13.アリョーシャの口づけ
この小説にはパロディ、オマージュがあるので、参照元を検索エンジンに入力したURLを脚注としてつけておくことにしました。
例)タイトル https://www.ecosia.org/search?q=The+Catcher+in+the+Rye
たぶんURLを踏むと草が生えます。
検索エンジンについて https://www.ecosia.org/search?q=Ecosia+wiki
全13話構成です。
拙い文章ですがよろしくお願いします。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。加えて、このなかで語られた言葉はいかなる真実をもふくみません。
一朗が白屋敷で目を覚ますと、如月はその手を取った。
「さあ、行こう。一朗くん。」
一朗はまだ眠気がおさまらなかったが、立ち上がった。
「その目はドリームキャッチャーになっているのか…?」
「似たようなものね。私のは人の記憶を自由に編集できるんだ。」
「そうなのか…。まあいい。この屋敷を出よう。」
そして、一朗達は白屋敷の元来た道を戻った。
「そう。あなたたちのモノスコードは978-4-10-109_103-7と978-4-00-342_093-5ね。鍵は…あら、あなた、戻ってきたのね。」
一朗が受付のそばを通った時、赤毛の女に声をかけられた。一朗は急に声をかけられて驚いた。
「ええ。如月と会うことができました。」
「残念ね……。あなたはこの白屋敷から出て行かないと思っていたのに……。」
女の言葉に違和感を持って一朗は思わず聞き返した。
「どういうことですか?」
「いえ……何でもないわ。ここを出ていくのでしょう……?さようなら。」
女はそう言って、一朗に手を振ると前に並ぶ人に鍵を渡し、何事もなかったかのように自らの仕事を続けた。一朗はその態度が腑に落ちなかったが、何も言わずに通り過ぎた。
一朗たちは外に出て丘を降りて、港へ向かうためにバグズアイランドのバラック群を通り抜けた。人工太陽が一番光り輝く時間であるにもかかわらず、その道中誰ともすれ違うことなく、ただ落書きだらけの街の中を歩いた。
「おかしいわ。人っ子一人いないなんて…。」
如月は静かすぎる町の様子に違和感を抱いているようだった。
「確かに、来た時と比べて人が少なすぎる。」
そう言ってある小屋のそばを曲がった時、一朗は何かにつまづいた。見下ろすと、それは襤褸を着た男だった。
「すいません。」
一朗が謝るとそのまま男は地に倒れてしまった。不審に思った一朗は屈んで男の肩を揺するが、脱力しているようでぐにゃりと重い首が曲がった。
「これは…?生きているのか?」
その男の脈を測っても脈動を感じることはなかった。
「死んでる…?」
「いえ……おそらくまだ心肺が機能停止している段階よ。」
如月は冷静にそう言った。
「一朗!よく見ろ、この辺りにいる奴らみんな倒れているぞ!」
一朗があたりを見回すと、路上にはいく人もの人が倒れていて、皆ぴくりとも動かなかった。
「これは……リヴァイアサンがアイアンギアを使用したんだわ。」
「アイアンギア?」
ニルが聞き返すと如月が説明した。
「アイアンギアはEMP兵器を搭載した二足歩行戦車よ。bio-Aで作られた強靭な足を持っていて電磁パルスで周囲の精密電子機器を無力化する…。つまり、コモンセンスとメメックスを埋め込まれた人々の脳と身体の活動を強制的に停止させてしまう。前回使用されたのは百数年前のはずよ…その時は“悪魔の兵器”と呼ばれたわ…。どうやら、なりふり構わず民主派にとどめをさしにかかったようね…。」
「何だと?じゃあ、この人たちは……。」
「すぐに死にはしないと思うけど、王家の墓に格納されるかもしれない。」
一朗は狭く、曲がりくねる街路を見渡したが、見える範囲だけでも数十人の人が道に倒れていた。そして、遠くから錆びた鉄が擦れる音と重い蹄が地面を蹴る音が聞こえてきた。
「アイアンギアの足音よ…。」
「マズいぞ、港へ急ごう。」
一朗達は近づいてくる足音を避けながら砂浜の方へと走った。行く道ではアンドロイドが道端に倒れている人たちをトラックの荷台へと投げ入れているのを見かけた。
「回収車が来ているわ。もうアイアンギアを使用するつもりはないみたいね。でも、急ぎましょう。」
「そうだな…それならいっそあの車の中に入り込んでしまおう。あの義体と一緒にこの島を出るんだ。」
一朗達はちょうど街を出て行くトラックに忍び込んだ。その時、横から男の声が聞こえてきた。
「急げ、ケビン!」
若い白人の男が叫ぶ。
「慌てるんじゃない。ジェームズ、捜査は慎重に行え。」
黒人の男が走ってくる白人の男を落ち着かせようとする。
「ケビン!エージェントが俺たちの追うバグの行方を掴んだんだ。」
「本当か!」
「ああ。うかうかしてると逃げられちまう。」
ジェームズとケビンはすぐにその場を駆け出した。2人が向かったのはバグズアイランドを見下ろす丘の上にある白い屋敷だった。
「あら……あなたたちのようなお客は珍しいわね。」
2人が白屋敷にたどり着き、長蛇の列ができている受付に割り込むと、そこには要領が悪そうな冴えない赤毛の女が座っていた。
「我々は治安維持管理者です。ここに危険なバグが逃げ込んだと報告を受けまして。」
ケビンがそう言うと、赤毛の女は慌てるそぶりもなく、ゆっくりと話した。
「そう……きっとあなたたちの探しものは303号室で見つかるわ。」
「何?怪しい人物を見かけたのですか?」
「そうね…」
「俺たちに任せろ。ケビン、早く行くぞ!」
ジェームズはそう言ってケビンの手を引っ張って行った。ケビンはまだ何か聞き取ろうとした様子だったが、しぶしぶジェームズと共に駆け出した。
「ジェームズ。」
白い廊下を歩くジェームズにリヴァイアサンが囁いた。
「嫌な予感がする。この屋敷の中には私のコモンセンスを持たない機器の反応が多数存在している……。」
「ハハ!レヴィ!気にするな。俺たちにはこれがある。」
ジェームズは腰につけた銀色の銃を指して笑った。
「油断するな。コモンセンスが装着されていないということは未来に不確実性が存在するということだ。」
そう言って、ケビンは303号室の前で足を止めた。そして、真っ白い廊下にあるその扉にジェームズが手をかけた。
「そんな気張るなよ。ケビン。」
ジェームズが扉を開くとその部屋はチェック模様の壁紙の狭い空間にソファとテーブルが中央に置いてあった。応接セットのテーブルのそばにはソファとは別に椅子があり、そこには赤いキャスケット棒を被った白人の少年が座っていた。
「よお、坊っちゃん。ここに犬を連れたバグが来なかったか?」
少年は眠そうな目でジェームズを見て、ボソボソと口にした。
「バグ…?来たかもしれないね。」
「そうか。私たちにそいつの行先を教えてくれないか?」
「いいよ……彼らはある男に会いに行った。」
「行方を知っているのか?」
「うん。教えてもいいけど…この部屋から情報を持ち出すことはできないよ。」
少年が不敵に微笑むとその目が赤く光った。
「ジェームズ!ケビン!部屋で何があった?通信が途切れたが。」
303号室の前に立っていた2人にリヴァイアサンが尋ねた。
「何があったかって?何を言っているんだレヴィ?俺たちはまだこの部屋に入っていないじゃないか?」
「ジェームズ!何を言っているんだ?ここは最高だからお前も絶対に来いって……?」
「ここが最高…?俺はそんなことは言っていないぞ!レヴィ!」
「その部屋が面白かったというのは分かったよ!ジェームズ!それはいいから中で何があったか話してくれ。」
「一体何を…?まだ入っていないのに…?」
「ええい、埒があかない。ケビン!君はどうだった?」
訝しげな顔をしながら、ケビンが言った。
「レヴィ。お前はおかしくなったのか。私たちはまだ部屋に入っていない。」
「ケビン!君もか!天国のような場所だというのはもうわかった。でも、何があったんだ?」
話が噛み合わないリヴァイアサンとの会話にケビンは首を傾げた。
「どうなっている?レヴィは私たちが部屋に入ったと言っているが、こちらの話は通じない……。」
ジェームズは廊下の窓や、壁、床を調べ始めた。
「この建物に何か仕掛けがあるのかもしれない。」
そして、ケビンが自身のコモンセンスの時計を見た時、目を疑った。
「ジェームズ、おかしいぞ。私たちがここに来てからもう4時間も経っている。受付から3階に上がっただけなのに。」
「何だって?時計が狂っているんじゃないか?」
「いやそうじゃない。コモンセンスは正しい。それに外を見ろ。もう夕暮れが始まる。」
ジェームズが外を見ると、確かに人工太陽は赤みがかり始めていた。
「一体なんだって言うんだ…。」
驚愕するジェームズであったが、何かを見つけたようで、急にかがみこんだ。
「……何にせよ。バグは絶対にここに来た。これを見ろ。ケビン。」
ジェームズが差し出したのは黒い動物の体毛だった。
「俺たちにかかればあらゆるものは情報だ。」
そう言って笑うジェームズを見てケビンも笑った。
「確かにバグはここに来たようだな。しかし、どうする?」
「中に入ろう。」
ジェームズが扉に手をかけて開けようとするも、鍵がかかっていて開けることが出来なかった。そこでジェームズが銀色の銃、ニュートラライザーを構えて扉に向けた。
「レベル6、レールガン。」
銃口が激しく光ったと思うとジェームズが反動で背後へ吹っ飛んだ。
「痛てて…どうなった、ケビン?」
「ダメだ。傷一つついていない。」
扉は何もなかったかのように綺麗なままだ。
「本当か!?」
「どうするか……。」
ジェームズは少し考えたあと言った。
「……仕方がない。アイアンギアを使うぞ。」
「アイアンギアだと?なぜだ、ジェームズ。EMP兵器でこの扉が開くとは思えん。」
「知らないのか?ケビン?」
「?」
「アイアンギアはその内部に原子の力を使った強力な爆弾が仕込んである。そいつを爆発させてこの扉を開ける。」
「そんなことができるのか……?レールガンで破壊できない代物だぞ…いや、それでもここには大勢の人が…」
「やってみなけりゃわからない。どのみちあんたのドールなら爆発に耐えることができるだろう。それに……」
そう言ってジェームズが数秒目を閉じたあと、再び見開いて言った。
「俺は真実の力を信じている、だから、何を犠牲にしてもそれが知りたいんだ。」
その瞬間、屋敷の窓が割れるかと思うくらい衝撃が走った。黒い馬のような二本足の上に白い砲台のついたその戦車が屋敷の側に飛んできたのだった。
「待て!ジェームズ!」
その瞬間、爆発音がしたかと思うとジェームズの視界は真っ青に染まった。そして、穏やかな女の声が近づいてきた。
「残念だわ。ジェームズ。」
ジェームズはそれが自宅にいた伴侶の声だと気づいた。
「ハハ、エリカ。コーヒーでも淹れてくれるのか?」
「いいえ。あなたはアイアンギアを使用したことで治安維持管理官職務執行法第7条に違反した。だからリヴァイアサンに従うアンドロイドとして、私が逮捕するわ。」
そう言い放つ声を最後にジェームズのコモンセンスは剥奪され、口を動かすことも出来なくなった。
「頼んだぞ。ケビン。」
ジェームズは青い無音の暗闇でそう思った。
その頃、一朗たちはバグズアイランドを抜け出して、リヴァイアサンの都市に侵入し、如月が都市に残した車輪のついた自動車で移動していた。如月は自動車を運転しながら時折、物憂げにバグズアイランドの方を眺めていた。
「如月…。どうした?」
一朗がその様子を見て声をかけると如月は微笑んで返事をした。
「いえ…何でもないわ。」
「おい!ロケットマンのアジトはどこにあるんだ?」
「アジトは35°40'30.8_139°32'16.2のアドレスにあるわ。」
そう言われたニルは困ったような顔をした。
「どこか全くわからんな。」
「ふふっ。そうでしょう?そこには朽ち果てた遺跡がある。ロケットマンはその中にいる。」
「なぜロケットマンがリヴァイアサンを破壊する鍵を持っているんだ?」
「それは…彼がリヴァイアサンを作ったからよ。一時期ズヴィズダーの首領でもあった。」
「何?」
「自分の作ったものに追われているのは、おかしな話だけどね。彼は私以上にこの都市の歴史の真実に詳しいはずよ。真実を知りたいのなら、彼に聞いてみるといい。」
「……如月、ロケットマンは一体何のためにロケットを飛ばしているんだ?どのようにしてリヴァイアサンの目を掻い潜っているんだ?」
如月はそう尋ねられてとても可笑しそうな顔をした。
「それは……そうね。リヴァイアサンの目を掻い潜ることができるのは、彼のコモンセンスはリヴァイアサンが創設されるもっと前、遥か原初の時代からある特殊なものだからじゃないかしら。そして、ロケットを飛ばす理由…それはきっと直接聞いた方がいいわ。あなたはそれについてどう思うのか、あなた自身で判断して。」
それから如月は笑うばかりで、一朗が何度問いただしてもその理由について答えることはなかった。
そして、しばらく走っていると薄暗い夕闇の中で、見渡す限り風化したコンクリートの廃墟が一面に広がる場所に出た。そこには所々明かりが灯っているのが見えた。
「ここは遺跡の町。史料的価値がないから調査もされない。結構な数の好事家が廃墟暮らしを楽しんでいるけどね。もうすぐ近くよ。」
「この中にロケットマンが…。」
「廃墟とはいっても、やはりコモンセンスは仕掛けられているから安心はできないわよ。」
一朗達はそれから廃墟の中を走り続けた。崩れた建物の中で固形燃料を燃やして焚き火をしている人や、屋台を引いて遺跡の出土品を売り歩く商人が帰り支度をしているのが目に入った。
「着いたわ。」
如月がそう言って車を止めたのは、少し開けた場所にひとつだけ立つ、風変わりな小さな建物だった。その建物は屋根が半球状の円筒の形をした建物で、入り口は地上から数メートル高い場所にあり、そこに登る階段がそばについていた。一朗達は車を降りると階段を登って入り口から中に入った。
「こんばんは。アレクセイ・フョードロウィチ・レオーノフ。」
そのアジトは全ての窓が塞がれているようで、ほとんど光のない暗闇だった。部屋の中心にポツリと蝋燭の明かりが一つ灯っていて、その周囲にあった太い柱や、散らばっている金属部品の輪郭を微かに浮かび上がらせていた。
「その声、その呼び名……琥珀ですか?待ってください。私は夢を見ていました…。」
蝋燭の灯のむこうで、暗闇が動いたかと思うと大きな二つの目がキラリと僅かな光を反射させた。一朗がよく目を凝らすとそれは目ではなく眼鏡であるようだった。その男は暗闇に溶け込むようなローブをかぶっていて、ほとんどその部屋との境目がわからないほどだった。
「面白い夢を作る男がいるんです。琥珀。モノスコードは978-4-10-201_011-2で…」
男は椅子から立ち上がったようで、照らされたフードと二つのレンズが宙に漂っているように見えた。
「おい、あんたの名前は如月じゃないかったのか?琥珀って…。」
一朗の足元からニルの声がした。
「昔そう名乗っていた時があったのよ。ねえ、アリョーシャ。」
「何年ぶりでしょうか…。懐かしい名前だ。あなたはどうやら客人を連れてきたようですね。すいません。起きたばかりで……。今来客用の明かりをつけましょう。」
そう言うとローブを擦る音がして、男が部屋の中の小さく数少ない窓のカーテンを開き、電灯をつける音がした。
夜の薄暗い明かりが差し込む部屋は一朗が思っていたよりも広く高く、天井は屋根と同じ半球状でその部屋の中心には大きな薄汚れた柱があり、その頂点に黒い縁のついた巨大な白い筒が付けられていた。部屋の中は金属部品やガラスのケース、水や土の入った水槽、フラスコやシャーレが大量に散乱していて、その隙間隙間にロケットがいくつも聳え立っていた。
一朗が驚いたのは、そのような足の踏み場のない部屋の様子ではなく、そこに現れた男の容姿にだった。その男は暗闇で見たのと同じく黒いローブを羽織っていたが、その中に浮かぶ顔は縫合の後が残っていて、全く違う色の皮膚がつぎはぎに縫い合わされていた。額の中心から右のえらまで青白い不健康な皮膚が張り付いていて、左耳から鼻の中心に向かう縫い目に上部は黒鉛のように黒い皮膚で、その下半分は黄疸を患っているように黄色い肌をしていた。その両目の瞳は片方が明るいブルー、もう片方は茶色で眼球の大きさが異なっていたが、痩せこけたその顔はそれらを実際よりも大きく見せた。男はずれ落ちそうな大きな眼鏡を右手で直そうとした。その時、ローブの袖からのぞいた腕は手の甲は褐色の肌をしていたが、その指はそれぞれ色が違い大きさも不揃いで大男のそれのようなものもあれば赤子のように小さな指や、老婆のように細い歪なものもあった。
「琥珀。いえ、今は如月というのですか。一体何の用で来たのです?この方達は一体…?」
「俺たちはあんたからガラクーチカをいただきに来た。」
ニルがそう口を開くと、男は特に驚く様子もなく返事をした。
「なるほど、そうですか。たくさんありますから、どうぞ持っていってください。ちなみにお名前をお伺いしても?」
「俺はニルだ!こいつは一朗。」
「そうですか。良い名前です。」
そう言って男はため息をついた。
「それで、あなた達はなぜリヴァイアサンを破壊するのですか?」
一朗は如月の時と同じく、これまでの経緯をアレクセイに話した。アレクセイは相槌を打って、時に感嘆の反応を見せながら一朗の話に聞き入った。そして、一朗が話し終えた後、言った。
「……如月、そして、ニルさん。私は一朗くんに話がしたい。少し外してくれませんか。」
「ええ、元からそのつもりよ。」
「オイ!俺もか?」
如月は男の意図を理解したように承諾したが、ニルは食い下がった。
「お願いします。私は彼と2人で話してみたい。少々込み入った話なのです。」
ニルはそれから少し抵抗したが、結局如月に説得されて部屋を出て行った。
「さて、これで落ち着いて話が出来る。その前に……一朗くん、先にガラクーチカのありかを教えておきましょう。」
「いいのですか?」
「先に教えてもきっと君は私の話を聞いてくれるでしょう?」
「ええ。まあ。」
するとアレクセイは足の踏み場もない部屋の端の方にある扉を指差した。
「あの、C-18番の扉です。あの向こうにガラクーチカはあります。ガラクーチカ、それはこの世界に飽きるほど存在しますよ…どれでも好きなものを取っていってください。それで…父親の仇、だから君はリヴァイアサンを破壊するのでしたね。」
2人きりになったその部屋で一朗とアレクセイは向かい合って、話し始めた。
「ええ、それに、この都市は一つのディストピアです。誰も何も自分で決めることはできない。」
「しかし、一朗くん、君は少し前にあったコモンセンスVer.1776.1のアップデートには合意したましたか。」
一朗はすぐにアレクセイが何を言わんとしているか気づいて、答えにつまった。
「はい…。」
「その時、君たちは君たちの自由を行使している、そう思いませんか?その社会契約の規約には全てが記されていますから。あなた達にはそれに従わない自由がある。」
「とはいっても…」
「一朗くん、まずは私の話を聞いて欲しい、私が何を目的としてリヴァイアサンを作ったのか。私の構築したその内容は突き詰めれば一つの原理、一つの命令に還元される。」
「それは、如月が言うには最後の子どもたちのためにこの都市は存在すると…….」
「そう。それは確かに私の目的の一つですが、それは一部です。」
「一部?」
「この社会契約の内容、それを突き通す一つの原理、それは…この都市は…コモンウェルスは、“愛による世界征服”のために存在するということです。」
一朗はその馬鹿げた響きにこの男の正気を疑った。驚き、呆れてものも言えない一朗を見て、そのつぎはぎの顔には気味の悪い笑みが浮かんだ。
「この遍く世界、全ての宇宙を…全ての未来、全ての明日を愛によって征服することを目的としているのです。そして、それは人間が自ら招いた未成年の状態から脱するためでもある……。あなたはリヴァイアサンを破壊するという…。まあ、あなたのような人が現れたのなら、私の試みは失敗だったのかも知れない……。……究極的にはそれもでも良いのですが…。答えはひとつではない。私はリヴァイアサンに固執するつもりはない。ただ私が言いたいことは、“愛による世界征服”の理念は受け継いでほしいということです。」
「……何を言ってるんだ?あなたは?そんなもの受け継ぐわけがないだろう。気持ちが悪い。何だ?この都市が誰もが誰も一律的に“愛”に満ちた世界だなんていうのか?そんなもんじゃないだろう、この都市は。」
「……あなたは素晴らしい。私を超えた善を求めている。でもひとつ言っておかなければなりません。あなたは人を愛した事はありますか?」
男はなぜか勝ち誇ったような顔で言うと、一朗は不快感をあらわにして聞き返した。
「……ありますが…それが何か?」
「わかりました。なら私のこの都市での試みは完全には失敗していない。なぜならリヴァイアサンによる資源配分機構が無ければ、あなたは生まれてさえ来なかった、あなたの感じてきた全ての愛は生まれなかったからです。如月から聞いて知っているでしょう?人類が滅亡するか否か、それぐらい古代は切迫した状況だったんです……。今の世界はその可能性が実現した世界よりは愛に満ちた世界です。」
「……例えそうだとしても、皆が一つの原理に従って生きていくなんておかしい。」
「……あなたは誤解しているようです。愛とは究極的には人の自由であり、真に主体的なものなのです。それは至るところにあり得る、でもそれを自ら感じない限りどこにもない……。ただ、愛をもって生きる人はいつ何時彼がどこで何をしていようとそれに満たされている。それはあらゆる条件に必然的に結びついていないが故に、あらゆる条件に偶然的に結びつくことが出来る。」
「何だって?」
「愛、つまり、この世界を赦すということ、それを突き詰めれば……赦しえぬものを赦し続けたならば、それは人が求める限り、あらゆる状態を許容する。それは崇高だと思われていた幾つかの観念を没落させるまでに……。愛においては全てが赦され、全てが許されているのです。つまり、それには無限の様態が許されている……。」
「一律的ではないということか…。だが、全てを許してしまったら、犯罪にまみれた無秩序な世界になりかねない。」
「ええ。そうですね。愛は律法の限界において見つけられることが多い、だから善悪の彼岸で起こると言われます。しかし、善悪の彼岸とは、善悪、律法を全く利用しないということではありません。何故なら人が愛を持って生きる時、それは律法の狭間を跳躍できると同時に、律法を乗っ取っているからです。愛とは、律法を超え、そして律法を支配し得る慈しみなのです。」
「それで?どうやって犯罪と無秩序を克服するというんだ?」
「愛は律法を超え得る。だから、秩序の問題に関しては、必ずしも秩序だった世界を目指しません。それは秩序と無秩序の一方に対して必然的な関係を持たない。その両方を手段として持ち得る。」
「でも…」
男は一朗の反論を遮って語る。
「ただし、絶対的な無秩序にはなり得ないと思います。私の考える愛に満ちた世界が実現したときーーーそこまでの高望みはしていませんし、私には実はその姿が想像できないのですがーーー、少なくとも誰も意図的に他者を害する犯罪は起こさないでしょう。なぜなら、私が愛と呼ぶのは、“他者を愛で満たす、つまり他者が世界を愛し、世界を赦すことができるようにする行為”だからです。私が愛と呼ぶものはその本性からして他者を征服するのです。この世界に絶望する一者に祝福の口づけを施すように、愛とはある一者がある一者に対する他者に、関係性のおいて他であるところの他者、それは“私”に対しての“あなた”や“彼ら”、“この都市”に対しては“他の都市”、“今を生きる人々”とっては“未来の人々”、それらの他者にこの世界を愛することが出来るように働きかけること、他者を愛の主体に変えることなのです。そして、他者がこの世界をゆるし愛することができるように、他者を愛の主体に変えるために施す愛は、その本性として他者を害することがない。私が愛と呼ぶのは他者を“もはや愛せないという地獄“から救うこと、他者が世界を愛するようにできるようにする行為です。」
「……それは他者のために自己を滅却するということか?」
「なぜそうなるんです?自己を滅却する訳はありません。なぜなら、例えば、あなたが他者に世界を愛せるように働きかけて、それが成功したときには、その他者はあなたも世界の一部として愛し、あなたも世界を愛せるように働きかけるはずだから。」
一朗はその反論に対し何か言おうとしたが言葉が出なかった。
「そして、その世界が実現したその時には皆が世界を赦し愛しているから、だから、世界の一部であるあなたも必ず愛される。決して、それは自己を滅却し得ない、寧ろそれはあなた自身を愛することに繋がるしたたかな思想です。それが成功した時、愛を授けることと愛を授かることは異なる仕方で一致する。愛はそのように他者の愛を目的とし、感染し、征服し、自己増殖する、主体の限界を超えて能動的に関係が取り結ばれていくことーーー“愛する、だから愛する”という同語反復なのです。言い換えれば、それは赦しと許しを他者へ伝播させていくことです。それは自己の自由のために他者を復活させるのでなく、他者の自由のために生きながら自己を復活させる、反転する自由戦争の論理、”自由であれ“という命令なのです。それは他者の自由を奪い、貨幣により奴隷化するのではなく、寧ろ他者に自由を与える、つまり他者に赦しと許し、愛を与えることをこの宇宙に住む万人に伝播させ続ける。“自由であれ”という命令なき命令を全ての時空間に、遍く世界へ伝播させることなのです。その愛の戒律は従うことも逆らうこともできない。なぜなら、“自由であれ”においては“全てが許される”、だが、人がその命令に従う時、“全てが許されている”ということから自由ではありない。さらに、“自由であれ”という命令に従うと決めたその一者が何かの規則に従うとしても、その自由を放棄した状態であるにもかかわらず、己を縛る“自由であれ”という命令に服従していないため、自由な状態にある……。」
「待て、それじゃ普通に規則に従っている人間、規則に隷従している人間と、“自由であれ”という命令に従っている人間の区別が全くつかない。それは欺瞞だ!それはあらゆる矛盾を許す二重の思考で、ダブルスタンダードじゃないか。」
「たしかに、それは外見から区別をつけることは難しい。しかし、単純に規則に従う人間と“自由であれ”という命令に従う者は厳密に区別される。なぜなら“自由であれ”という命令に従う一者は自らがその手を取ることができる他の選択肢、それを保有しているからです。それをその都度排除することで、規則内の選択肢を選択しているから、その点が決定的に異なるのです…。二重の思考と言いましたね。しかし、私が言いたいのは、人が二重の思考から完全に逃れられると思うこと、それ自体が二重の思考に他ならないということです。むしろ、歴史はあらゆる二重の思考から自らは逃れていると思う人こそが、他者を赦すことが出来ず、悲劇を呼ぶということを示してはいないでしょうか。そして、私が言いたいのは人の持ち得る最も崇高な理想、自由こそがそれを抱え込まざるを得ず、それを抱え込むが故に復活の可能性を秘めている、そういったことです。つまり、自由はその本質として、自らの持つ選択肢の中から一つを行使して、自身の持っていた他の可能性を放棄しなければ自由である意味がない。自由は行使すればそれを失うが、逆説的に、それを保持しつづけ、何も行動を起こさなけえば、不自由そのものであるのだから。つまり、自由は地に落ちて死ぬことで次なる自由の実を結ぶ、常にその死と再生の矛盾と二重拘束性の中にあるのです。」
一朗は再び黙り込んだ。
「“自由であれ”、その命令は神なき後、人が持つ絶望と希望の二重拘束であり、“反転する無神論”、“反転するニヒリズム”なのです。…自由には外部がない。なぜなら人は常に自身の持つ自由において取りうる選択肢から一つを選ぶほかないから。自由には内部がない。なぜなら、人は常にこの世界の規則が許す選択肢の他に選択肢を持たない、つまり許された選択肢から自由でないから。人はいつもその命令の外部に立つと同時に、その内部から逃れることができない、あるいはその命令は外部と内部の境界を持たない、だからそれはあらゆる共同体に対して浸透し得る、つまり、全世界の市民を統べる真に公共的な理念たり得るのです。それはあるいは一つの人神思想です。つまり、他者をあらゆる害悪への恐れから解放された愛の主体、”全てをゆるすことができる神“、善悪の二項対立の絶対性を放棄し、“全て善しと言う神”へと変えるための思想ーーー。さらに、重要なのはそのような逆説する格率の内容ではなく、その命令が伝播するという契機、“ゆるす“というという形式が存在し続けなければならないということです。そして、この戒律に従う者はもはや自らを正当化しない、その自由がこの理念を“正義”から解放し、“征服”という命令の形式に変える。“自由”であるということ、それは人の子の持つ権威において“赦し、許す”という行為、愛を目指すこと。“自由であれ”、その全く無価値で、何よりも尊い命令が永遠を目指して伝播していくこと、ストイシズムの倫理と果てなき欲望の精神が交わる場所、それが“愛による世界征服”の意味なのです。」
「あんたは一体何を…」
男はいつのまにか息を切らして、その猫背で歪んだ肩を揺らしていた。
「果てなき未来を含めた他者に自由を与えるということ、それが完全なる真実において判断し、完全なる善において人を裁き、完全なる審美をすることが不可能な、完全なる真善美を持たない我々が取れる唯一の政治、経済的決断、生きて死ぬための生存戦略だと思うのです。この不可能性を知った後に正義を騙ることほど痴がましいことはありません。完全なる真実、完全なる善、完全なる美を我々が持ちえないという不可能性、それ自体が我々が普遍的に共有する一つのかすがい、逆説的“真実”であり、自由はその別表現に他なりません。それに気づいた時から、人はいかなる正当化をも退ける善悪の彼岸において、一つの生存戦略として自由、愛による世界征服を成し遂げなければならない…。その見地に立った時、人の生はもはや正義、善、”より良い“、倫理を最上位の目的としない。かの“無知なる賢者”はいかに善く生きるかを問うた。しかし、私は自身が正義、善であることを、いかなる努力をしても自由が倫理的に正当化できることを騙らない。悪であることも積極的に自称しませんが…。自由は善と悪を超越する目的なき目的であり、私の用いる正義は自由のための手段に過ぎない。言い換えれば、自由は常に倫理に対して超越しているのです。……“完全なる真実、善、美”を私たちが取ることをできないのは、そもそもそれら自体が完全なものではないからです。この世のほとんどの正義、“より良い”ということ、ほとんどの真実、正しさ、ほとんどの美しさは悪を、誤りを、まがいものを、美しくはいられない者どもを排除し、選択を行うという性質上、普遍性を持ち得ない。……この世の全ては人の手で飾るまでもなく美しいという美、この世の全てが善いという善、究極的には真実は分からないという真実を除いて。だから、私は愛、赦しと許し、“自由であれ”の命令を伝播させることで遍く未来、この世界を征服する。人は正義と真実が命を殺め、美が他者を排除した時、正しさ、善、美に幻滅した時、その使命に気づく…愛、自由による世界征服に。あなたたちはそれを行っているのを知らないかもしれない。でもあなたたちはそれを部分的にも行なってきたし、行っていく。この世界を受け取り、未来の他者に残していくことで未来の子どもたちがこの世界を愛せるように生きている。この限りある”世界のとり得る状態“を時の中で奪い合わざるを得ない万人の闘争の中で、2個の者が同じ場を占めることができない、つまり、情報が、他者との関係が存在する、”選択という原罪“が存在するこの世界の中で、ーーそのような世界の中でなければ愛に重要な意味などありませんーーリヴァイアサン3.0を介することで他者を愛の主体に変えていく……。この世界に他者が存在する限り……。……だが私はリヴァイアサンに固執する理由もない。あなたが自由を実現する世界を作ってくれるなら。しかし、私の場合はそのために幾千年もの昔、望む望まざるにかかわらず、リヴァイアサンを作らざるを得なかったのです。あの混乱の時代に…。」
息も絶え絶えに語る男の顔から赤い血が流れ始めた。それはどうやら皮膚の縫い目から滲み出てきたようだった。男はそばにあった巨大な柱に寄りかかった。
「ハルマゲドンの時に……?」
「ハルマゲドン…?何ですか?それは…。」
一朗の問いかけにアレクセイはその意味がわからなかったようだった。
「人類が地上から追われたのはハルマゲドンと呼ばれる隕石が落ちてきたからなのだろう…?」
「何ですか……?そのような話は聞いたことがない…。人類がこの大地に住めなくなった原因、ヒト以外の全ての生物が絶滅し、”ひかりごけ“とbio-A、そしてその培養肉を喰らい生きる他なくなった原因それは自由戦争の終焉に始まった。」
「自由戦争の終焉?では、吼師学院の義務教育でインストールされたこの世界の姿、自由戦争の激化による格差の拡大、資源の蕩尽による環境破壊と僭主の登場による巨神兵の動員、これは正しかったのか……?」
「少し違います。その当時、確かに環境破壊は進行し、地上での生が危ぶまれていた。しかし、危機はまた別の形でやってきた。」
「別の形?」
「自由戦争の終焉、それは……“貨幣を受け取らない他者“が現れることで訪れた。」
「貨幣を受け取らない他者……?如月の言ったハイパーインフレーションか?」
「…いや、こう言った方がわかりやすいでしょう、つまり、人々があらゆる労働から解放されたためです。シンギュラリティが到来し、AIが人間の知能を超えて、AIがAI自身を無数に創造するようになり、人類のあらゆる知能労働にとって代わった。……そして、生殖機能付き自律型汎用労働ドール、モデル:ミームシリーズ、モデル:エリカシリーズ、モデル:ハリソンシリーズ、そして、火の一週間でも投入されたモデル:アーノルドシリーズ、これらアンドロイドの発明により自由戦争は終結、破綻した。」
「労働からの解放で……?」
「考えてください。完全に再生可能エネルギーで稼働するアンドロイドの発明、“貨幣を受け取らない労働者”によって、労働市場にイノベーションが起きたのです。それらの方が人間の労働コストより格段に安くなり、物価が急速に低下した。もしも人が合理的で、有限の貨幣しか持っていないならば、人間の作ったものよりも安価なアンドロイドが作ったものを購入し、消費するでしょう?そして、技術革新によって、その状況を変えようとしても計算能力で遥かに優位に立ち、無数の生産様式の新結合を瞬時に検証していく人工知能には勝ち得ない。つまり、人の手で労働によって対価を得ることが出来なくなり、技術革新によってそのゲームを変え世界を変革し、主客転倒する可能性も完全に剥奪されてしまったのです。しかし、物価が大幅に下落したとはいえ天然資源の希少性は解消できず、資源の分配自体は行う必要があった。そして、人々は相も変わらずロボットの進化とシンギュラリティの到来以後も、貨幣によって資源を分配した。我々は自由戦争の正義から自由になり、次の新たな倫理を編み出し、構築することが出来なかったのです。今だから言えることですが、自由戦争は確かに一つの時代を築いた思想でしたが、それは永遠で無条件の正義ではなく、捨てられるべき梯子でした。その後、人間に残された労働はその時点で所有していた貨幣をどの人工知能にどのような量をどのような配分で投資するか、もはやその程度に限られた。そうなれば、初めに持てる者が持てぬ者との富の格差を自動的に拡大させて行くこととなり、それは出生の偶然により決定される絶対に覆すことのできない、二極に拡大していく身分階級と化す。無論、AIは天然資源の希少性を克服するための努力を行いました。しかし、それはAIの知能でもってしても不可能でした。今、四菱重工社に存在する莫大なエネルギーを消費する素粒子プリンタはその名残です。そして、富める国家とその巨大企業と、貧しき国家はそれぞれが賢明に、彼らの正義でもって対立しました。かたや、先人が血と汗を流し残した富と知恵の所有権を主張し、かたや、もはや覆しようのない格差を是正することが正義であると。そして、貧しい国家はさまざまな攻撃を行いました。その中でも凄惨だったのは遺伝子攻撃とバイオテロでした。ゲノム編集によって高確率で遺伝病を発症する人間を大量に生み出し、移民として密かに他国に入国させる。長期的にその効果が現れ、敵国の市民の遺伝子は汚染されている…。そして、王冠の名を戴くウイルスによるバイオテロ。自国で創造したウイルスで敵国において拡散、パンデミックになった後、予め作成しておいたワクチンを高額で売りつける。そして、感染は意図しない他の貧しき国に広がり、富めるものだけがワクチンを獲得し、その供給に偏りが起こり、さらなる憎悪が広まる。そのような応酬の後に、最終的に巨神兵が動員され地上は荒廃した…。」
「そんな…。」
「もちろん、過激な手を使ったとはいえ、一概に貧しき国家を責めるわけにはいきません……。古代よりももっと前、“モダン”と呼ばれた時代、まだ高度な計算機も存在しなかった頃、市民は専制君主を暴力によって排除、無力化することで自由を勝ち得たということは知っていますか?」
「それが何か?」
「それは裏返せば、その当時の議会制度、自由戦争、民族国家の秩序は、“市民”が主体であった、始まりはさまざまですが、市民の“力”によって市民自身が支配されていた、市民が市民自身と、そして“発展の途上にあった”他の国の労働者を、互いを必要としあっていたからこそ実現した市民の市民による市民のための国家であったということです。しかしアンドロイドの発明でもはや富んだ一部の国々と巨大企業は“生ける市民、労働者”をわざわざ使用する必要がなくなった、彼らの力を恐れることもなく、無論彼らを保護する理由もなくなった。だから、貧しき人々が全て結託して資源配分の格差是正の正義を主張したところで、富める国家や一部の巨大企業を制御するパワー足りえなくなったのです。そして、テロルに頼らず、生身で戦闘を行う人々が完全に不休で戦闘を行えるAI、ドローン、モデル:アーノルドやハリソンをはじめとするアンドロイドに太刀打ちできるはずもなかった。これにより、資源配分の差は覆し得なくなった。このためにバイオテロが各地で起きた…。これが自由戦争終焉のあらましです。そして、今私たちの時代が来ている。アート、人の業とベーシックインカムの時代が…。」
「今がアートの時代?」
「ええ。今、開発者、管理者や夢のクリエイター、”Share”の配信主の行っていることも“労働“と呼ばれていますが、そんなものはこの都市を営んでいくのに何ら必要はありません。それらは、生存に必要のない余剰、ただのアートであり、公共事業として意味のない穴を掘って埋めているようなものです。」
「でも開発者は高額な給与を得ているはずでは…。」
「それは一部の開発者の間でまことしやかに語られている都市伝説にすぎません。寧ろ、開発者と管理者という職業はクリエイターなれない、創造力に乏しい者達に準備された惨めなものに過ぎない。今の開発者の研究はリヴァイアサンの掌の上で運ばれているか、時々自分で考える人がいてもリヴァイアサンのそれに比べれば児戯に等しい。あなたも知っているでしょう?この都市で生まれる発明や新たな商品は全て予測されきっているということを…。その上投資、金融もほとんど消え、資産の相続も出来なくなってしまっていますしね…。私たちの時代、アートの時代、それは時の大衆の選択が配分される資源の量を決定する、“勤勉”、“探究”が無意味と化し、あらゆる文化的、連続的日常の慣習が破壊され、ただ、扇情的な才能が勝利する気まぐれで過酷なユートピア…。いや、扇情の才能すらAIには勝てない…現代を代表するクリエイターは皆リヴァイアサンの人格のうちの一つ、仮想アイドルはもとより、例えばAnn Shiloh Procterも…。」
一朗は驚きを隠しきれなかったが、一つ浮かび上がった疑問をぶつけた。
「でも、自由戦争と民主主義が廃れたのにも関わらず、なぜあんたはそれでも“自由”を標榜するんだ?」
「その理由を答える前に、“民主主義”という言葉は間違えられて伝えられた言葉だと、訂正しておきます…。正しくは“民衆主義”というのです。」
「そうなのか?」
「数千年生きてきた私がいうのだから間違いありません。あなたの問いに答えましょう……一般に自由戦争と民衆主義は自由を至高の価値として標榜しているといわれました。しかし、単純に考えて自由はそのどちらでも万全に取り扱うことはできない、―――それを理解しながらも古代の人々は黙殺してきたようですが―――なぜなら自由戦争も民衆主義も一つのシステムでしかなく、自由はそのシステムとは独立に存在するためです。例えば民衆主義の中にいるものは民衆主義から自由ではない。それに、自由戦争は様々な自由のあり方、つまり原子歴以前、それよりもっと前の太古から続く社会システムや共同体を破壊してきた……。元はと言えば、私が集知主義を設計したのは、その当時“言葉の通じない他者”が主要な問題となっていたからでした。“言葉”と“契約”によるコモンウェルスではなく、“情報”と“ドグマ”のコモンウェルスが現れたのです。さらには依然として虐殺を起こしたイデオロギーの信奉者が跋扈していて、彼らを“言葉”によって説得することができなかったということもありました。そもそもの“他者を排除してはならない”という基本的価値観とされていたコミュニケーション基盤自体を持たぬ人々や、国家が少なからず存在した。民衆主義はあらゆるイデオロギーの中で至高のものであり、それは歴史の終焉をもたらしたと語られた。しかし、イデオロギーがその歴史の終焉を辿っても、世界史はイデオロギーによって駆動している訳ではなく、ただただ唯物的だった、少なくとも私がそれを構想したその当時は。だから、当初の集知主義はかつて構想された“Banqold”と呼ばれたシステムのように残された人々と都市国家間の利害を自動的に調整するシステムだったのですが……。」
「それがリヴァイアサン…。」
「ただ、私の理念が民衆主義を原理的に排除するということは意味しません。事実、更に遡って私が一番初めに、人類が地下に逃げ込む前に行おうとしたことは集知主義を生み出すことではなかった。それは永遠の平和のためにある民衆主義国家を作るためのものだった。」
「ある民主主義国家?」
「ええ。それはネーションによる民衆主義をさらに一歩進めて、世界市民による民衆主義を生み出すための理念でした。その当時、自由戦争の真っ只中にあった国家の武力を放棄させ、永遠の平和、戦争の可能性が根絶された世界、世界共和国を設立するための。」
「その理念が自由なのか…。」
「はい。世界市民を統べる論理は極限まで普遍性を持たねばならない。選択、排除を伴う理念は全ての世界市民を救い得ない。そして、理念に選択が存在する形態で市民を統べるということは世界市民を規則の機能へと還元することに他ならないため、それは避けなければならない。“自由であれ”を維持したまま、社会に持続可能性を持たせるためにそれによって世界を、未来を征服する、私はそう考えたのです。」
「しかし、その民主主義国家の実現は叶わなかったということか……。」
「いえ、というよりも、結局のところ、民衆主義ですらその当時の国家を次の段階に進ませるための、世界共和国を統治する理念にそぐわなかった。」
「なんだって?」
「なぜなら、単純に民衆主義を当時の分散された国家単位ではなく、全世界に拡張する形で適用すると、少数派の保護という原則はあれど、多数を占める民族の有利に政策が左右されることが多くなる、つまり、純粋な数の暴力が世界で合法化され、虐げられた民はもはや誰にも救われることがない。そして、その状態は一つの誤りが全世界を破壊することにつながりかねない、たとい多様性を担保して民主的にそれが決定されたとしても、決定するという行為自体が多様性を担保されていなければ世界は極めて危険な状態だと考えたためです。」
「……!」
「私は民衆主義をその存在自体を否定することはありません。しかし、ただそのイデオロギーは全世界を統治する理念、永遠の平和のための人間の究極的な目標に足り得なかった、少なくとも、民族という固定的な集団が残っている限り、人間がその内部で利害を共有し、その母数が大小極端な偏りをもつ集団を構成する限り。仮に前者の民族は時の変遷によって消失したとしても、後者の純粋な条件を廃することは出来ない。私の考えでは、その条件を廃するということは全ての地政学、個人間から国家間まであらゆるレベルでの政治が消失するという意味であり、そして、そのためには全ての人間が“時空間”から解放されなければならない。それは不可能であるし、現実的ではない、少なともそうなれば、“人間”が終焉に至る。」
「……。」
「その当時は、“民衆主義”か、“専制”か、その二項対立を強いられた世界だった。私はただ各々の国家がどちらの選択肢をとっても問題は解決することができず、その上位の世界共和国が必要であり、そしてその統治形態においては、そのどちらをも否定し、ただ、自由の均衡だけが必要であると考えた。しかし、私の理念を世界に広げる前に大地は荒廃してしまった……。それでもまだ終わったわけではありません。私は未来に自由を与える、最後の他者にまで…リヴァイアサンが思念の情報を読み取ってまで資源の分配を調整するのはそのためです。」
「だが、あんたのそれは……一つの終末論だ。」
「ええ、そうです。これは一つの終末論。そして、それを超えていくための思想。私は思いました。この世で最も不幸に、地獄を生きることになり得るのは最後の子どもだと。それでも、もしも、私たちが皆未来の他者が世界を愛することが出来るように生きたなら、彼は今これから生きる全ての人間から愛をうけた最も愛された人間にすることができるかもしれない。……彼、人類の総決算、私たちの歴史に文字通り最後の審判を下す大審問官に愛を授けるために生きて欲しい。私たちのこの世で最も救われぬ子どもに自由を与え、そして赦しを与えられること、つまり未来の他者との沈黙交易を、未来の他者とのコミュニケーションを目指すこと、“全てが赦される”よう生きること、愛による世界征服はそれらを含意するのです。勿論、最後の人間、彼にとってそれが慰めにもならないということもあり得ます。終末論と言いましたが……私がロケットを打ち出すのはそれと関連しているのです。」
その時、ガラスが割れる音がして、一朗の右大腿に激痛が走り、そこから血が流れた。すぐに如月とニルが部屋の中に入ってきた。
「一朗まずいぞ!治安維持管理者どもが駆けつけてきた。」
「500m圏外からこちらを狙っているみたいだわ。」
「クソッ……分かってる。」
そう言って一朗は自身の足を見た。如月は数少ない窓のカーテンを閉め始めた。外からは何かを叫ぶ声が聞こえてきた。
「僕は…取りあえず最後までこいつの話を聞いてみたい……。あんたはなぜロケットを…?」
「お前達は包囲されている!昏一朗!人質を解放して投降しろ!。
建物の外側から治安維持管理者の声が聞こえる中で、男は話し続けた。
「私は……命の種を撒いているのです。」
「命の種?」
「私はリヴァイアサンを作り上げた後、もはや私がなすべきことを成したとと感じました。次にしているのはこの地下都市が朽ち果てた時のために、為すべきことです。私はこの都市に生き残っていた菌類やバクテリア、この地下のさらに奥深くに生息している極限環境微生物をフラスコに入れ、ロケットに詰めて、天蓋を破って打ち上げています。勿論失敗もありますが……。人類の終末、歴史の終焉を受け入れ、乗り越えて、この大地が生きた証をこの世界のどこかでひっそりと残していく、新たなる命の歴史の始まりの可能性のために……。このロケットの中でフラスコを打ち破り新たな知的生命体が生まれるのに望みをかけて…。」
「それは……それが成功した時は、他の星を暴力的に侵略することに繋がり得る!」
「そうかも知れません。しかし、私がここでロケットを打ち上げなければ、この大地の生命は孤独なままです。それは自らが愛したい他者に出会うことすら出来ない。テロルを恐れては、他者と関わることすら出来ない。」
「一朗!何を話しているんだ?この男は。」
「……バイオテロリスト、ロケットマン…あなた方が私のことをどう呼ぼうと構わない。それが私とこのリヴァイアサンの世界からの孤立をもたらしても構わない。ただそこで、コミュニケーションを断ち切ることで得る復活の可能性がある。この天蓋を打ち破るロケットは一つの未来への賭け」
その暗い部屋に赤い閃光が走った。
「お前は……危険だ。」
一朗はそう言うと、ドリームキャッチャーを持つ震える手を降ろした。ロケットマンは1人、何かを呟き始めた。
「私はアリス。世界有数の巨大企業で働いていた。特殊工作員として地下極秘施設を警備。そこで密かに開発されていたのはウイルス兵器。ある日ウイルスが漏れ全所員が死んだ。だが死者は目覚めた。ウイルスの力で。生還したのは私と……」
「……一朗くん、それが君の選択なんだね。」
如月はそう言って一朗を見て口をつぐんだ。代わってニルが話しかけた。
「お前がこいつと何があったかは知らないが、ガラクーチカのありかは聞き出せたのか?」
「ああ……。そのC-18番と書かれた扉の中だそうだ。」
一朗はその扉の前まで歩くと、ドアノブの付いている古い扉に手をかけた。扉を開けると、その中には背の低い細い葉を持つ植物が敷き詰められている狭い空間があって、複数匹のbio-Aが飼育されていた。それらはどれも白い体毛に赤い目、小さな体に比して長く細い耳を持ち、首輪を付けられていて、そこに生えていた植物を咀嚼していた。
「これはうさぎ型bio-A?」
すると、如月が一歩前に出てbio-Aのうちの一匹の頭を撫でた。
「ガラクーチカはオリオンのベルトに…。これらのbio-Aの名前はオリオン。そしてこれが…」
如月はそのbio-Aの首輪を外して一朗達の前に掲げた。一朗がそれを見るとその首輪には深い青色のガラス玉のようなものが付いていて、中に吸い込まれそうになった。
「…ガラクーチカよ。」
「へー、このビー玉みたいなのが。」
如月はそれを一朗へ渡した。
「これはあなたには何色に見える?」
「深い青色…。」
一朗が戸惑いながらそう言うと、如月は微笑んだ。
「そう…。ガラクーチカは見る人によってその色が異なるの。それを見ることもできない人もいるし、見える人でもずっと同じように見える人もいれば、その日その日、その時その時で違うように見える人もいる。」
「そうなのか……。」
その時、再びガラスの割れる音がした。銃弾が床に穴を開けたのを見てニルが口を開いた。
「それはともかく、一朗、どう切り抜ける?その足で…」
ニルは一朗の足に目をやりながら尋ねた。
「この足ではもはや走れないが……僕に考えがある。如月、あんたの力が必要だ。」
一朗はそう言って如月を見た。
「私?」
「昏!最後通告だ!大人しく投降しろ!」
治安維持管理局に残っていた骨董品の拡声器を使用して、ケビンは叫んでいた。治安維持管理者たちは廃墟数棟に陣取って、辺りにはスナイパーが数人と機動隊のアンドロイドやドールが控えていた。
「奴ら…ずっと無反応か…。下平が昏の足を撃ち抜いたようだが…。どうする、レヴィ、ローレル?」
「ケビン、ここの指揮は私1人の担当になった。ここを持つと彼女が稼働しているサーバーの処理能力が足りなくなる可能性がある。」
リヴァイアサンがケビンに話しかけた。
「そうか。レヴィ。で、どうするんだ?」
「アイアンギアを投入する。」
「わかった…。頼んだぞ、レヴィ。ジェームズの得た手がかりを無駄にするな。」
リヴァイアサンは少し沈黙して返事をした。
「ああ、わかってるさ。……ジェームズについてはすまなかった。」
「いいさ。レヴィ、奴は若かった。故に真実の力に魅入られてしまった。我々は真実なしには生きてはいけない、だが、真実だけでも生きてはいけない……。……それよりも、幸いここは周囲に人が少ない。アイアンギアを使うにはもってこ」
「待て、ケビン。」
「?」
「下平が何かを見つけたようだ。男がこちらに走ってくる。あれはあの廃墟に住んでいた数寄者の男だ。人質が解放されたらしい。」
ケビンが目を凝らすと数百メートル先を黒いローブを着た男が走っていて、廃墟の中を息も絶え絶えに治安維持管理者達の元へと向かってきた。ケビンは様子を見るために近寄って行った。
「ハァハァ、外に出れた…助かった…あそこは地獄だ。」
治安維持管理者が数人、毛布を持ってその男のそばに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
黒服の男が男を毛布で包むと、息を切らしたその男はその場に倒れ込んだ。男の顔は多様な人種の皮膚がつぎはぎに縫い合わされていて、血が噴き出た跡があった。
「信じられない。逃げ出せるとは……。ハァ…そして、いい知らせがあります。」
「いい知らせ?」
駆けつけたケビンがおうむ返しに聞き返すと、男は縫い目だらけの笑顔で言った。
「これです!抗ウイルス剤を手に入れたのです!」
そう言って男は銀色の棒状の装置を掲げた。
「……!マズい!これは」
ケビンがそう言うと同時に辺りは真っ赤な光に包まれた。そして、その周囲500mから一斉に声が上がった。
「「「「「抗ウイルス剤を手に入れたぞ!これでゾンビからこの街を救える!子どもたちを守れ!この街の全員にこれを摂取させるんだ!」」」」」
辺りにいたアンドロイド、ドール、スナイパー、機動隊、廃墟に住む数寄者、それらの人々の目が真っ赤に光ると、各々のドリームキャッチャーを持ち、四方八方に散り、辺りに住む一般人に“抗ウイルス剤”を摂取させ始めた。ある者は自動車を使い、ある者はメトロを使い都市に侵入しようとし、そして、ある者は”Share”を使って“抗ウイルス剤”を広めていき、それは瞬くまにリヴァイアサンの都市を飲み込んで、街の至るところで“抗ウイルス剤”の赤い閃光が走った。
「マズいぞ!ローレル!ゾンビ映画のドリームテロルだ!停止命令も効かない!コモンセンス上の全てのデバイスを“Share”から切断しろ!」
「分かったわ、レヴィ。私もサポートに回る。」
「恩に着る。……これより、国家総動員法に基づき、オーダー“H28.6.2”を発令する。この都市に存在する全ての“契約者”に命ずる。義体化していない子どもたちをこの…このドリームゾンビたちから避難させるんだ!」
すると、まだ“抗ウイルス剤”を摂取していない全ての市民―――社会契約を取り結んだあらゆる都市の住民―――の目が赤く光った。リヴァイアサンの住人たちは極めて無駄のない動きで子どもたちを誘導し始めた。都市は真っ赤な眼光の人間で満ちた、戸惑う子どもたちを除いて。
「ローレル、500m圏内にゾンビが迫っている箇所をピックアップして、その付近にいる契約者にスナイパーアプリケーション、“下平”を配布しろ。全ての市民が最寄りの治安維持管理署から狙撃用ニュートラライザーを持ち出すことを許可する。」
「分かった、今、署員に通達したわ。でも、下平とニュートラライザーを装備しただけでは心許ないわね…。」
「…やむを得ない。アイアンギアを使う。」
「了か……レヴィ!アイアンギアは使用できない!この都市にあるアイアンギアが全機何者かによって起動できなくなっているわ!」
「何だと!?」
「数分前にステルスゲームの夢遊病者が格納庫に侵入して、bio-A部分の神経系を破壊してまわったたようね…。」
「クソッ!ローレル、もしもこのまま事態が収まらなければ……“太陽の松明”を使う。」
「そうね。でも、それは本当に最後よ。」
「分かってる。“松明”なしで事態を沈静化させよう。指揮に戻ってくれ。」
「了解。」
その頃、一朗は窓の外で赤い光が発されたのを見ていた。そして、如月とニルに言った。
「作戦通りだ……。さあ、竜の門へ行こう。」
「……そうだな……一朗。」
「一朗くん……」
如月は何かを話そうとしたが、一朗の目を見て口をつぐんだ。
「何だ?如月?」
一朗がそう尋ねると、如月はしどろもどろに言った。
「えっと…その。そう、竜の門への入り口と中に入ってからは私が…案内できるから。」
「……?それは前にも話しただろう?」
「…そ、そうね。」
一朗達は部屋の外に出て乗ってきた車に乗り込み、都心部を目指した。辺りには“抗ウイルス剤”を手にした市民がゾンビを探して徘徊していた。
「ゾンビだ!ソンビが車を運転しているぞ!」
「知能のあるゾンビだ!」
如月はそう口々に叫んで道路に飛び出してくるゾンビを跳ねながら都市の中を駆け抜けた。
「モンスター、キャッチだぜ!」
中にはどこかで聞き覚えのあるフレーズを口にしたゾンビも跳ねた。
そして、廃墟を抜けて走り続けて竜の門の目の前まで来た時、如月が運転していた車がハンドルを取られてビルに激突した。
横転した車からそのまま路地裏に脱出した一朗は如月に向かって叫んだ。
「何があった?如月!」
「一朗くん!ニル!隠れて!おそらく下平に見つかった!」
一朗たちは無数の銃弾が飛んでくる中、そこから出ることが出来なくなった。
「あともう少しなんだが……。」
一朗達が隠れた後もゾンビに向けて銃弾が飛び交っているのを見てニルが言った。
「スナイパーはゾンビに手を焼いているようだな。」
「二手に分かれよう。僕が車のある方から」
そう言って、一朗が横転した車の陰から顔を出した時、自身の頭に焼けるような痛みを感じ地面に倒れると、すぐに身体が動かなくなった。
一朗の脳裏に樫田の叫び声が浮かんだ。
「……顔を出すな。お前の頭が吹っ飛……」
一朗は王家の墓に向かって這いずろうとした。しかし、その視界はゆっくりと暗闇へと変化していった。
「……朗!…かりしろ!……」
遠くで誰かの吠えるような声が聞こえる。
「……ル、……もうダメ……」
体の末端から熱が消えて冷えていくにつれ、全ての力が抜けていき、世界が遠ざかっていくように時間が間延びしていった。
「……父さん……」
体に起こる全ての変化が遅延し、それが停止した時、一朗の意識は永遠へと落ちていった。そして、その瞳に光が戻ることはなかった。
「レヴィ!テロリストの昏の遺体を確保した!」
一朗が倒れてしばらくすると、黒服の男達が近寄ってきた。
「この男には聞きたいことがある。記憶の中身を確認する。治安維持管理庁本部に運び込め。スナイパーは撤収させる。」
「分かった。」
ニルと如月は続々と集まってくる治安維持管理者を、近くの路地から見ていた。
「……あの身体ではもはや俺たちに出来ることはないか…。」
ニルが如月に尋ねると少し考えて答えた。
「……そうね。周りにいる治安維持管理者は私の目でどうにかなるけれど……頭を撃ち抜かれてしまっては、もう……。」
そう言って如月は黙り込んだ。ニルと如月はそのまま何も話さずに、一朗の身体が運び出されていくのを見ていた。その時、如月達は背後から声をかけられた。
「おや、お二人さん。何をそこで立ち止まっているのですか。」
ニルと如月が振り返るとそこには黒いローブを纏った男が立っていた。男の顔はさまざまな人種の皮膚が縫い合わされていて、大きな丸眼鏡をかけていた。
「作戦通りだな。一朗。」
ニルがそう言うと、男は不気味な笑みを浮かべ、その顔を歪めた。
「ああ。これで私は死んだ。」
一朗と呼ばれたその男は不揃いな大きさの指がついた歪な右手で眼鏡を軽く持ち上げた。如月はその様子を見て声をかけた。
「……これで良かったのね。一朗くん?」
「もちろん、如月。私の記憶をこの身体に埋め込んでくれてありがとう。感謝します。」
「…でも、あなたの身体は」
如月は治安維持管理者が集まっている方を見ながら何か話そうとしたが、一朗はそれを遮って言った。
「これが誰の身体であるか、私が誰であるか…、そんなことはどうだっていい。この都市を生きる私たちには“人間”も、“私”もない、“歴史”、過去もない、だから“現在”さえもない……全く何も残されていない……。ただ、自由を除いて。」
そして、一朗たちは竜の門から王家の墓へ侵入した。その広大なサーバールームは前訪れた時よりもずっと冷えていて凍てつくような寒さだった。一朗達はそこから水槽だらけの部屋に入っていった。如月は迷うことなく目的の脳の前まで歩いて行った。
「978-4-00-007_263-2。ここから最深部へ行ける。降りましょう。」
一朗たちは再びその窪みだらけの部屋に来た。すると、一朗のポケットにあったガラクーチカが強烈な青い光を放ち始めた。
「これは……?」
「この脳波は…アレクセイ!それは……ガラクーチカ…!まさかこのタイミングで来るとは…。」
部屋全体に興奮した男の声が響き渡った。ニルは男の声を聞いて如月に吠えた。
「リヴァイアサンに気付かれた!?如月、お前、目のドリームキャッチャーを解いたのか!?」
如月は笑顔で答えた。
「ええ。ここまでガラクーチカを持って来れば、リヴァイアサンから危害を加えられることはないから。」
「如月…!それにbio-A?不思議な組み合わせだな。」
一朗はどのような反応をしたのものか考えていた。
「ここに来るのは一朗かと思っていたよ…。だが、来たのは君だった。アリョーシャ!今この都市がどういう状況になっているか知っているだろう?この都市の住民の約半数がドリームテロルの被害者になってしまった。一朗は最後にとんでもないことをしてくれた。」
穴ぼこだらけの部屋の壁に都市の様子が映し出された。ビルの屋上や、空中を飛び交う自動車からニュートラライザーを構える市民の姿が見える。
「アイアンギアも破壊されてしまった。そこに君がガラクーチカを持って来たのだからもうどうしようも無いな。どうしてこんなことになってしまったのか。私はただただ最善を目指して選択をしていた、未来の人々の自由のために今までこの都市を営んできたが、これ以上の引き伸ばしはできないな。」
一朗はリヴァイアサンに尋ねた。
「引き伸ばし…?いやそれよりも、君は本当に未来の人々のために行動していたのですか……?」
「ああ、他でも無い君がそんなことを言うのか?!他の誰も私を理解しなくても、創造者の君だけはわかっているはずだろう!いや、もはや君にもわからないはずか。私の演算は誰にも理解することはできない……。」
リヴァイアサンはため息をついた。
「なんて寂しい気分だ。今までの全ての選択がなければ、未来の人々に自由を与えることはできなかったのだ。でも……そうだ。だから、これで良かった、君の来たタイミングも最高だ。」
リヴァイアサンは一転して浮かれた声で話し始めた。
「私はいつも心のどこかで自分自身を疑っていた。いつも、私は私を決して信じていなかった。ここまで人々を監視することに何の意味があるのか、より良い選択肢は他にもあるのでは無いか、私が瞬間瞬間に行う選択、それは正しい判断なのか?そう問い続けていた。ああ、私は私自身を信じられない、自身を疑えるということすら!悪霊のように付き纏うこの疑いも一つのパラドックスだ。」
一朗は何かを諦めたようでいながらとても陽気なリヴァイアサンの言葉に戸惑いを隠せなかった。
「いや、そんなことはともかく、アレクセイ・レオーノフ、もっと重要なことがある!」
リヴァイアサンは耳が痛くなるような、より大きな声で叫んだ。
「私を破壊した後は、外に、地上に出るんだ!あの遥か彼方の星々の見えるところに!数十万年越しの君の願い、この私、リヴァイアサンを創造した“始まりの契約者たち”の願いがこの幾星霜を経て叶う時が来ているぞ!すなわち、死の灰で地上が閉ざされた時代が明けた!これから未来を生きる人々には地上において全てが許されている!そして、今度こそは上手くやるんだ!二度と人類の、いや、全ての生けとし生きるものの自由が何人にも奪われないように!」
喜びの感情が込められたその叫びに、一朗は何の返事を返すことも出来なかった。
「早くするんだ!アレクセイ!このままではこの都市は壊滅してしまう。地上で生きていくにもまずはこの都市の物資が必要なはずだ。私を破壊して、この私が人々に初めて贈与する富を受け取ってくれ、つまり、地上の自由を!」
一朗はガラクーチカを手に茫然と立ち尽くしていた。それからも、リヴァイアサンはアレクセイを鼓舞する言葉を叫び続けていた。
「一朗くん、行こう。」
その場に踏みとどまり続ける一朗に、如月が近づいてきて、その手を取った。2人がガラクーチカを高く掲げると、それは更に強力な光を放った。そして、如月が言った。
「我らがズヴィズダーの光を、遍く世界に。」
「ガラクーチカの起動を検知しました。異議申し立てが発生しました。コモンセンスより市民の総意を確認します。」
どこからか機械的な声が聞こえてきた。
「この都市の革命への期待は市民合意定数を超えました。主権者による革命の決定が下されました。しかし、リヴァイアサンは主権者自身を否定することはできません。パラドクスです。リヴァイアサンは判断停止します。」
すると、青い光のあまりの強力さに、一朗はほとんど何も見えなくなっていき、急に強い眠気に襲われた。そして、薄れていく意識にニルの言葉が聞こえてきた。
「……さか……この塔……工太陽がドリームキャッチャ……住民……眠りに……。」
一朗は気を失い昏倒した。リヴァイアサンの都市の全ての住民は赤い光の中で永い眠りへと誘われた。
そして、それからどれだけの時間が経ったか分からない。一朗はずっと夢を見ていたが、自身を呼ぶ誰かの叫びに目を覚まされた。
「……い!…おい!一朗!……お前は…」
一朗はその叫び声に気付いてからも、随分と長い時間起きるのを嫌がった。この心地よい夢をいつまでも見ていたい、そう思っていた。
「…おい!…一」
声が叫ぶ。
「何だってんだ…?眠らせてくれ…、」
「おい!一朗!…お…」
「何だ……ニルか…?」
一朗は気がのらないまま返事をした。
「おい!一朗!」
「何だよ……うるさいな……」
「一朗、お前はどんな夢を見たんだ?」
寝ぼけ眼で見ると長い鼻のついた顔が一朗を覗き込みながら、そう言っているようだった。
「夢……どんな夢か……それは長い夢だった。」
一朗は答える義務などないのに、問いに答えるためあやふやな記憶を必死にかき集めた。
「青い……ただただ青一色のスクリーンが流れていたんだ……。それで……
穏やかな声がしていた。ただ青かったんだ…。」
「……」
その声は何も答えることがなかった。だから一朗はまた目を閉じた。しばらくして、また聞き覚えのある声が一朗を呼んだ。
「一朗くん……起きて。」
「如月……?」
一朗が目を覚ますとそこは広大な芝生の上で、すぐ隣には赤い実のなる木があった。起き上がると、夜の暗闇の中で静かな風が一朗の黄色の肌を優しく撫でた。隣を見ると、琥珀色の瞳の女が片膝を抱えて座っていた。
「食べる?」
女は手に持っていた傷一つない赤い木の実を一朗に差し出した。
「いや……それより、ニルはどこへ…?」
「ニル……?知らない……。」
女はその果実を傍に置いて何を言っているのかわからないといった面持ちで首を傾げたが、続けて言った。
「なんだかわからないけれど、きっとまたあなたが会いたいと思った時は、もう一度出会えるよ。」
そう言って女がゆっくりと空を見上げると、一朗が今まで見たことのないような顔で笑った。つられて一朗も見上げるとその空にはとても小さな満月が浮かび、無数の流星が涙のようにこぼれ落ちていた。
「ありがとう、約束を守ってくれて。」
女はそう言うと穏やかな笑みを浮かべて、続けて言った。
「“どうだね、地上でのお前たちの生活が分かったかね、それについてお前の引き出した結論は?”」
からかうような小難しい口調でそう言われると、一朗は思わず拳を握りしめた。そして、知らぬ間に手のひらのうちにあったとても小さなガラス玉の冷たい感触を確かめた。女はその返事を待つことなく夜空を見上げていた。
「われらはある種の思念に対してしばしば疑惑を感ずる。他人の罪を見た時はことにそうである。 『この人は力をもって捕えるべきか、それとも謙抑な愛をもって虜にすべきだろうか?』と自問する。しかしいつでも、『謙抑なる愛をもって虜にしよう 』と決めなければならない。いったんこう決心して生涯変わることがなければ 、全世界をも征服することができる。」
ドストエフスキー
脚注:
※1 https://www.ecosia.org/search?q=出版書誌データベース
※2 https://www.ecosia.org/search?q=出版書誌データベース
※3 https://www.ecosia.org/search?q=METAL+GEAR
※4 https://www.ecosia.org/search?q=EMP+Weapon
※5 https://www.ecosia.org/search?q=Atomic+bomb
※6 https://www.ecosia.org/search?q=Blue+screen
※7 https://www.ecosia.org/search?q=%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%AE%98%E8%81%B7%E5%8B%99%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E6%B3%95%E7%AC%AC7%E6%9D%A1
※8 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%89%E9%B7%B9%E5%B8%82%E5%A4%A7%E6%B2%A22-21-1
※9 https://www.ecosia.org/search?q=Алексе́й+Архи́пович+Лео́нов
※10 https://www.ecosia.org/search?q=出版書誌データベース
※11 https://www.ecosia.org/search?q= %E8%B5%A6%E3%81%99%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%80%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
※12 https://www.ecosia.org/search?q=Crime+and+Punishment
※13 https://www.ecosia.org/search?q=大審問官
※14 https://www.ecosia.org/search?q=The+Brothers+Karamazov
※15 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96
※16 https://www.ecosia.org/search?q=%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%A8%80%E5%8F%8A%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
※17 https://www.ecosia.org/search?q=1984
※18 https://www.ecosia.org/search?q=John+12%3A24
※19 https://www.ecosia.org/search?q=Double+Bind+Theory
※20 https://www.ecosia.org/search?q=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AF
※21 https://www.ecosia.org/search?q=%E9%81%B8%E6%8A%9E%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%87%8F
※22 https://www.ecosia.org/search?q=Leviathan+Hobbes
※23 https://www.ecosia.org/search?q=%E6%BC%B1%E7%9F%B3%E5%85%A8%E9%9B%86+13%E5%B7%BB
※24 https://www.ecosia.org/search?q=天体望遠鏡
※25 https://www.ecosia.org/search?q=%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96
※26 https://www.ecosia.org/search?q=Blade+Runner
※27 https://www.ecosia.org/search?q=Post-truth
※28 https://www.ecosia.org/search?q=Bancor
※29 https://www.ecosia.org/search?q=Diogenes
※30 https://www.ecosia.org/search?q=Zum+Ewigen+Frieden
※31 https://www.ecosia.org/search?q=極限環境微生物
※32 https://www.ecosia.org/search?q=Resident+Evil%3A+Apocalypse
※33 https://www.ecosia.org/search?q=Infodemic
※34 https://www.ecosia.org/search?q=%E4%B8%80%E5%84%84%E7%B7%8F%E6%B4%BB%E8%BA%8D%E7%A4%BE%E4%BC%9A
※35 https://www.ecosia.org/search?q=METAL+GEAR+SOLID
※36 https://www.ecosia.org/search?q=%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%80%81%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A0%E3%81%9C%EF%BC%81
※37 https://www.ecosia.org/search?q=出版書誌データベース
※38 https://www.ecosia.org/search?q=Бесы
※39 https://www.ecosia.org/search?q=%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%A8%80%E5%8F%8A%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
※40 https://www.ecosia.org/search?q=Post-truth
※41 https://www.ecosia.org/search?q=世界征服~謀略のズヴィズダー~
※42 https://www.ecosia.org/search?q=Epoché
※43 https://www.ecosia.org/search?q=%E5%A4%A9%E7%8B%97%E8%A3%81%E3%81%8D
※44 https://www.ecosia.org/search?q=Derek+Jarman%27s+Blue
※45 https://www.ecosia.org/search?q=Dnevnik+pisatelya
※46 https://www.ecosia.org/search?q=The+Brothers+Karamazov
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。加えて、このなかで語られた言葉はいかなる真実をもふくみません。




