猫
「あ、可愛い~! ハートの中に寄り添う猫のオブジェがある~! しかも『永遠の愛』って書いてある~!」
ふと見つけてしまった素敵なスポットで私がスマホで写真を撮っていると、波野さんは……。
「恋人の聖地……なるほど。恋人の聖地は全国に点在しているもので、これは認定された一つなんだそうですよ」
スマホで調べた情報を教えてくれる。
「そうなんですね~。すごい数のハートの南京錠もあります!」
「写真、送ってみますか、友坂夫妻に」
「!」
「恋人の聖地に二人で来ましたよ! ラブラブですよ!って。ゾーンから一瞬、現実世界に戻って来るかもしれませんよ」
「あ、それは確かに! ビックリするわけですね!」
「そうです。……撮ってみます?」
「はい! 撮って夫人に送ってみます!」
友坂夫人にサプライズで送る……そんな軽い気持ちで、ハートとカップル猫のオブジェの前で波野さんとのツーショットを撮影したが……。
波野さんが送ってくれた写真を見て、私はぶわっと泣きそうになっている。
(これはまさに夢物語のような写真。もしもこの写真のような恋人同士に波野さんとなれたら……。きっと間違いなく、我が生涯に一片の悔いなし……と思えるはず!)
私はスマホを両手に恭しく持ち、拝むように画面を見ていたが……。
ぽすっと頭に手をのせられ、ドキッとすると。
「……白石さん……反則です。そんな顔、ここでされたら困ります……」
なぜか波野さんが右手で自身の顔を隠すようにしているが、頬や耳がほんのり赤い。
「波野さん……?」
「こほん」と咳払いをすると、波野さんが顔から手を離す。
「……ここを通って行くと、山頂から下りられます。尾道にゆかりのある文人の文学碑が設置された『文学のこみち』です」
波野さんがキリッとした表情で告げると、背後から「あの人、イケメン!」という声も聞こえてくる。
「いいですね! 行きましょう!」
「ではこっちです」
スマホで写真を撮るわけでもないのに、波野さんが私の背中に手を添え、リードしてくれる。さっき波野さんを見て「イケメン!」と言っていた女子たちは、「彼女持ちか~」「まあそうだよね~」と嘆いているではないですか!
(誤解されている。誤解されて……いいの!?)
声には出さず、思わず波野さんを見ると「いいんです」と言われ、ドキッとした次の瞬間。
「のどかさや 小山つづきに塔二つ――正岡子規、国語の授業で習った俳人ですね」
「……! 知っています! へぇ、彼も尾道に来たんですね~」
「あれは十返舎一九の碑ですよ」
「十返舎一九! 『東海道中膝栗毛』の作者ですね! 波野さん、私、わりとつい最近まで、膝栗毛って、膝に毛がボーボーに生えていることだと思っていたんですけど」
「ぷっ」と吹き出して波野さんが笑い出す。
「膝に毛がボーボーって……! しかもそれがもし正解だとしても、十返舎一九はそれをなぜタイトルに!?」
「そうですよね~。律子からも同じことを言われました。それで教えてもらったんです。栗毛は馬の毛並みのこと。膝栗毛、それすなわち自分の膝を馬の代わりに使う――つまりは徒歩で旅をしていることを意味しているって」
「……その事実を大人になってから知ったんですね」
「そうなんです」
「……白石さんって無自覚天然系ですね」
「ええっ!? 天然ではないですよ! 無自覚は……波野さんの方がそうだと思います!」
そんなことを話していると、巨大な岩と岩の間を潜り抜けるような場所が現れたり、「志賀直哉! え、千光寺の近くに住んでいたんですね!」と驚くことになったり、自然の風化によってできた「鏡岩」が頭上に登場したり。
「波野さん『文学のこみち』、すごくよかったです!」
「俺はテンション高めの白石さんが面白くて目が離せませんでしたよ。膝に毛がボーボーなんて言い出したと思ったら『志賀直哉!』って目を輝かせたり……。見ていて飽きません」
「なんか一人で大騒ぎですみません……!」
「謝る必要はないですよ。褒めているんです。そんなふうにテンションが高くなれるのは、さっき見た文人たちを知っているからですよね? それだけ白石さんに知識があるというわけです」
理系男子の波野さんの、冷静で的確な分析。
これはなんだか照れ臭くなる。
「え、えーと! 千光寺にも参拝できましたし、あとは……あ、天寧寺の三重塔! これ、尾道と言えばの写真スポットですよね。これは撮らないと」
「一緒にね」
「!」
一緒に――これが当たり前になっている事実に、胸がトクトクと高鳴る。
肩に触れる波野さんの腕と手。その胸に身を寄せた瞬間に感じるレモンの爽やかな香り。そして――。
「白石さん、少し顔をあげて」
優しい呼びかけ、「ほら、いい感じですよ」と私の肩を抱いたまま、撮ったばかりの写真を見せてくれる波野さん。
(ああ、好きです、波野さん! 大好きです! この旅が終わっても。東京に戻っても。この沢山の写真と思い出で、波野さんのことを一生推します……!)
「さて。ここまでは白石さんにとっては前座みたいなものですよね。いよいよ猫の細道です」
「! そうです! このまま歩いて行くと、猫の細道に入れるはずなんですが――」
「白石さん、足元」
「へ、足? 足……あ、あーっ!」
なんと石で舗装された細道に、タイルのように埋め込まれたサバトラの顔が現れた!
「これは素材をはめ込んで表現する『インレイ』みたいですね。土台となる素材に異素材を埋め込んで模様や形を作る技法のことです」
「へえ~波野さん、なんでも知っていますね! それにしてもこの猫の目と落ち葉の色合いが似ていて、すごく馴染んでいますね」
「馴染むといえば、もう一匹、いますよね?」
「え? あ、え、あー! 本当ですね!」
「白石さん、足元だけではなく、上も」
「え!」
「ほら、あそこに」
「あーっ、猫! 猫がいるーっ! 本物の猫!」
「野良猫でここまで喜べる白石さんが、可愛すぎるんですけど」
「やーん、可愛い! はちわれちゃん、可愛い! 待って~」
「白石さん、聞いています?」
「え、何です?」
「……いえ、大丈夫です」
猫の細道は、芸術家の園山春二さんが作った福石猫があちこちに置かれた細道のこと。だがこの場所自体が猫が好む空間のようで、リアルに猫が出没するのだ!
「この神出鬼没感がたまらないです」
「猫好きって、ある意味、マゾですよね」
「え、そんなことは! 振り回されるのは困ります!」
「とか言いつつ、振り回されても許しちゃうタイプですよね、白石さんも」
「う、うーん、そうですかね?」
「かつ、白石さん自身が猫タイプですよね? 無自覚天然な猫系。……ハマったら一生抜けられませんね……」
「えー、猫ですか、私? 自分が猫タイプと考えたことはないですが……猫は好きなので嬉しいです! ちなみに波野さんは猫派ですか? 犬派ですか?」
「両方いける派です。猫と犬の方は、どう思っているかわかりませんけど」
「え! 波野さんに好かれて嫌がる猫や犬はいないと思います。人類を超えて、生きとし生けるものは、波野さんに好かれたら喜ぶと思いますが」
「いや、白石さん、真顔でそれは……」
フイッと横を向いて手で顔を隠すようにする波野さんは……。
「あ、デレました?」
「年下男子を掴まえて、からかわないでください」
「激レアで眼福です。写真を……」
「却下です」
そんな漫才のような会話をしていると、艮神社に到着。
「ここは映画のロケ地にも使われ、あのクスノキは天然記念物です」
波野さんがビシッと解説してくれる。
「わー、大きいですね!」
「樹齢は約900年。……900年も生きるなんて、想像できません」
「しかもこの場所にずーっといるんですよ」
蝉の鳴き声が聞こえる中、しばし自然の壮大さに圧倒される。
「ロープウェイの乗り場近くに、映画のロケ地にもなり、監督やスタッフが足を運んだワッフルのお店があります。そこで休憩しましょうか」
「そうですね!」
お読みいただき、ありがとうございます!
猫の細道、猫好きにはたまらにゃぃ~
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