五
色吉にしてみれば、馬道の親分がかき消えてほっとしてまたご隠居を追いかけていたところいきなり御蔵前の河岸に大川をまえにしていたのだ。川では子供が溺れていて、岸では馬道がなにやら揉めているふうだったが、まずは六尺いっちょうになって川に飛び込んだ。羽生の旦那は武佐蔵を適当な場所に運んだところ、そこで溺れている子供に気がついて色吉を連れてきたのかもしれない。
歩兵衛と、その先を行く理縫を見失ってしまったが、ここまでくると色吉には思いあたる当てがあった。
雷門のほど近く、芽実江屋に駆けつけると、案の定怪しいご隠居が通りの向かい側の物陰に隠れていた。そこから芽実江屋の戸口を見張っている。色吉も少し離れた辻の建物の陰に立った。
ほどなく理縫が店から出てきた。大きな木箱をたずさえている。いや、大きくはないのだが、理縫が持つと大きく見えた。
色吉の隠れている方に戻ってくると思っていたのに、理縫はきょろきょろと左右を見渡すと、逆のほうに向かった。
物陰に隠れていた歩兵衛が店のなかに入っていった。
店のまえまで来ると、うかがうまでもなくなかから大きな声が聞こえてきた。
「いいんですよ、お代なんて」
「そうですよ、理縫ちゃんが来てくれたってだけでうれしいんですから」
「でも、正直ごめんなさい、理縫ちゃんだってわからなかったんですけど」
「お正月に会ったときよりもずいぶん大きくなって、すっかり見違えちゃいましたからね」
「あの年頃の子は、ほんとにどんどん変わっていきますからねえ」
店のなかでは留亜と留宇が怪しい風体の歩兵衛をあいだにしゃべっていた。
「見違えたといえばご隠居さんもすっかり見違えられて」
「傾奇者になられたんですの?」
「あら留亜ちゃん、そんな失礼なこと――」
「留宇ちゃんこそ、傾奇者のどこが失礼なのよ、素敵じゃありませんかねえ」
「いや、まずは菓子代を――」
「でも傾奇者なんて、ならず者じゃないですか」
「あら留宇ちゃんは若いくせに保守的ねえ、近頃じゃあこういうのが若者の最新の装いで流行ってるのよ」
「娘の買い物だ、ぜひにもお代を受け取ってもらわねば――」
歩兵衛は紙包みを置き、立ちあがろうとする。
「あらご隠居、もう少しゆっくりしてっていいじゃありませんか。これもほら、収めてください、どうしたって受け取れませんよ。いま留宇ちゃんがお茶を淹れますから」
「あら気がつかなくてごめんあそばせ」
「せっかくだからうちの新作の試食もお願いしようかしら」
理縫が遠ざかって見えなくなるまえに色吉は駆けだした。
門前の人波に見失いそうになるが、しかしここでもやはり色吉には理縫の向かっているところの見当がついたから、あわてず追いかけることができた。
そしてやはりまたもや案の定、理縫は寺の奥にすすんでいった。人の密度はだんだん薄れていく。その先にあるのは墓地だ。
墓石や卒塔婆のあいだを、土や草を踏んで進む理縫の足取りは先ほどよりも落ちていた。
――ははあ、迷ったな。
しかしここまで独りで来られただけでもたいしたものだ。去年の冬から、あのかまいたち騒動の時期を除いて、留緒はしばしば理縫に乞われて実家の芽実江屋を訪れたと言っていたが、それにしたって五つの子供からしてみればたいしたものだ。
理縫はとうとう立ちどまり、きょろきょろとあたりを見回している。夕暮れどき、そろそろ暗くなりはじめる頃合い、色吉も潮時と考えた。
――さてこの辺でおれもいいとこ見せるとしようよ。
「いよう、理縫ちゃんじゃねえか。こんなところで偶然だなあ、なにやってるんだえ」
と、色吉が姿を現すと、理縫はうれしそうな顔をした。
「いろきったん」
にこにこと笑いながら色吉の手を取る。
「るいたんのおはかどこ?」
予想通りだった。
「はっはあ、理縫ちゃんは留依ちゃんのお墓参りに来たのか。もうじき祥月命日だからなあ」
色吉は理縫の手を引いて歩きはじめた。しばらく歩いて、自分も留依の墓というか留緒の家の墓の場所を覚えていないことに気がついた。なにしろ一年前に一度来たことがあるきりだ。
見おろすと、にこにことうれしそうに歩いている理縫を見るとそんなこととても言えない。だいぶ暮れなずんできて、そろそろあたりも見えなくなってくるだろう。色吉は奥の手にでることにした。
――どっか適当な墓を留依ちゃんのってことにして参るとするか。
完全に暗くなるまえに理縫を連れて帰りたいし、ここまで薄暗ければどこの墓に参ったかなどわかるまい、と考えて理縫に、
「ああ、あすこだ」
と、ぱっと目についた墓を示した。
すると理縫はとことこと墓に駆けよると、箱を開けて饅頭をひとつ取りだし、供物台に置いた。
手を合わせて拝む姿が、なかなかどうしてさまになっているのだった。色吉も並んで手を合わせた。
墓碑銘を見ると、なんという偶然か、そこは留依の墓だった。




