十八
蠅の口管が伸び、お良ののどを刺し貫こうとした刹那、その管がみっつに分断され、お良の頭の上あたりにぼたぼたと落ちた。
羽生多大有が右手に大刀を持ち立っていた。
「ギユギワアア」
蠅が奇声を発して立とうとしたようだったが、そのときには首と胴体が離れていた。
「ギユギワアア」
空に跳んだ首は、いかなる原理か空中で向きを変え、牙をむいて羽生に襲いかかる。
羽生はいつ持ちかえたのか右手で脇差を抜くと、左手の刀と十字に組み合わせた。
「ギユギワアア」
蠅の頭は止まろうとしたようだったが、勢いあまって吸い込まれるように十字の刀にぶつかった。
「ギユギワアア」
断末魔の叫びとともに蠅の頭が溶けていく。奇妙なことに同時に体のほうも溶け、蒸発していった。
「ばあさん……お良さん」
お良のもとに這いずり寄り、声をかける。お良はもはやほとんど人の形をとどめていない。
「あたしはもう、とっくに死んでたんだ。この死体を動かすのは骨だった。あんたらにはいろいろ世話になった。まずは土に彫ってあった封印紋を消してくれて、土のなかから出してくれたおかげであいつを追い詰めることができたよ。それからやつにとどめを刺して消し去ってくれたね、あの多大有様にも礼を言っといてくれ」
そう言われて気がついたが、羽生の姿はもうなかった。
「おかげでやっと楽になれるよ。いや、向こうでもあいつを追わなけりゃならないから、楽とはいかないかもねえ。やれやれだ」
それがお良の最期の言葉だった。
大次を捕縄で縛っていると、
「おい、おれを縛るのは構わねえが、ブデル様やこの教会について他の誰かに言ってみやがれ、おれだっておめえのあの旦那の秘密を暴露してやるぜ」
「なんだと?」
「あの野郎、突然現れたかと思うと、かき消えるように姿ァかき消しやがった。ありゃ人間じゃあねえだろう。あれこそご公儀転覆でも狙ってるんじゃねえか、ってな」
例によって色吉が羽生のご隠居、歩兵衛に事件の報告をしている。あれから五日ばかり経っていた。
「大次の野郎をおりん、権左、お才殺し、それからお良殺しの下手人として番屋には突きだしたんでやすが、すぐに解き放たれやした。証拠不十分てことで。代わりに則兵衛の仕業ってことになって、則兵衛は手配になりやした。それから、あきれたことに大次の野郎、また御用聞として働いてやがるんでさあ」
多大有はいつものごとく少し離れたところに座っている。自分のことが話題になったときも、聞いているのかいないのか、まったく微動だにしなかった。
「それは厄介だの」
「厄介なことになりやした。いっそのこと、あのどさくさのなか、殺っちまえばよかったかな、なんて後から思ったりもしやして……」
「そこまでするのはよろしくないじゃろう。色吉殿は正かった」
歩兵衛はうなずく。
「おそれいりやす、気が楽になりやした。……そんで、今日あの馬子神社に行ってみたところ、地下の隠し穴がなくなってやした。さあ、埋めたのか入り口をふさいだだけなのかわかりやせんが、もたもたしてるうちに証拠隠滅されちまって、もうしわけありやせん」
「それは仕方のないこと。そんなことよりも色吉殿たちの無事が好事」
色吉はあらためて深く頭をさげた。
〈了〉




