五
異変が発覚したのは、朝も四つ半を過ぎてからだった。朝というよりももはや昼といったほうがいい。それというのも千代はいつも朝が遅いからだが、それでも四つごろまでには起きだしてきていたのに、今日はそれを半刻も過ぎていた。女中が掃除のために部屋を訪れるが、なかから返事がないのを不審に思って女中頭に告げ、女中頭はいちおう許婚の番頭に告げると、文造は自ら妻となるべき女の様子を見るべく率先して千代の座敷を訪れた。しかしすぐに青い顔をして部屋から出てくると、女中に医者を呼んでくるよう言いつけ、自らは千代を女中とともに広間に運んだ。
医者を待つあいだ、当主と番頭の他に店のものが何人か広間に集まった。なにか手伝うことがあるかもしれないとの配慮だったが、しかし千代の土気色に変色した顔は、誰の目にも手遅れなのは明らかだった。
「お千代……おまえ、なんだってこんな姿に……」
気丈な忠兵衛もさすがに消沈している。
それを横目で見つつ、さて自分はどうしたものか、と番頭の文造は考える。夫婦になるべき女だったとはいえ、結納もまだだし、べたべたと惚れていたわけでもないから、あまりおおげさに泣きわめくのもおかしい。かといってあまりけろりとしているのも冷たく思われ、忠兵衛の不興を買いかねない。
顔をうつむき加減にして、沈痛の面持ち、といった表情を作り、悲しみを静かにこらえている、といった風情を醸しだす。まあこんなところだろう。
そこに医者が案内されてきたが、妙な連れひとり――いや、ふたりくっついてきていた。格好からしてもどう見ても医者の助手ではなく、番屋の小者のようだった。ひとりは整った顔立ちだが精悍な若い男、もうひとりは小太りの目付きの悪い男で、医者でも雲水でもないのに坊主にしているのは髷を結う髪の毛も残っていないためのようだった。
まったく、どうやって嗅ぎつけたことやら。死肉喰らいの禿鷹どもが。文造には当主忠兵衛の戸惑いが手に取るように分かった。娘の死は、病死とでも届け出たかったのに違いない。殺された、などという忌まわしい死に方では店の評判にも障りが出てしまう。こいつは相当な引き合いを抜かれる覚悟をしておいたほうがよいだろう。
案の定、医者の日茂庵がおざなり程度に千代を診て、すぐに手を合わせて拝み、振り返って「お気の毒です……」と言うや否や、
「どうもこのたびはとんだことで、お悔やみ申しやす」
と、若い岡っ引が声をかけてきた。
「あっしはお上の御用を聞く色吉というもんです。こいつも同業の、太助という者で。じきにうちの同心の旦那がやってきやすが、その露払いってとこで」
小者がそろって頭をさげてきたので、死人の枕もとに会した者たちもしかたなく辞儀を返した。
「さて、こうなると診断、治療からご検死にきりかわります。いろいろとございますからご遺族の方々はおそれいりやすがご退室をお願いします。なに、すぐ済みます」
「検死……なにを言う、む、娘に、そんなこと許しませんぞ」
娘の遺体になにかされそうともなると、さすがに忠兵衛も落ち着いてばかりもいられない。しかし色吉と名乗った小者は止める間もなく布団をまくり、千代の喉首についた指の跡を示した。
「こいつは変死ってやつで、お上の御用聞としちゃあ、調べないわけにはいかねえんで、すまねえが」
当初の愛想のよさはどこへやら、いきなり正体を現すとあたりを睥睨しながら、いつのまにか十手を取りだし、ぽんぽんと肩など叩いている。忠兵衛は茫然、絶句した。文造は小者ににじり寄った。
「親分さん、ならばせめて最後に、家族だけで別れさせてくれぬか」
「そいつはご検死が済んでから存分にできるでしょうよ」
文造はすばやく何文かの小銭を懐紙に包み、色吉にさしだした。
「まあ、他人に触られるよりまえに、身内だけで別れを惜しみたいって気持ちはわかる、ようがす、一服の間だけあっしは席をはずしやしょう」
色吉はちゃっかりと包みを袖の下にしまう。
「しかし家族のお別れなんざあ、ご検死が済んでからでもたっぷりできるんじゃあねえかい」
今度はもうひとりの、坊主の小者が言いだしたので文造はあきれた。さっきのは二人分のつもりだったのに、なんと図々しいやつらだろう。といまいましく思いながらも文造は手元も見ずに銭包みを作り、太助と名乗った小者の袖の下に入れた。
「うん、おいらもちいと一服するとするかな」
そのとき廊下をどたどたと駆ける音がしたかと思うと、がらりと襖を開けて飛び込んできた者がある。
「お嬢さん、いやさお千代……なんて変わり果てた姿になっちまって」
新吉だった。千代のなきがらのうえにつっぷして、うめき声をあげる。周りはあっけにとられてしばらくはただ見ているだけだった。
「ええと、あんたは」
色吉が声をかけると、新吉は顔をあげた。
「わたしはここの手代の新吉といいます。お嬢さまとは……お嬢さまとは……将来を誓い合った仲でございました」
忠兵衛はあんぐりと口を開け、声も出ない様子だ。
文造もあっけにとられたが、すぐに、
「これ、新吉。おまえはもう手代ではないだろう、きのう馘首にしたのだから。親分さんがた、こいつは昨日っきり、出ていくように申し渡してあったのです。それから千代はわたしの許婚で、来月には結納、再来月には祝言の予定だったのです」
「お嬢さんは、わたしと駆け落ちの約束をしていたのです。だからわたしは馘首になっても平気だったのです。こいつ……番頭さんはそれを知って、嫉妬に狂って、お嬢さんを……お千代さんを……手に――」
新吉も岡っ引たちに訴えはじめたのを、文造がさえぎる。
「なにを言うんだ。おまえこそお千代に岡惚れして、それでも相手にされなかったので手にかけたのだろう。なにしろお千代は昨日、摂津屋の呉服の見本と反物を決めて、結納も祝言も心待ちにしていたのですから」
「なんだと――」
と立ちあがるのを、
「まあまあ新吉さん、あんたもお嬢さんにすがりついて、もう気が済んだだろう。あとは旦那さんと番頭さんに名残を惜しませてやんな」
色吉が抑えて、襖の外に連れだした。そのあとから太助や女中たちも出て、広間は千代を別にすれば忠兵衛と文造だけになった。最後に出た女中が襖を閉めた。
忠兵衛が枕元に座り、文造は反対側の少し下がったところにまわった。
「これからというときに、惜しいことをしたのう」
うなだれてぶつぶつと千代の遺体に話しかける文造がこちらを見ていないことを確かめると、懐紙を取りだして包んであった煙草の刻みを布団のしたの千代の手に手探りで握らせた。ちょっとまえに新吉の煙草入れから少し抜き取っておいたのだ。




