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色吉捕物帖 三  作者: 真蛸
深夜の聖祝詞
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十六

「あんたら岡っ引がこうだらしないのじゃあ、おちおち死んでもいられないよ」

 しかしその顔や体は腐敗がすすみ、その醜悪な姿といい悪臭といい、蠅の化け物といい勝負だった。

「おとなしく聞いてりゃこんなイカサマ野郎のでまかせにすっかり言いくるめられちまってるし、ほんとに頼りにならないったらないね」

 お良の声はつぶれていてひどく聞きづらかった。色吉たちに話しかけながらも、蠅の則兵衛からは目を離さない。

「どういうことでえ」

 色吉は落ち着きを取り戻していた。蠅の化け物と妙に威勢のいい腐乱死骸。どちらもあまりに怖くて、かえってなにが怖いのかわからなくなり、あまり怖くなくなっていたのだ。

「そもそもここを切支丹教会だというのが間違いだ。ここは大神様デウスさまに逆らう悪魔を祀る黒教会だ。サバトでは犬やイタチなんかの動物や、ひどいときは赤子や若い娘を殺してその血を捧げる、反吐の出る邪教だよ」

「しかしあんた、ここの氏子だったんじゃないのか」

「この地下はもとはデウス教の教会だった。あるとき悪魔教の信徒が入りこんで、ひとりひとり駒を返すように邪教に鞍替えさせていき、とうとう乗っ取られちまったのさ。それが九代様のころだ」

「おい、そりゃ……百年も前じゃねえか」

「その黒い伴天連が則兵衛だ。あたしはそいつをさらって長屋に封じ込めたんだが……そのあとも集会を続けてやがったんだね」

 お良は大次を見た。大次の顔が醜く歪む。笑ったようだった。

 そんな大次からは顔を背け、お良は蠅を指さした。

「見なよ、このおぞましい姿を。こうならないようにあたしは毎晩、聖なる祝詞を詠んでいたんだ。あれにはこいつが変化しないように抑えこむちからがあった。だけど最後のほうは則兵衛も耳が遠くなってきて、聖祝詞せいしゅくしもよく聞こえないせいか効き目が弱まってきた。則兵衛を弱めるためにやっていたのに、そのせいで祝詞のちからが弱まるなんて、皮肉なもんだよ」

「だから夜中に声を張りあげてたってわけか。ところで、おりんを殺ったのはあんただって大次が言ってたが、そいつはどうなんだえ?」

「おりんには気の毒なことをした。あたしが秘密なんざ暴かなけりゃあねえ。あんときは長屋を追いだされそうになってあたしつい言っちまった。けど、あれが回りまわっておりんの命を奪うことになったのは確かだ。あたしが殺しちまったようなもんだが、しかし直接手を下したわけじゃあないよ。おりんが包丁で襲ってきたとき、なんとか逃げたけど、そっちに気をとられて則兵衛に殺られちまった。そのあとおりんも殺されちまったのさ。そのせいで悪魔教の今の黒伴天連に見つかっちまうことになったんだからつくづくドジを踏んだものだ。後悔してもしきれないね」

「殺られた……ってあんた、やっぱり死んでるんだよな。成仏してくれい」

「成仏……あたしがいま成仏しちまったら、あんただけでこの化け物に対峙することになるけどいいのかい?」

「いやそれは困る。やっぱりこの世にとどまってくんな。それで、それからどうなった。あんたの遺体はやっぱり床下に隠されたのかえ」

「そうじゃない。あの武佐蔵って岡っ引も、そこまで間抜けじゃあなかった。床下もちゃんとすみずみまで探ってたよ」

 武佐蔵というのは、ああ、馬道の親分か。

「あたしゃそんとき、屋根のうえにうち捨てられてたのさ。岡っ引もさすがにそこまでは探さなかった。そのつぎの夜中に、あんたの考えた通り、床下の土のしたに埋められちまったのさ」

「しかし誰がそんなことを……。いくらあんたが軽くたって、屋根のうえに持ちあげたり降ろしたりなんぞ、相当な怪力がいるだろ。この蠅みたようなバケモンは、そんな力持ちなのかえ」

「ああ、おりんの血をたっぷりと吸うたあとだったからな、それくらいは朝飯前だったろう。真夜中だけにな」

 冗談のつもりか、お良は笑ったが、それは色吉の背筋を凍らせるおぞましい笑顔だった。

「だからあの畳のうえはあんなに血塗れだったのか」

「おりんのときは胸を裂いて血をすすって、心臓を食っちまったようだね。仰向けだったから、血はそんなにこぼれなかったはずだよ。現場にこぼれてたのは、ほとんどあたしの血だ」

「そうだ、婆アの血なんざまずくて飲めたものじゃあねえらしいからな」

 大次が唐突に口をはさんだ。さっきからにやにやと余裕を見せながら、色吉たちのやりとりをおとなしく聞いていたのだ。

「そりゃ、あたしの血は聖血だからね、悪魔にとっちゃ毒になる」

 お良が涼しい顔で言うと、大次は不機嫌に顔を歪めた。

「それじゃ、権左とお才が殺されたのも、その……血をすするためなのかえ?」

 色吉が話を戻した。

「そうさ。おりんの血の霊験が薄れてきたから、力のあるうちにね。おりんのときは心臓を食っちまったものだから、却って血を吸いきれなかった。それであの夫婦は、生きて心臓の動いたまま首筋や太腿から血を吸われたんだ」

 色吉はその様子を想像して、おぞましさに身震いした。

「そして今日はまた、今度はここで、どうやら信徒が餌食になったらしいね」

「ああ、二人ばかりブデル様の生贄になったぜ。喜んでな」

 大次の視線を追うと、祭壇のうえに人影が二つ、微動だにせず寝ていることに初めて気がついた。色吉にも見覚えのある、商家のお内儀と武家の奥方だった。

「さて、いろいろ知れて満足だろう。満足したところで、おまえらブデル様に血を捧げな。婆アはいらん」

「できたら人間の姿のまま抑えておきたかったんだが、こうなっちまったらもう退治する他ないね」

 大蠅がずるずると迫ってきて、色吉はすくみあがった。跳ねあげ戸を振り返り、「おい!」と叫んだ。しかし、期待したことは起こらなかった。

「外にいたあんたの仲間だけど、三人とも高鼾だったよ。景気づけに酒盛りしたたみたいだね」

 お良が言った。

 あの莫迦どもも莫迦どもだが、お良も余計なことを言ってくれたものだ。おかげでハッタリも利かなくなった。


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