@受賞作続刊7/1発売:商業ノベル&漫画化進行中


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8/29

もしも

 チュン、チュン。


 スズメの声が聞こえ、清々しく目覚める。

 二日連続で飲んでいるのに。

 レモンサワーでたっぷりビタミンCを摂っているから?

 二日酔いもなく、今朝も元気に起きることができた。

 しかも昨日と違い、朝6時前。


 東京で律子と飲む時は、赤ワインのフルボディといったずっしり重めのお酒を、こってりな肉料理と共に飲むことが多かった。飲んで食べている時はいいのだけど、翌日になると胃にくる。でも昨晩はゴーヤの天ぷら、アジの刺身もあったし、肉以外のエビや貝もBBQの食材として登場した。ナスやピーマンもたっぷり食べた。しかも素材の旨味がしっかりしているので、こてこてのタレではなく、岩塩をぱらっとふりかけたり、レモンを絞ったり、オリーブオイルを垂らすだけで、美味しくいただけた。だからなのか。


(本当に健康的で元気なんだよね、私!)


 そのまま鼻歌混じりで部屋を出て、顔を洗うために洗面所へ行き、引き戸をガラッと開けると――。


 もうそれはエロさより、芸術作品を見た心持ち。ギリシャ神話の神々をモチーフにした、裸体に近い石像を見たときの心境に近い。


 上腕の筋肉、胸筋に腹筋、そして背筋に至るまで、実に美しいのだ。日々、鍛えた証がそこにあり、贅肉はなく、引き締まっている。この完璧なる上半身裸の肉体美の持ち主は――。


「波野さん……!」

「あ、ごめんなさい!」


 タオルで顔を拭いていた波野さんがすぐにシャツを羽織った。その様子を見て、私も慌てて正しい反応をする。


「失礼しました! ノックもせず、開けてしまい……」

「いえ、ここは白石さんも滞在する友坂さんの家なのですから。むしろ一昨日に続き、今日も泊めてもらった俺が部外者で……勝手に洗面所を使い、鍵も……あ、鍵はなかったです」

「鍵がないのならなおのこと私が声をかければよかったです。……友坂夫妻のどちらかが使っている可能性もあったのですから……。本当に失礼しました」

「そんな白石さんは謝る必要はなく。むしろお見苦しいものを……ごめんなさい」


 そう言って波野さんがもう一度謝罪するので、私は訂正する。


「波野さんの肉体はお見事だったと思います!」

「!」

「おそらく何かスポーツをされていますよね? 筋肉の付き具合が完璧でした。正直……見惚れてしまいました」

「……すごい正直ですね、白石さん。いわゆる筋肉フェチ、ですか?」

「そ、そーゆうわけでは! た、ただ、その、仕事で、イケメン肉体美特集を書いた時、さんざん上半身裸のイケメンの写真を見たので……」

「裸の写真をさんざん見たのですか!?」

「ち、違います! いや、違いません! は、裸ではなく、上半身だけです! 上半身裸!」

「白石さんの口から“裸”なんて言葉が連呼されると思いませんでした。……もう一度見ます? 俺の()?」


 上目遣いの大きな黒目のスッキリした瞳で見られ、しかもその手はシャツのボタンを外している。そんなのを見せられたら――。


「白石さん!」


 波野さんが私の首を押さえ、顎を持ち上げる。


(え、やっぱりいきなりキス!?)


「鼻血が出ていますよ!」


 ◇


 少年漫画のお決まりは、思春期男子が鼻血を出す。

 決して女性キャラは鼻血なんて出さない。


(どうして私が鼻血を出しているのよ……!)


 私はソファで横になり、氷で鼻を冷やし、その間に波野さんは……一人で朝食の用意を進めてくれているのだ……!


 トン、トン、トンとリズミカルな音が聞こえ、波野さんの手慣れている様子が伝わってくる。ボウルに菜箸が当たる音、ガスをつけるカチッという音。さらに魚の焼ける香ばしい匂いも漂い始める。


(あ、やばい。波野さん、料理男子だ。料理もできる人……!)


 昨日行ったスーパーには惣菜が充実しており、イートインコーナーもあった。それに港の近くには多くはないが飲食店があり、料理が苦手でも何とかなる。でも肉類は高いが、魚介は安い……というか、知り合いの知り合い経由でただ手に入ることも多いという。野菜も同じ。畑をやっている人がくれる。


(そうなると自然に男子一人暮らしでも自炊するようになるのね……)


 移住して一年未満とはいうが、それで十分、料理男子になったのだろう。


(それにしてもどうして波野さんは東京を離れることにしたのかしら? 現在の仕事はAIに関わるものだと言っていた。業務委託で複数企業と契約しているらしく、リモートでできるから、ここでもやっていけるみたいだけど……)


 何というか昨日会った移住者、元々の地元民も含め、距離の取り方が絶妙だった。なぜ移住したのかは、本人から説明しない限り、詮索をしないのだ。だから私に「なんで東京から中島へ来たの?」と問うことはない。問わない代わりで「中島でやりたいことや困ったことがあったら相談してね」としか言わない。


(だから私、手痛い失恋をして中島に来たんです――なんてここに来てから誰にも打ち明けていない)


 そこで気が付く。私は今この瞬間まで、西園寺さんのことを忘れていた。


(一度も……一度も思い出さなかった。中島に着く前は、いろいろな瞬間に思い出していたのに……!)


 心の痛みなんて、そう簡単に癒えないと思っていた。


(間違いない。これは……波野さんに会ったからだ……!)


 イケメンで優しくて親切な素敵男子の波野さんに、完全に気持ちが持ってかれている。


(しかも波野さん、確かに中島(ここ)でも人気だった。でも移住者は既婚者が多く、夫婦二人、もしくは家族が多い。単身の移住者は男性が多く、昨日会った中に女性一人の移住者はいなかった。そして昨晩会った島民の女性は、既婚者ばかり。つまり波野さんと接点がありそうな島の若い女性は100%既婚者で、あとはおばちゃんやおばあちゃん。高校生と中学生がいたが、それは論外。つまり波野さんの恋人になりうる女性はいない……!)


 東京で波野さんと出会っていたら、100%の確率で彼女がいたと思うのだ。彼女がいなくてもライバルがうじゃうじゃいる。でもここでは――。


(いや、待って。遠距離恋愛している彼女がいる可能性は……? 移住を決め、いきなりついて来いは難しいと思う。彼女だって仕事とかあるだろう。波野さんが移住して間もなく一年。彼女はいろいろ身の回りを整頓し、波野さんと暮らす算段を整えたところだったりしない……?)


 もしも、もしも、だ。


 私が波野さんの彼女だったとして、彼が中島に移住すると言い出したら、別れるか?


(別れないと思う。波野さんのような男性とは二度と付き合えない気がする。そもそも波野さんのような顔も性格も肉体も最高の男性なんて、そうはいないと思うのだ。遠距離でもいいから続ける。別れるという選択肢はない。追いかける、絶対!)


 まさにそう思った時、氷嚢を持つ私の手に、優しく触れる手がある。これにはもう、盛大にドキッとしてしまう。


「白石さん、どうですか? 鼻血は落ち着きましたか? 朝食も用意できたのですが、食べられそうですか?」


 優しく問われ、私は泣きそうになる。


(ああ、波野さん、いい! 優しい! 癒される!)


 やっぱりこんなイイ男がフリーのはずがない。遠距離恋愛している彼女がいるに違いない――そう思い、深呼吸をする。


(煩悩退散。嘘つき男のことを忘れさせてくれた。それだけで十分。波野さんは親切な隣人。よこしまな気持ちは持たない!)


「いろいろとお騒がせしました。そして氷嚢を用意してくれたり、朝食も準備くださり、ありがとうございます。鼻血の方はもう止まりました!」


お読みいただき、ありがとうございます!

まさかのあずさが鼻血を出している件~

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