六
座敷いっぱいにつめこまれた客のなか、その真ん中へんにお伊勢がいた。
綱のうえからそれを見た六陸は動揺した。動揺はしたが、しかし芸はちゃんとやりおおせた。練習の賜物、体が勝手に動いてくれる。
楽屋に戻ると、ちょうど座長の角兵衛とお夏が藤弥を送りだしたところだった。ふたりそろってしばらく頭をさげたままだ。きっと帆掛屋からなにか届けてくれたのに違いない。本当なら六陸も駆けつけてひとこと挨拶すべきなのだろうが、お伊勢を見たのが響いたのか、なんとなく顔を合わせづらく、六陸は物陰に隠れるようにして藤弥を見送った。
藤弥は帆掛屋の番頭だ。実はあの晩、久兵衛のお供をしていたのが藤弥だった。
六陸の目が見開かれた。人でごった返すなか、なんとお伊勢が、藤弥に声をかけているのだ。
まずい、あの阿魔、番頭になにか吹きこむつもりじゃあないだろうな。
ふたりは話しながらどんどん歩いていく。六陸はこっそりあとをつけた。
六陸が出ていったことには気がついていた。だが誰かに連れていかれたというわけではなかったし、夕刻とはいえまだまだ明るい時分だったので気に留めなかった。それに幕が引けたあとの片付けなどもあり忙しかったのだ。
――油断したか。
左内は夜になっても帰ってこない六陸を案じた。傾き者どもには昨日、警告をしたつもりだったが、その程度でおとなしくなるような連中ではなかったか。
しかしまさか夕方そうそうから六陸をかどわかすとは。
――油断したな。
宮内左内は小屋を出た。まっすぐに飲み屋が軒を連ねる通りから一本はずれた寂しい道に向かう。昨晩、六陸の昔の仲間の破落戸どもと因縁のあった場所だった。
縛られた六陸のよこで太った奴――乾――が脇差を抜き身にしているのを見たときには、左内は覚悟を決めた。
「やっと来たか。待ちくたびれたぜ」
乾はだらりと垂らしていた脇差を持ちあげて、六陸の首に当てた。六陸は後ろ手に縛られてひざまずかされていた。
もう一人の背の高い男――半田――はかなり腕が立つようだし、乾だとて一見間が抜けているようで、左内の見たところ実はなかなかのものだ。両人とも今日は呑んでいないようだから、ふたりがかりでこられたら、いかに左内といえども勝ち目はないだろう。
だから左内は腰のものを大小ともにはずし、右手に置きながら地べたに胡坐をかいた。
「吹田亭殿を放してやれ。拙者の命ならばやろう」
「左内さん、あんた――」
六陸が言いかけるのを左内はさえぎった。
「気になさるな吹田亭殿、一座の花形を死なすわけにはいかん。拙者の芸など刺身のつま、あれば賑やかしにもなろうが、なくても困らん」
「ふふ、殊勝だな。だが拙者は意気に感じて正々堂々と立ち合え、などとは言わぬ。言葉通り、遠慮なしに斬ってやる」
半田は無雑作に左内に近寄り、無雑作に左内の首に大刀を振りおろした。左内の見立て通り、その太刀筋は速かった。
「ひいっ」
六陸は目をつむった。
「ぬっ」
半田の声が苛立っている。おそるおそる目を開けると、血しぶきをあげて倒れていると予想していた左内はおらず、半田が首を左右にそこらを見回していた。
乾はずっと左内を見ていたのだが、自分の目が信じられなかった。
「野郎、消えちまったぜ。どうやって逃げたんだろう。手妻か?」
「そんな馬鹿なことがあるか」
半田はそう言いながら、まだあたりを見回している。
と、そこに、顔立ちの整った妙にいい男が現れた。
「ちょいと待ってくれよにいさんたち、いくら芸人だって御用聞きのまえで殺めちゃあ、ただじゃあ済まねえだろう」
御用聞きの自称通り、十手をぶらぶらと振っている。「覚えてるかどうか知らねえが、おれは本郷金助町の色吉ってもんだ」
「小者風情が、武士にものを申すな」
「おや、にいさん、破落戸が武士なんて名乗っちゃいけねえ」
「無礼な奴め。小者のまえで河原者が斬れないというならまずおまえから斬ってやるわ」
言うが早いか半田は上段から色吉に斬りかかったがその刀は十手で振り払われ火花が飛んだ。返す十手で色吉は半田の肩を打った。半田は倒れ、打たれたところを押さえてうめき声をあげた。
乾は愕然としたが、すぐに我に返った。
「おいっ、見てろ、こいつを殺してやる」
乾は脇差で六陸を突き刺そうとした。
「おまえさんに旦那をやれるものかね」
「えっ」と見ると、六陸だと思っていたのが白塗りの面をかぶった八丁堀同心だった。
突きだした小刀は空を切り、乾の手から叩き落された。
「むぐっ」
利き手の腕がものすごく痛い。おそらく骨にひびが入ったのだろう、乾は脂汗を浮かべてのたうち回った。
六陸は誰かに抱えられ、運ばれたらしい。二、三度またたきをする間に風景が変わっていた。乾も半田もそこにはいなかったが、代わりに左内がいた。
「左内さん、無事か」
「うむ。吹田亭殿こそ」
さっきの場所から少し離れたところにある空き地だった。
「あたしも平気だが、しかしあんた、どうやって助かったんだ」
「拙者もわからん。吹田亭殿も、突如目の前に現れたぞ」
ふたりが狐につままれた気分でいるところに色吉と同心の羽生多大有がやってきた。四人で小屋に戻りながら話した。
「あの破落戸どもは、もうあんたらにちょっかいを出すこたぁないと思うぜ」
「あにさん、いや、色吉親分、あんたのほうは大丈夫なのか、お侍に手なんざ出しちまって」
「あの半田と乾ってのは三男だか四男だか知らねえがいちおう腐っても旗本のご子息だろう。お上の御用聞きとはいえ、たかが町人にやられたことを自分から吹聴するもんか。おおかた酔って転んだとでも言い訳するだろうよ。ちゃんとした侍なら切腹でもするんだろうが、そんな根性もねえ奴らと見たね」
「そうか……ならいいけど」
六陸はしばらく黙って歩いた。左内も六陸が考え事をしているのをわかっているのか、話しかけてこなかった。
「おれは決めたぜ」
六陸が誰にともなく言った。「左内さんにもえらく迷惑をかけちまった。こんなことはもうごめんだ。色吉親分、聞いてもらいてえことがある」
「おめえさんの言いたいのは、帆掛屋の一件だろう」
色吉は六陸の顔を見て笑った。
「え……なんで、それを」
「図星か」
六陸はうなずいた。
「おめえさんが誰にも言えないようなことで悩んでるみてえだ、てんでいろいろと探ってみたのよ。帆掛屋当主の久兵衛さんと番頭の藤弥さんの両方に直で話を聞いたぜ」
「え……」
六陸は絶句した。
「おめえさんがあの破落戸どもとつるんでたころに、帆掛屋さんから金をゆすりとったことがあるそうじゃあねえか。そんときあの半田とかいうやつが久兵衛さんを斬ろうとしたのを六陸が体を張って止めた、と。ふたりともずいぶん感謝していたぜ」
「じゃ、じゃあ、帆掛屋さんは、気づいていたのかえ、あの強盗があたしだったってことを」
左内は目を見張ったが、なにも言わなかった。
「気づいていたもなにも、帆掛屋さんが西国曲芸団をひいきにしてるのは、おまえさんへの礼の気持ちから、ってのがまずあったってことだぜ。もちろんすぐに芸にも大いに感心したと言ってたけどな」
「な、なんだ……」
六陸はへなへなと腰が砕けそうになった。横から左内が支えて、歩くのを助けた。
「色吉親分殿、吹田亭殿のことを悩んでいる、と言ったのは……」
左内が初めて口を開いた。
「もちろん、お夏さんですよ。六陸さんよ、悪いがあんたにゃあもったいなさすぎるお内儀さんだな」
「悪いだなんて。あっしもまったくおんなじ思いでさあ」
六陸は泣けてきて、涙が出そうになったがなんとかこらえた。ちょうどそのとき小屋についたので、岡っ引と同心に寄っていってなにもないが茶でも飲んでいってくれと誘ったが、もう遅いからと帰っていった。
六陸と左内は、ふたりが闇のなかに見えなくなるまで見送った。
〈了〉




