一緒に
私はライターとして恋愛コラムも書いている。恋を盛り上げるハウツーを知り尽くしているつもりでいた。だがいざ連絡先を知りたいと思い、その方法を熟知していたのに、行動することが出来なかった。
(写真を送る……そもそも写真を撮る口実が見つからない! 連絡先交換なんて無理!)
早々に白旗を振っている。
ところが、波野さんはサラリと自然に私と連絡先を交換する流れに持って行ってくれた。そして遂に波野さんのメッセージアプリのアカウントを知るに至った。さらにさっきランチしたお店の写真を早速共有し、彼から「ありがとう」という猫の絵柄のスタンプまでいただけたのだ……!
「この猫のスタンプ、可愛い♡」
軽トラの助手席で、思わず心の声が漏れてしまう。
「白石さんが猫を好きと言っていたので、それにしてみました」
その言葉を聞いた瞬間。もしここが漫画の一コマなら、私はぶわっと泣いていたかもしれない。
(そんな些末なことまで、覚えていてくれたんですか、波野さん……! やっぱり、波野さんは神……!)
波野さんが素敵過ぎて、もはや同じ世界の人間に思えなくなり、完全に私は推し活モードに突入してしまう。
(遠距離恋愛をしている彼女もいなさそうだし、ワンチャンある!?なんて思ってしまった。だが冷静に考えると、波野さんは神で、私は地上にわく雑草みたいなもの。あまりにも格差があり過ぎる。好きになったところで、神と雑草では釣り合いがとれない。だから愛でればいい。素敵な波野さんのことを)
スマホを握りしめ、陶酔していると、波野さんの左手がふらふらと伸びてくる。
「あ、お水、飲みます?」
「あ、うん」
「じゃあ、ペットボトルの蓋、開けますね!」
「ありがとう。……白石さん、気が利くね」
私が蓋を開けたペットボトルを差し出すと、波野さんの左手が――。
「!」
波野さんの左手が私の右手に重なり、そのままぎゅっとされ……。
「ごめん。運転中だから」
「だ、大丈夫です。よそ見運転は危険ですし、波野さんが飲みやすければ無問題です!」
そう答えているが、私の全身の血流は激しくなり、またも鼻血が出ないかとドキドキしている。
(手を……手を、手を、波野さんの左手がぎゅって……)
波野さんの手はこの汗ばむ季節でもサラッとしているのにすべすべ。さらに少しひんやりして気持ちがいいのだ。その手に触れられ、ぎゅっとされてしまった……!
(推しが尊い。尊過ぎる……!)
◇
「これが桑名神社です」
波野さんと共に境内にある建物を眺め、思ったことは――。
「壁に船が!?」
「それは実用的な船ではなく、模型だと思います。これは本殿ではなく、絵馬堂と言われている建物です。船の絵が描かれた絵馬が奉納されている場所。きっと安全祈願などで、あの模型の船を奉納したのでしょうね」
「ということはあれも絵馬の一種……?」
「そうだと思います」
蝉の鳴き声の大合唱が響く陸の上で、壁に沿って浮かぶように飾られた船はとにかくインパクトがある。写真を何枚も撮り、律子にも送ってしまう。さらに建物内の絵馬の展示も眺めていると――。
波野さんの手が私の腕をふわっと撫でるので、ドキッとしてしまう。
「蚊が……」
「あ、蚊ですか」
私は蚊が止まっていたら、容赦なく手の平でぴしゃりなのだけど――。
「ここは神社で、蚊も生きているので……でも多分、吸われていないと思いますよ。すぐに気付いたので。ただ長居すると、いい餌になってしまいそうです。参拝はできましたし、絵馬堂も見ることができたので、移動しますか?」
これには「そうですね」と軽トラックに戻る。
(波野さん、優しいなぁ。虫にも五分の魂と言うけれど、蚊に対してまであんなふうにできるなんて! やっぱり波野さん尊い……!)
波野さんを尊いと思う反面、度々彼と触れ合い、何もない事実には……。
(ちょっと残念。いや、かなり残念。ううん、推しは愛でるものよ。贅沢は言わない!)
思いは千々に乱れるが、桑名神社から次なる目的地・泰ノ山城跡は、軽トラックで十五分ほどで到着となる。
「山頂には車で乗り入れができません。山頂に行く場合は徒歩になりますが……。景色について言えば、軽トラックで行ける所からでも、十分に楽しめると思います。無理して山頂まで行く必要はないのですが……行きたいですか、白石さん?」
「これから移動すると、到着は薄暮れ時。山頂まで行くと、帰りには暗くなる可能性がありますよね」
「ええ、そうなんです。山頂に向かう徒歩の道は舗装されておらず、そして山ですから……。暗くなると動物が現れる可能性もあります」
「それなら山頂まで行かず、途中で景色を楽しむのでいいと思います!」
軽トラックが車道をゆっくり進むと、そこを歩く外国人観光客らしき人の姿が見える。
(こんなところまで来る人もいるのね……! かなりマニアック!)
そんなことを思っていると、軽トラックが坂を上り切り、ゆっくりと止まった。その際、フロントガラスから見えている景色に「あっ」と声が出てしまう。
「ちょうど太陽が傾き、影が長くなるんです。真上から太陽が降り注いでいる時とは違う、少し幻想的な景色が楽しめると思います」
波野くんが言わんとすることはよくわかる。これからとてもドラマチックな時間を迎えることに、胸が高鳴らずにはいられない。
「ここから眺めましょうか」
ガードレールのそばに波野くんと共に佇み、眼下を見下ろす。
すでに太陽は山の稜線へ傾き、西の空は金色に輝いていた。陽射しはゆっくりとその輝きを弱めているが、まだ温かさを感じる。その光を受けた大浦の集落の建物は、水彩画のような粒子の細かい淡い輝きを帯びていた。そして陰でさえ、薄い紫色をしている。
「遠くに見える海は……静かですね……」
「はい。今日は昼間からずっと風も穏やかでしたからね。……白石さん、あの霞がかかったように見える島影は、睦月島や釣島ですよ」
「あ、そうなんですね……!」
スマホで写真を撮る私に、波野さんはわかりやすく説明をしてくれる。そうしている間にも眼前の景色は白っぽくなり、海と空の境界線が溶けていく。
薄暮れ時の淡い不思議な時間が流れ、空の上の方には深い藍色の世界が広がり始めている。
「夕焼けは鮮烈なインパクトがありますが、夕暮れ前のこの光景は……何だか印象派の絵画を見ているようです」
「……! 確かにそうですね。西洋画で見たことのある色合い……」
このまま陽が落ちたら、天鵞絨に宝石を散りばめたような、美しい夜景が見られそうだった。でもそこまでこの場所にいることはできない。
(なにせ獣が突然現れるかもしれないのだ!)
「……一緒に写真、撮りますか?」
「え……あ!」
ふわりと優しく波野さんの腕が肩に回され、ゆっくりと引き寄せられている。その胸に顔が近づくと、もぎたてのレモンのような爽やかな香りが波野さんから感じられた。
(波野さん、いい香り……!)
「白石さん、顔をあげてください」
「!」
波野さんが斜め上に、スマホを持った腕を伸ばす。
「では今日という日を記念して。撮ります」
「はい!」
写真を撮り終えたら、波野さんの腕が離れる――と思ったが。波野さんは私の肩に右手を回したまま、左手で撮影に使ったスマホを操作する。
「あ、いい写真、撮れましたね」
水彩画のように、境界線がぼんやりとした幻想的な景色を背景に、照れ笑いの私。そして完璧な角度で微笑む波野さんの、奇跡のスリーショットが画面には表示されていた。
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