四
色吉が春めいてきてさらににぎわっている両国の通りをぶらぶらと歩いていると、向こうからやけに派手な装をした男女どもがぞろぞろと歩いてきた。真ん中の男は、見たような顔だと思ったら、なんと銀明亭六陸だ。目張りなんぞ入れているものだから見違えた。
「おう、羽振りがいいじゃねえか」
色吉はこのまえの冬にちょっと揉めたのも忘れて声をかけた。
六陸は、「ん」という顔で色吉をまじまじと見て、
「おお、色吉くんか。これは久しぶりじゃあないか。しばらく見ないが、たまには顔を見せたまえよ」
と、これまたこのまえの遺憾を忘れているかのように答えた。いや、まるで色吉のことも忘れていたような言いざまだ。
色吉はちょっと鼻白んだ、が、すぐに気を取り直し、
「おいおい、こっちの科白だぜ。しっかしまるで傾き者だな、戦国時代じゃああるめえし。あんまり華美にやってると取り締まられるぜ」
「六陸、これはだれだ」
「なんかよぉ、生意気言わしといていいのかぁ」
「そうだよ、やっちまったらいかがだい?」
六陸と一緒にいたやつらがくちぐちに言った。男二人に女が一人だ。そろいもそろって図体のでかいこと、女まで六陸より大きい。
「ぶっそうなことをお言いでないよ。こちら、泣く子も黙る色吉親分だぜ、妙なことを言ってると、お縄を頂戴する羽目になるぜ」
「ちぇ、そんなことでいちいち縛ったりしねえよ」
と言って色吉はもう行こうとした。「邪魔したな」
「へぇ、言ってやがら。おいらこんなやつに負けねえぜ、ロクさんよぉ、ひとこと言ってくれりゃあ、おいらがやっつけてやるぜぇ」
六陸の取り巻きのうち、向かって左側に立っている太った奴が行く手をふさぐようにして言った。
「フフ、おぬしにひとりでできた試しがあったか。いつもわたしどもに頼りってばかりではないか」
もうひとりの男が言った。こちらはがっちりとして背も高い。
「まあ面白いじゃないかい、やらせてごらんよ」
女が言った。派手な化粧でごまかしてはいるが、ずいぶんと皺深い。このなかの誰よりも年を食っているだろう、と色吉はふんだ。
「へっへぇ、そうこなくっちゃな。おぅ、おめえ、ちょいと顔貸しなぁ、かわいがってやるぜ」
色吉は辟易した。なんだこのきょうび田舎芝居にも出てこないような破落戸どもは、陳腐な科白を連発しやがって、こっちが恥ずかしくなってくる。しかもどいつもこいつも真っ昼間から酒の臭いをさせやがって。
しかし頭の鈍そうなデブはともかく、がっちりした奴は手強そうだし、こいつはとっとと退散するに限る。
「まあ元気でやれよ」
いつの間にやら物好きな連中が集まってきていて遠巻きにしている。まえを六陸とその取り巻きにふさがれていたため、色吉はもと来たほうに戻ろうとしたところ、
「顔を貸せっつってんだろぅがよぉ」
デブが色吉の肩をつかんで引き戻した。
「おう、いいかげんにしねえとやさしいおれでも怒るぜ」
言ってしまってから色吉は愕然とした。なんてこった、おれまで田舎芝居の出来損ないのヘボ役者かよ。舌噛んで死んじまおうかな。
「へっへっへ、たっぷりかわいがってやるぜ」
デブはぽきぽきと指の骨を鳴らしあいかわらず田舎芝居を続けている。それにしても色吉を御用聞きと知っていながら喧嘩を吹っ掛けてくるとは、旗本あたりの次男三男坊あたりなのだろうか。傾き者というより、もう絶滅したと思われていた旗本奴というやつなのか。
どうであれ、ひとりでこいつらを相手にするのは無理筋だ。別々になら図体のでかいのでもなんとかなるが……。
「待ちな」
すきを見て逃げるか、と決めたところで野次馬のなかから声がかかった。
「弱いものいじめをするんじゃあねえよ」
野次馬のあいだから、颯爽と男が登場した。
「あんたは……与太郎じゃねえか」
色吉が言う。
「おう、てめえのせいで御用聞きがなめられちゃかなわねえ、いや待て、与太郎じゃねえ、与太助だ」
「与太助じゃねえか」
「おう、なめられたらにらみが効かなくなっちゃかなわねえ、いや待て、与太助じゃあねえ、太助だ、太助。失礼なことゆうんじゃねえ」
「自分で言ったんじゃねえか」
太助は六陸たちに向き直ると、
「おいてめえら、こいつが弱っちいからって御用聞きをなめたようなことをすんならこの下白壁の太助が相手になるぜ」
と言った。すでに十手を取り出して肩など叩いている。
「まあまあ太助親分、色吉さんとは古いつきあいで、じゃれてただけでござんすよ。親分さんたちのことをなめるだなんて、とんでもねえことで。じゃあごめんなすって。ほれ、行くぜおまえら」
太助の凶悪な面に臆したのか、もともと太助の評判を知っていたのか、六陸が出てきた。最後のひとことはデブたちに向けると、女の手を引いてそそくさと去っていった。
デブと背の高いのは少し迷ったようで去っていく六陸と太助を交互に見たが、高いのが六陸を追って歩き出すと太ったのも不満を顔に残しながらもそれにならった。
「ちぇ、つまらねえ、ひと暴れできると思ったのによ」
こう言ったのは太助ではなく、野次馬のなかから出てきた太助の手下の根吉だった。散っていった野次馬たちのあとには卒太も残っていた。本当に喧嘩騒ぎになったら出てくる用意だったのだろう。六陸は敏感にそれを察したか、あるいは太助のやり口、つまり勝てない喧嘩を始めるわけのないことを承知していたに違いない。
「おう、助かったぜ、じゃあな」
色吉が言って行こうとするところを、太助が引き留める。
「おめえ、礼儀ってもんがあるんじゃあねえのか」
「わりいけどこれから旦那んとこに参上しなけりゃならねえんだ。そうだ、あんたも来るかい」
「う……いや、そいつぁ遠慮しとくぜ」
太助の顔が心もち青ざめた。
「あんま遅くなると旦那のほうから探しにくるかもしれねえな」
「ち、とっとと行きゃあがれ」
太助は、色吉の背中に向かって、
「こいつぁ貸しにしとくからな」
と投げつけた。
まったくどいつもこいつも、今日は素人田舎芝居の初日かよ。色吉はげんなりした。