無自覚
「では出発しましょうか」
「はい! お願いします!」
波野さんから教えてもらっていた通りだった。私の見せた写真にインスピレーションを得た友坂夫妻は、共に創作活動に没頭。まさに寝食を忘れたかのような勢いで活動を続けている。心配になり、波野さんから聞いた友坂夫妻の好物のじゃこ天おにぎりを作り、届けたりしたが……。
「冷蔵庫の中を見ておくといいですよ。ちゃんと減っていれば、食べています。あと人間なので、その状態が数カ月続いても、どこかで糸が切れる瞬間があります。そういう時に買い出しには行くみたいなので、過保護になる必要はありません。そもそも白石さんがいないのが、友坂夫妻のデフォルトです。それで五年間、ちゃんと生きているわけで。白石さんが外泊したら、二人が飢えて倒れる……にはなりません」
そう言われ、私は夫妻がゾーンに入ってから二日後。波野さんと共に瀬戸内を巡る一週間の旅に出発することにしたのだ!
「ロキ? ああ、いいよ。友坂さんたち、また始まったんだろう? 近所のやつらはみんな慣れているからさ。交代でロキの面倒も見ているし、差し入れするやつもいるから。友坂夫妻はさ、普段からみんなのこと招いてご飯食べさせてくれるだろう。だからみんな慕っている。創作に没頭している時は、なんだかんだでみんなで、世話を焼いちゃうんだよ」
ご近所さんからもそう太鼓判をもらい、安心して私は旅立つことになった。
(ということで、いよいよ出発です!)
友坂さんに借りた軽自動車の運転席に座る波野さんは――。
着ている碧い色のTシャツは、左胸に縦のラインで大小のオレンジと黄色の水玉がプリントされているが……。実はこの水玉は、みかん! 中島の知り合いのオリジナルデザインのTシャツで、ロゴもさりげなく『Nakajima』となっていた。
そんな島民愛に溢れるTシャツを着ているけど、合わせているのが細身のベージュのパンツで、スニーカーもスポーツブランドのもの。そして運転のためにサングラスをかけると……。
(銀座を闊歩するモデルみたいに見える! やっぱり私の推しは痺れる程カッコいい!)
そんな波野さんの横に並んでも恥ずかしくないようにと、黄色のチビTシャツに、ハイウエストのデニムスカート、足元は編み上げの少し厚底のサンダルだ。
「今日はこのままフェリーで三津浜港へ向かいます。そこで早速、地元飯」
車をスタートさせると、波野さんが今日の予定を口にする。それを聞いた私は――。
「地元飯……三津浜焼きですね!」
「その通りです」
この三津浜焼きを食べるため、朝はお茶とみかんだけで我慢していた。
「白石さん、尾道に着いたら……?」
「尾道に着いたら、やっぱり尾道ラーメンを食べたいです!」
「花より団子、ならぬ、猫よりラーメン?」
「それは……! でもちょうどお昼時に到着するので……」
あわあわして答えると、波野さんがクスクスと笑う。
(国宝級のイケメンのクスクス笑い、いただきました~!)
「白石さんの冗談が通じなくて、慌てる姿、何気にツボです」
「そんなところでツボらないでください! それに尾道ラーメンを食べたら、ちゃんと散策です!」
「了解です!」
そんなことを話していると大浦港が見えてくる。
「波野さん、空が明るくなってきましたね」
「そうですね。日の出が間もなくだと思います」
フェリー乗り場に到着すると、カモメの鳴き声が聞こえ、細く開けた車の窓から波の音が響いた。
強烈な光が背後から射し込んだと思ったら、眼前に見える海が金色に輝いている。
「波野さん、すごい眩しい」
「ちょうど背後から日が昇っているんですね」
その言葉に後部座席の方を振り返ると、鮮烈な光が直撃し、目を開けるなんて無理な状態!
「一度、車から降りましょうか?」
「はい!」
そこで車を降り、背後を見ると……。
「すごいです……! 山の稜線から朝日が昇って来ています……!」
陽光を受けた山はオレンジ色に輝き、手前に見えている建物には金色の粒子が降り注いでいるかのようだ。空に浮かぶ雲は淡い鴇色に染まり、その雲の切れ間からは鮮やかな青空が広がっている。
「……なんて……なんて美しいのでしょうか……!」
「早起きっていいですよね。寝室のカーテンはレースだけで、毎朝この朝日で目覚めるようにしています」
「こんな景色を毎朝見ることが出来たら……今日も一日頑張ろうって思えますね」
「そうなんです。東京に住んでいた時は、窓を開けたら隣のマンション。首を上にうんと上げた先に、申し訳程度の小さな空しか見えませんでした。中島に来てからは、窓から外を見るのが楽しみになっています」
そこで言葉を切り、波野さんがしみじみと呟く。
「せっかく朝イチのフェリーに乗るので、白石さんにこの朝日を見せたいと思っていました。ちゃんと成功してよかったです。何となくですが、幸先のいい気がしちゃいます」
「私に見せたいと思ってくれたのですか……?」
「はい。あの夕焼けを気に入った白石さんなら、きっとこの朝日も喜んでくれる気がしたので。そして実際、感動していますよね?」
「感動……しています! この朝日にも。波野さんの気遣いにも。……どうしてそんなに優しいんですか……?」
波野さんへの想いが溢れ、思わず尋ねてしまった。
「どうして……? どうして……ですかね? 自覚はないのですが、優しい……のでしょうか? ただ、こうしたら白石さんなら喜んでくれるかな……ってだけなんですけどね。あ、乗車券の販売が始まりました。買いに行ってくるので車の中、戻ります?」
◇
(本当に優しくて親切な人は、無自覚なんだ……)
波野さんはきっと私だけではなく、あまねくみんなに優しいのだろう。
(そうだよ。桑名神社では蚊にだって優しかった。だから神のような波野さんは、雑草な私にも親切にしてくれる……)
みんなに平等に優しい波野さんは正解なのに。どこかで“私だけ”の波野さんを求めてしまうのは……。
(贅沢な悩み。身に余る願望)
そもそも仕事がひと段落しているとはいえ、その時間を自由に波野さんは使えるはずなのに。ゾーンに入ってしまった友坂夫妻に代わり、波野さんは私の瀬戸内旅行に付き合ってくれている。
(冷静に考えれば波野さんは私のために自分の時間を使ってくれている。そう、私のために! 恋人でも彼女でもない、家族でも親戚でもない、赤の他人の私のために、こうやって車を運転し、フェリーに入庫し、今は――)
「みかんジュース、ありましたよ」
デッキ席に私を座らせ、波野さんは飲み物を買いに行ってくれていた。
「ありがとうございます! いくらでしたか?」
「大丈夫です。ちゃんと共通財布から出しました」
今回いろいろとお金を使うことになるので、封筒にお互いに3万円ずつ出して入れてある。ここから諸々のお金を出し、足りなくなったら補充することになっていた。
「白石さんって、真面目ですよね。ジュースぐらい『ありがとう』で奢ってもらえばいいのに。絶対に気にするだろうと思ったので、共通財布から出しましたけど」
「え、でも……そんな、甘えられませんよ! 波野さんに奢ってもらえるのは恋人だけの特権かと」
「……白石さんが俺の恋人なら、気楽に甘えてくれるんですか?」
「……!」
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