八
コツコツと戸を叩く音に出てみると、お常が立っていた。
「なんかあったのか」
見るなり太助が言った。
「ううん。ただ、親分にこないだのお礼が言いたくて。これうちで漬けた沢庵」
お常は首を振って、布をかぶせた皿を差し出した。
「なんだ、そんな気遣いはいらねえよ。ここには来ちゃいけえねえって言ったろう、なにかまずいことでもあったかと心配するじゃねえか」
「ごめんなさい。でも親分、こんどいつ来てくれるかわからなかったから」
「またすぐに行きまさあ。さあさ、近くまで送ってくぜ」
だんだんに暗くなりつつある夕暮れどき、連れだって道ゆくお常と太助を、物陰からうかがっている影があった。
「あの坊主頭野郎がかくまってやがったのか、これから戻るとこか、あのアマのヤサをつきとめてやる」
馬道の武佐蔵が、たまたまお常を見かけ、あとをつけていたのだ。
物陰から出てふたりのあとを追おうとしたそのとき、肩のあたりをつつく者があった。
「なんでい」
と振り返ると色吉がにこにこと笑みを浮かべて立っている。
「馬道の親分、こんなとこでなにやってなさるんで?」
「武佐蔵だよ。てめえは色吉んとこの――」
「色吉その人でさあ」
「てめえこそなにやってやがる」
「へっへ、ここいら太助親分やあっしの縄張りですぜ」
色吉は話しながら武佐蔵のまえに回りこんだ。
「天下の往来でひとがなにしてようと勝手だろうが、どきやがれ、てめえに構ってる暇はねえ」
「親分、聞きましたぜ。ちょいとまえに、伊岡屋の手先で追いだしやって、ずいぶんと儲けなすったとか」
「それがどうした。それも俺の勝手だろうが」
「そりゃあそうでさ。そういう雇われ仕事は御用の筋で引き合い抜いたり汚えことをやるのと同様、岡っ引の役得ってやつで、もちろん文句のあるはずもねえ」
「ならいいだろうが、どけ」
色吉の言いかたに武佐蔵は顔をしかめたが、女を追うのを優先する。
「おっと。ところがそこまではいいが、言うことを聞かなかったってだけでなんの罪もねえ女をつけ回して、あまつさえ番屋に引っ張ろうなんて根性は感心しねえんでさ」
「なんだとこの野郎、てめえ何様のつもりだ、だれに向かって偉そうな口ききやがる」
「あっしは御用聞。親分も御用聞、同業者でさあ。追いだし屋なんていう一時雇いの仕事は、宇井野の旦那はごぞんじなんで?」
「旦那は関係ねえが、文句を言われる筋合いもねえぜ」
「まああの旦那は、文句を言わず黙って切るほうなんでやしょうねえ」
「なにい」
「あ、切る、つっても叩っ斬るほうじゃなくて、つながりを切るほうでやす」
「この野郎……」
武佐蔵の顔がどす黒く赤くなった。
「あのご新造さんがしょっぴかれたら、なんでそんなことになったか話すでしょうねえ。そいつがどっか途中で握りつぶされたとしても、太助の野郎が上申しやしょうねえ。羽生の旦那も……は頼りにならねえかもしれねえが、与力の山方様あたりに申しあげりゃあ宇井野様にも伝わりやしょうねえ」
「今日のところはこれくらいにしといてやるが、つぎは容赦しねえからな」
武佐蔵はくびすを返すと去っていった。もっともこのころには、お常と太助の姿はとっくに見えなくなっていた。




