三
「いよう、色吉っつあん」
顔を向けると、軽業師の銀明亭六陸だ。
「よう、しばらくだな。ずいぶんと受けてるようじゃねえか」
なんだか妙になれなれしくなりやがったな、とは思ったが、もともと呼び捨てでもいいと言ったのは自分のほうだったっけか。「おれも見物させてもらったぜ、ちょいとしばらくになるけどな」
六陸が返事をせずに、にやにやとしているだけなので、色吉は続けた。
「見事だったぜ。きれいに筋斗をきって、拍手喝采、と思ったところでひでえ失敗、顔から落ちて、でもそんなことはなかったかのようにふるまう、おれも笑わせてもらった」
そろそろ寒くなって、雪でも降るんじゃないかというくらいだが、馬道はふたりが出会ったころに勝るとも劣らぬほどににぎやかに人が行き交っていた。
「へへ、さすが色吉っつぁんだぜ、そこが苦労して工夫したところよ。そいつをわかってくれたか」
ち、なに言ってやがる、その組み立てのもとを考えたのはおれじゃねえか、と色吉は思ったが、まあこいつがまじめにやっているならそれでいい、と思い直した。ただしあくまで、まじめにやっているならば、である。
さっきから気になることがあった。
「おめえ、こんな昼間っぱらから飲んでやがんのか?」
「んんーん?」そこでにやりと笑って、「飲んだが悪いか」
「悪いに決まってんだろう。だいたい、今日まだ舞台があるんじゃねえのか。飲んでつとまるようなもんじゃあねえと思うが」
たしか六陸は前座のトリまで上がっているということは色吉も聞き知っていた。となればあと半刻もすれば小屋の壇に登場となるはずだ。
「でえじょぶだよ。おれを誰だと思ってんだ」
「おれはおめえのことを心配して言ってやってるんだぜ」
「てやんでえ、おためごかしを言うなってんだ。舞台のことならおれのほうが詳しいぜ。素人が口を挟まねえでもらいてえもんだ」
色吉の目が険しくなり、六陸は顔に怯えをみせた。色吉はしかし、すぐに怒りを抑えた。
「だけどな、今はいいかもしれねえが、長え目で見たら、酒はいけねえ……やられるぜ」
静かにそう言う。
「ちっ、大きなお世話だぜ。おめえに軽業ができるのかってんだよ、舞台で筋斗をきれるのか、ってんだ」
「そいつは無理だな」
「なら黙ってろよ」
「そうかい、余計な口出しをしてすまなかったな。じゃあ、元気でやれよ」
色吉があっさりと引きさがり、すたすたと歩いていってしまったので六陸は拍子抜けしたようだった。
「ちぇ、おとといきやがれ、ってんだ」
ちょっとずれたことを背中に浴びせ、面白いことを言ったつもりが、そのときにはもうとっくに色吉は人波のなかに見えなくなってしまっていた。




