豆まかない
色吉が羽生多大有の退勤にしたがって羽生邸の門をくぐると、
「おにわーそと、ふくわーうち」
理縫の声が聞こえてきた。
「そろそろ節分か。でもそういや、去年も一昨年も豆まきはやってなかったよな」
多大有はすぐに奥に引っ込み、あとに残った色吉は留緒に話しかけた。
「うん。去年までは、理縫ちゃんが知らなかったから。今年はお友達から聞きこんできて、豆まきやるって言いだしたんだ」
「へえ。でもぱらぱらっとこう、まいてる音は聞こえねえようだな」
「うん、豆は当日だけ、って言ってあるんだ」
「だけど豆まきって、旦那がやるものだろ。子供がやるときは、男の子がやるものじゃあ……」
「理縫ちゃんが自分でまく、って言い張ってるんだ」
「そういうわけにもいかねえだろう……とは思うけど、ご隠居のことだ、『よいよい』なんて言ってあっさり許しそうだな」
「うん。その通りだった」
留緒がうなずく。
「そんで旦那も特になにを言うわけでもなく黙ってうなずきそうだな」
「うん。その通りだった」
留緒がうなずく。
「ま、ご隠居や旦那がそう言うならいいか」
色吉は明るく言ったが、留緒はうん、そうだね、と気のない返事だった。
「九鬼家の豆まきでは、鬼は外、とは言わず、鬼は内、と言うそうじゃ」
歩兵衛が言った。
「九鬼氏というとあの水軍のですか」と色吉。
「そう、名前に鬼という字が入っているから、外、と言ってしまうと自分らが追いだされることになるからかの」
「ああ、なるほど。そうすると餓鬼が豆まきするのもおかしなことになるかもしれないですねえ」
色吉が言うと、歩兵衛はしかし、首をひねった。
「それはどうかの。それなら大人がやっても餓鬼は出ていくことになるからのう」
「ああ、そうでやすね。まあ子供のことを餓鬼と呼ぶのも、あっしら町人風情どものことでやすから」
「町人でも、大きな家では、福は内、とは言っても鬼は外は言わないそうじゃな」
「へえ」
神田の通りを歩いているとき、ふと思いたって太助の長屋に寄ってみた。
太助の女房のお常が井戸端で洗濯していた。玉吉が手伝っている。あいかわらず女の子の格好をしていた。
「お玉坊、母上の手伝いとは感心だな」
玉吉はにこにことうなずいた。
「あら色吉親分、うちの人はいま出ていて」とお常。
「や、親分に用があるわけじゃねえんだ。ここじゃ節分の豆まきはどうするのかと思ってね。今年はお玉坊もいるし」
「ちぇ、あれは男の子の仕事だから、あたいはやらないよ」
「そうか、じゃあ太助――」
「あの人は、捕り物の鬼といわれたおいらを追いだすなんてとんでもねえ、と言ってやりません。まあ豆を買うお金があったら賽子に、っていうのが本音だと思いますけど」
「はは、そうですかい」
一緒になって日は浅いが、お常はすでに太助を把握しているようだ。
「鬼は外、福は内」
羽生邸の門をくぐると、玄関にあがるまえから理縫の元気な声が聞こえてきていた。
「鬼は外」
と、声とともに理縫が玄関まで出てきた。握った拳を振りあげ、なにか投げつけてくる。
「うわぁっ」
色吉はおおげさに驚いて、
「ひゃあ、堪忍かんにん」
などと手で顔をかばいながら玄関から退散する真似をした。
ちらりと振り返るとしかし、理縫の手は空で、投げるふりをしただけなのだった。
「こら、理縫ちゃん、色吉さんになんてことするの」
留緒が奥から出てきて理縫をうしろから抱きかかえた。
「あはは、鬼じゃなかった、ごめんね色きったん」
理縫はまたテケテケと奥に引っ込んだ。
「出てくるの遅くなってごめんなさい。理縫ちゃん、堪忍してあげてね」
色吉は笑ってうなずき、「そういやいよいよ明日か。理縫殿、ずいぶんと楽しみにしてるな」
「うん、そうだね」
気のない返事に、色吉は留緒の顔を見直した。
「うーん。色吉さんだから言うけど……うち、ってのは芽実江屋のことなんだけど、うちは豆まきはやったことないんだよね」
「へえ、そうなのかい」
留緒はうなずいた。
「うちはお菓子やだろ? 食べ物を粗末にするのはちょっとね。ご隠居も同じで、このうちでも豆まきはやってなかったんだけど、今年は理縫ちゃんがどっかで聞いてきちゃったから……」
留緒は困ったような悲しいような顔をしている。
「あんたらは豆まきはやるのかい」
卒太と根吉に訊いてみる。
「とんでもねえ、そんなぜいたく」
「むしろあっしらを鬼に見立てて豆を投げてもらいてえ」
「落ちたのをかき集めてつまみにしたり、余ったのを売ったりでひともうけ」
卒太と根吉は顔を見合わせてにったりと笑った。「まあ、捕らぬ河童の川流れってやつですがね」
節分の夕刻、豆まきの声がそこここから聞こえる中、色吉が多大有の帰宅に伴って羽生宅の門をくぐると、しかし理縫の声は聞こえてこなかった。
「お帰りなさいまし」
多大有を出迎えた留緒に、
「よう、豆まきはもう終わったのかい。それともこれから?」
多大有が奥にいったあとでそう訊いた。
「ふふ、豆まきはまだやってないけど、これからもやらないのよ」
昼間、留緒は理縫を連れて豆を買いにいったのだが、そこで理縫が、
「お豆、いらない」
と言いだしたのだ。
「どうして。まくんでしょう?」
「まかないの」
ふるふると、理縫は首を振った。
「へえ、あんだけ楽しみにしていたのに」
「きのう、鬼と遊ぶ夢を見たんだって」
詳しいことは理縫も覚えていないというが、留緒は上機嫌だった。
〈了〉




