03
「それにカミラさんは今この部屋にはいませんし」
フィンがおどけるように小さく肩を揺らした。口づけをやめ、再びこちらの手の甲をなで始める。
「あ、あなた、それを狙って」
「僕は純粋にお嬢様とお話がしたいだけですよ」
フィンがこちらの話を遮るように言い切った。熱の籠った眼差しに見つめられ、落ち着いたと思った鼓動がまた早くなる。
「そ、それだったらこんなにくっつくことないでしょ!」
ソフィーは照れ隠しにフィンに掴まれている手を引っこ抜いた。そして誤魔化すように別の話題を口にする。
「そ、そうだわ。お父様たちから手紙が届いたのよ。あなたちゃんとお父様に伝えていたのね」
「実は、お嬢様が『祝福の儀』を終えたあとから旦那様と奥様には僕の気持ちを伝えていたんです」
「え、そうだったの?」
ソフィーはまじまじとフィンを見つめた。フィンが眉を下げ苦笑する。
「はい。ですが、ずっと認めてもらえず、今回の留学の際にようやく許可をいただきました」
「知らなかったわ……」
そんな前から打診してくれていたとは。
(仔狼のときに出会ってからずっと想ってくれているのね)
両親という第三者からの情報を得て、改めてフィンの気持ちを実感できた気がする、ソフィーは嬉しさに、顔を綻ばせた。
「あ、そうだわ。ねぇ、フィン。獣の姿にすぐなれるのよね? たまにでいいから、また獣の姿になってよ。駄目?」
ソフィーが身を乗り出し願い出ると、フィンは口元を手で押さえ動かなくなる。
(駄目なの? あのモフモフをまた堪能したいのに)
安易に変身できない決まりでもあるのだろうか。それならば、フィンに無理をして欲しくない。
(そういえば、フィンってどちらが本当の姿なのかしら?)
フェンリルと言われているくらいなのだから巨狼が彼の本来の姿なのだろうか。だがだとしたら今が変身中ということになる。
(それだったら狼の姿に戻るなんてわけないわよね?)
ソフィーが黙々と考え込んでいると、フィンが身体を近づけてくる。
「いいですよ。獣の姿になる前に僕にご褒美をくださるのでしたら」
「ご、ご褒美って?」
ソフィーは、目の前に迫ってきたフィンの艶めいた顔にどこを見ていいのかわからなくなる。これ以上近づいてこないよう腕を突っ張り押しとどめるがフィンには効果がないらしい。
「それは、もちろん」
フィンの親指が口紅を塗るように、ソフィーの唇をなでた。これは口づけをねだられているのだろうか。ソフィーは声を上擦らせる。
「で、できるわけないでしょう!」
「昔はよく口づけをしてくださいましたのに」
フィンががっかりした様子で眉を下げた。
「あれはこの姿のときだったでしょう」
ソフィーはソファーの隙間に転がり落ちたぬいぐるみを手に取り、仔狼の出っ張っている鼻先をフィンの唇へ押しつけた。フィンの眉間に数本皺ができる。すぐさまフィンはぬいぐるみを顔から剥がした。
「この姿にならないとしてくださらないのですか?」
仔狼の顔をこちらへ向け、フィンがぬいぐるみと同じような瞳で見つめてきた。
「そんな顔をするなんてずるいわ……」
あんな顔をされたら、なんでも叶えてあげたいと思ってしまうではないか。ソフィーは口を尖らせた。だが自分からキスをするというのは、恋愛初心者の自分にはまだ無理だ。恥ずかしすぎて死んでしまう。このままうやむやにして回避できないだろうか。しかし、それを見越していたのか、フィンが追い打ちをかけてくる。
「お嬢様……」
懇願するようにフィンが甘い声で囁いてきた。
(もう! フィンったら絶対わかってやってるんだわ!)
悔しい。でもそれ以上に愛おしい。
ソフィーは少しの間逡巡してから目をつむり、フィンの頬へ口づけをした。
「い、今はこれで許して! そのうちできるようにするから!」
なんて大胆なことをしてしまったのだろう。ソフィーはフィンの顔が見られず、手で顔を覆った。だが、後悔はしてない。これで少しはフィンを翻弄できただろうか。指の隙間からフィンを見ようとした。そのとき、膝の上に何かが落ちてくる。顔を下に向けると、いつのまに変身したのか狼の姿になったフィンの頭があった。大きさは大型犬くらいだろうか。お仕着せを着たままで伏せをしている。
(本当フィンってばずるいんだから!)
ソフィーはフィンの狼の姿に身悶えた。そのまま惹きつけられるように、腿に乗せられたフィンの頭へそっと手をすべらせる。
「ありがとう、フィン。大好きよ」
ずいぶんとフィンには振り回されてしまっているが、自分も友人たちや物語の主人公たちのように恋をすることがやっとできた。それが今はとても嬉しい。
(次はわたくしがフィンを振り回す番よね)
ソフィーはフィンの耳元の毛を堪能しながら決意を新たにする。その心の声が聞こえたのか、フィンの耳がピクリと動いた。
(あーん、可愛すぎる!)
フィンを翻弄することなどできる日がくるのだろうか。早くも頓挫しそうな決意を胸に秘め、ソフィーは肌触りのよいフィンの毛を飽きることなくなで続けた。
【了】
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