02
「トールヴァルド様ご自身が気づいているのかはわからないけど、お相手は黒妖精族の女性だと思うわ。パン屋さんで働いていらっしゃるの。だからトールヴァルド様は日参しているんじゃないかしら」
「なるほど。以前、お土産でいただいたパンにはそのような意味があったのですね」
カミラが得心したと言わんばかりに大きく首を縦に振った。そこへ、ノックの音が聞こえてくる。
「失礼します。お嬢様」
入室の許可を出すとフィンが入ってきた。新しくなったお仕着せのポケットからは、水色のハンカチが見える。
「おかえりなさい、フィン。リキャルド様のご用はなんだったの?」
「ユグドラシルまでの侵入方法や、封印されていた洞窟がどこの場所にあるのか教えて欲しいと」
フィンが疲労感をにじませながら息をついた。他にも色々と聞かれたのだろう。リキャルドから執拗に追いかけられているフィンの姿をそばで見ていたので容易に想像できた。
「そう。それで教えてあげたの?」
「一応どの辺りかはお伝えしましたが、すでにあの場所はダール家の領地になっていますからね」
「そうね。わたくしの方からお父様に手紙で伝えておくわ」
「ありがとうございます」
ソフィーが労いを込めて伝えるとフィンが恭しく頭を下げる。すぐに姿勢を戻すかと思いきや、なぜか前屈みの状態で固まってしまった。
「どうしたの?」
「浮気ですか?」
「へ?」
何を言っているのだろう。ソフィーは、首をひねった。フィンが指を突きつけながら足早に近づいてくる。
「お嬢様、僕という婚約者がいながらまだそのぬいぐるみを膝の上に乗せているなんて!」
「な、何を言っているの、フィン」
ソフィーは声を上擦らせた。カミラが腰に手をおき、間に入る。
「そうですよ。そんな狭量でどうするのですか、フィンさん。あとこれだけは言わせていただきますが、まだ正式に旦那さま方へご挨拶していないうちは、お嬢さまに手を出すなんて不埒な考えは認めませんからね!」
フィンを諌めるカミラの姿に、ソフィーは胸をなでおろした。いつも頼りにしているが、こういうときの彼女は一段と頼もしく感じる。
(カミラがいてくれて本当によかったわ)
フィンと両想いになってからというもの、フィンは侍従以外の顔をよく見せてくるようになった。そうするとソフィーは、好きな気持ちが邪魔をして上手く対応できなくなってしまう。本当はもっと自然に振る舞いたいのにできないのだ。フィンは如才なく立ち回っているのに、自分だけが振り回されているみたいで好きなのに恨めしくも思ってしまう。
(先に惚れた方が負けっていうのは嘘なのかしら?)
ソフィーが内心でそんなことを考えている間に、フィンがカミラと向き合っていた。
「それはもちろん、わかっておりますよ。あ、そうでした」
フィンは爽やかな笑みを浮かべると、わざらしく手を叩いた。そしてその手を突き出し、袖をまくる。
「お嬢様、この場を借りて紹介します。僕の弟です」
フィンのシャツ越しの腕に巻きついていた蛇が鎌首をもたげ、細長い舌を出す。その姿を至近距離で見つめることになり、ソフィーは悲鳴をあげた。
「「キャー!」」
歓喜に叫ぶカミラの声と重なる。ソフィーは視界から蛇を外すべく明後日の方へ顔を向けた。
「カミラさん、お嬢様は弟の姿が苦手なようなので申しわけありませんが、少しの間、弟のことをお願いしてもよろしいですか?」
「もちろんですわ!」
カミラが食い気味でフィンの要望を聞き届けた。きっといそいそと蛇を引き取っていることだろう。嬉しそうにはしゃぐカミラの声が聞こえてきた。
「それではお嬢さま、少しの間失礼しますね。さあ、ヨルムンガンドさん、私とお散歩へ行きましょうねぇ」
ソフィーは遠ざかるカミラの足音に、ぬいぐるみを顔の前に持ちあげ侍女を見た。今回もストールのように蛇を首に巻いている。
(あの姿になったカミラにお世話をされたくないわね)
ソフィーは軽い足取りで部屋を出ていくカミラを無言のまま見送った。
「ふふふ。これで邪魔者はいなくなりましたね」
パタンと扉が閉まる音とともにフィンが隣に座る。
「フィ、フィン? 不埒なことはしないってさっきカミラと」
膝がつきそうなほどの近さに、ソフィーが目を白黒させた。おもむろにフィンが手を握ってくる。その拍子にぬいぐるみが手から落ちた。
「不埒? 僕は婚約者の手を握っているだけですよ」
そう言ってフィンは、こちらの手の甲を親指でなで始める。かと思うと、見せつけるように手の甲へ唇を落とした。
「っ!」
ソフィーは息を呑んだ。上目づかいで見てくるフィンの色気にやられ、身体中を熱が駆け回る。今すぐ逃げ出したいような、ずっとこのままでいたいような。そんな相反する気持ちが交互に湧いてきた。




