十五
「理由か。こいつはちと説明を要する。あんたら、則兵衛とお良が夫婦だと思っているのがそもそもの間違いだ。お良はな、則兵衛の邪魔をするためにいっしょに住んでたのよ。夜な夜な邪悪な呪文を唱えてな。あのお良ってのはあんたも知っての通り、とにかくひでえ婆アだったってことよ。他人の内緒ごとを嗅ぎつけて、脅しなんぞかけやがったりな。で、あの晩、かわいそうに、おりんが思いつめてお良を刺しにきたってのはあんたの見立てどおりだ。おりんが包丁で突いてきたのを、お良は避けて逆に刺し殺した。しかしそこで隙ができた。その隙をついて則兵衛はお良をやった。これでやっと、何十年も続いた束縛からとうとう逃れたってわけだ。たしかに殺しちまったのはよくねえが、則兵衛にも気の毒な事情があんのよ」
「権左とお才はどうなんだえ」
「それもあんたのご明察通りだ。お良の遺体をおりんの部屋の床下まで引きずるのを見られたらしい。あのあたりを小者が嗅ぎまわらなくなったころまで待って、強請ってきやがったらしい」
「おめえだって小者じゃねえか」
「とにかくせっかく貯めこんだ小金をとられて、これも思い余ってのことで、気の毒な事情なのよ」
「木の毒だろうが芽の毒だろうが、おれに言っても仕方ねえ。そういうことはお白州で申し開くんだな」
「おい、冷てえこと言うなよ。あんたが目をつぶりゃあ、爺さんこれからも幸せに暮らせるんだぜ」
「さすがに三人殺めてるとなるとそういうわけにもいかねえ。だいたいお良が呪文で邪魔をするってなんだよ、わけがわからねえ。則兵衛ってのもなかなか剣呑な爺イじゃねえか。どこにいるんだ」
「そうかい、やっぱりだめか。そうだろうな。いちおう言ってみただけなんだ。助かる折を逃しちまったな」
大次が振り返ると、祭壇の陰からなにかが立ちあがった。しかしそれは、則兵衛の爺さんに比べるとずいぶんと大きいようだった。大次がゆっくりと、ふたたび色吉のほうを向き、「あんたが、だぜ」と言った。
ずるずる、と奇妙で不快な音をたてながら影が近づいてきて、色吉はヒィ、と情けない声を漏らしたが、しかしそれは無理もないことだった。なにしろ影の正体は、もとは爺さんだったのだろうが、半分は蠅のようになった化け物だったのだ。
爺さんは素裸で、腹のあたりから蠅の中脚が生えて、わらわらと動いていた。手足も昆虫の前脚後脚に変わりかかっている。体全体がぬらぬらとした粘液まみれで、顔は溶けたように崩れかかり、目は片方が蠅の複眼になりかかって、口だった部分から一尺ばかりも長い管が伸び、ぜえはあいう呼吸とともに折り畳まれたり、また伸びたりしている。そしてそのたびに、その根元の裂け目からどろりと涎がしたたっていた。
爺さんのもう一方の目はまだ人間のそれが残っていたが下から生えてくる複眼に押されるように眼窩から飛びだしてぶらさがっていた。
見えているのかいないのか、ゆっくりと色吉のほうに迫ってくる。鼻も曲がりそうな臭気が波状に到来して、涙がにじんできた。
「なんでえ、このバケモンみてえな……化け物は」
色吉はやっと気力を振り絞って声を出した。声を出さなければ、気絶してしまいそうだったのだ。
「そいつが則兵衛だよ」
そう答えたのはしかし、大次ではなかった。声は頭上から聞こえた。大次が驚いたように目を見張り、蠅の化け物はこころなしかひるんだようにみえた。
大次の目の動きから、声の主が色吉の背後の階段を降りてくるのがわかった。色吉自身は大蠅と大次から目をそらすことができず、声の主が階段を降りきって蠅の則兵衛と相対してはじめてその姿を目にしたのだった。
「あんた……お良さんじゃねえか。死んだはずだろう」




