ガツンと来る
――「大好きです、白石さん!」
にわかには信じられない言葉であり、その意味が……わからなくなっていた。ダイスキって……ダイスキって……と言葉のゲシュタルト崩壊が起きてしまう。
そんな私に波野さんは「ごめんなさい。せっかく夕陽を見に来たのに。それどころではなくなりましたよね。10月に改めて案内します」と言ったが、こくこくと頷くのが精一杯だった。そうしているうちに日没が終わり、ブルーアワーに入った。
「この辺りは街灯も少なく、完全に暮れると車でも怖く感じると思うので、港へ戻りましょう」
波野さんの提案に従い、車の助手席にちょこんと座る。ゆっくり車を発進させると、放心状態の私を気遣うように、波野さんが静かに語り出した。
「最初に白石さんを見かけた時は……『あ、こんな綺麗な女性が一人で、中島に何の用だろう?』と思いました」
サラリと口にされた一言に、心臓がドキッとする。
(え、波野さん、雑草のような私を見て、綺麗だと思ってくれたの!?)
ドキドキし始める私の横で、波野さんは運転を続けながら、話も続ける。
「白石さんはそのとき、窓の方を気にするように見ていたから、『夕陽を見に来たのかな』とすぐに気づきました。そうしたら……いつの間にか声をかけていたんです。普段の俺は、船で夕陽を見ようとしている人がいても、特に女性には声をかけません。変に誤解されても困るので……。でも白石さんは違いました。もう、その時点で一目惚れだったのかもしれませんね」
柔らかく微笑む波野さんを見て「ああ、推しはどなたかと恋に落ちたらしい」と、俯瞰した気持ちになる。まだゲシュタルト崩壊は続いていた。
「まさかそのきっかけが俺と同じ写真を見たから……これには驚きでした。驚き、親近感を覚えましたよ。自分と同じ感性の人に興味を持つ――自然な心の動きですよね。『この人と一緒に夕陽を見たら、感動を分かち合えるな』って。だって東京からわざわざ一人で中島まで来ているんですよ? 余程ですよね、いくら知り合いがいても。厳島神社のある宮島、アートで有名な直島なんかに比べたら、中島は観光地として、そこまで有名な島ではないですから」
そこで思い出し笑いをしたらしい波野さんの表情は、限りなく優しい。
「初対面以降の白石さんは……いつも俺の想像の斜め上をいっていて、ぐいぐい心を鷲掴みにしていく。洗面所のハプニングでは、悲鳴を上げて廊下に飛び出すかと思ったら、じっと見つめてくるし。おかげで俺が恥ずかしくなりましたよ! しかも10キロのお米を担いで、あの坂道だらけの道を炎天下に歩くなんて無茶をするし、かと思えば思春期の男子のように鼻血を出してぶっ倒れたり。もう目が離せないですし、その無自覚な天然さで、俺の懐にぐいぐい入ってくるんですよ! ……たまらないですよね? 何度もハラハラドキドキさせられ、でもその笑顔を見たら……。すごく可愛い……。気づいたら俺は白石さんに夢中です!」
私にムチュウ? ムチュウ……。ムチュウ……。
「どこか破天荒なところもありますけど、白石さんって底なしで優しいですよね。友坂夫妻がゾーンに入っても、文句など言わず、仕方ないと許してしまう寛大さ。懐の大きさ。そんな姿を見たら、俺がどうにかしてあげたい!――そう心から思えました」
そこで車はゆっくり駐車場へ向かった。
姫ヶ浜海水浴場に行った後、波野さんが連れて来てくれた、ミートソースが美味しくてラグジュアリーでお洒落なあのお店に、再び来ていた!
「今回の旅では圧倒的に和食が多かったので、久々に洋食です」
「いいと思います!」
店内に入ると、カウンター席に横並びで座り、メニューを開く。
「カルボナーラピザとか、どうですか?」
「食べたいです!」
「シーズンパスタは……中島レモンとサンマのオイルパスタ。秋を思わせるメニューですね。まだまだ残暑ですが」
「レモンでさっぱり、サンマで秋の気配。いいと思います!」
「あとは野菜をいくつか。よし。注文しましょう。……お酒は? 白石さん、心ここにあらずだから、一杯ガツンとくるものを飲んだ方がいいんじゃないですか?」
「え、でも」
「中島のレモンを使ったレモン・ドロップ。リクエストすれば作ってくれると思います。甘酸っぱくて白石さんが好きだと思います」
「……中島のレモンを使ったお酒なら……では一杯だけ」
こうして注文を終えると、「さて」と波野さんは言ってから、私を見る。横並びで座っているので、波野さんが近い……! その吸い込まれそうな黒目の大きな瞳に、ドキドキしてしまう。
「俺はかなり早い段階で白石さんに夢中になったと話しました。そして今回の旅行で絶対に気持ちを伝えたい……そう思うようになったのには、理由があります」
そこでテーブルに乗せた自身の腕に体重をのせ、少し前傾姿勢になり、私の顔を上目遣いで覗き込むようにして、波野さんが話を続ける。私はその整った顔で覗き込まれるような状態に、鼓動が激しくなってしまう。
「なぜ中島へ来ることにしたのか。白石さんが竹原で話してくれましたよね。過去の恋愛についてとやかく言うつもりはなく、ただ嬉しかったんです」
「……嬉しかった?」
「そうです。秘めておきたいはずの胸の痛みを、出会って間もない俺に打ち明けてくれたこと。信頼されているのかなって、とても嬉しく感じました」
そこでレモン・ドロップとジンジャーエールが到着した。それぞれグラスを持つと、波野さんが音頭をとってくれる。
「それでは旅が無事終わったことに、乾杯」
「乾杯!」
レモンの爽快な香りを感じながら、一口飲むと……。
確かにガツンと目が覚める。
酸っぱいけれど甘く、癖になる味わい!
「白石さん」
「はい!」
「さっき俺、結構いいこと言ったと思うのですが、ちゃんと聞いていました?」
「!」
「……今の一口でガツンと来て、ようやく覚醒できたみたいなので、改めて伝えます」
テーブルにのせていた私の手に、波野さんの手がそっと触れた。
「こういうふうに触れられるの、嫌ではないですか?」
「嫌なわけがないです! 波野さんは私の推しですから……って、あ!」
その瞬間、波野さんの手に力がこもる。
ぎゅっと手を握られ、胸がキュンと熱くなってしまう。
「推し……ということは、俺を好き――そう理解していいんですよね?」
「……それは……!」
「俺は白石さんが好きです」
「!」
「大好きですよ」
「あ、あ、あ」
ぽすっと波野さんの手が私の頭にのせられ、「落ち着いてください、白石さん」と言い、そのまま――。波野さんの胸の方に抱き寄せられ、目の前のお酒からではなく、彼からレモンの爽やかな香りを感じる。
「俺を好きなら頷いてください」
「!」
波野さんを好きか? それは勿論、大好きだった。
優しくて気遣いもでき、私のことを考え、いろいろ調べ、動いてくれた波野さん。何度もからかわれるが、その距離感が愛おしくて。ずっと、ずっと、一緒にいたい――その気持ちは好きだから生じているもの。
こくりと頷くと、「よかった……!」と波野さんが安堵する気配が伝わってくる。
「その好きは、子猫を見て好き――とは違いますよね? ちゃんと異性として好きですか? 抱きしめられたり、キスをしたりもいいと思える好き――ですよね?」
(推しはなんて質問を私にしているんですかー!?)
で、でも、波野さんに抱きしめられる。
キ、キッスをする……。
(え、していいの!?)
遠慮がちだが、波野さんにさらに自分から近づく。
「……白石さん?」
「ぎゅっと……して欲しいです」
「!」
私の言葉に、一瞬息を呑んだ波野さんだったけれど……。
「女に二言はないですよね?」と言い、私が頷くと――。
優しく、ぎゅっと抱きしめてくれた。
お読みいただき、ありがとうございます!
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