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色吉捕物帖 三  作者: 真蛸
軽業師
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 六陸は舞台をしばらく休んで、見世物小屋の雑用などやることになった。感心なことに、六陸は色吉の言いつけを守って「わざと曲芸に失敗する芸」の稽古を続けたので、顔まで痣だらけになるわ、体のあちこちが痛くてまともに声は出せないわで、舞台に立つどころではなかったのだ。

 もともとご開帳の前座の似非落語話のそのまた前座だったので、小屋主もそれほど文句を言わなかった。それなりに受けの良かった曲芸をやめて、話芸を見せるんだなどとわけのわからないことを言い出して、全く受けが悪くなっていたところなので、新しい芸を仕込んでるからしばらく待ってくれという六陸の言も話半分に聞いて、まあ不評の話芸を続けられるよりはましだろうと放って置いた形だ。

 さすがに軽業師なだけあって、もともと勘は良い。三日もするとコツをつかみ、五日もすると痛くない落ち方をすっかり身につけた。そこで六陸は色吉を誘い、稽古の成果を披露した。

 筋斗をきる、と見せかけて、顔から落ちる。

「おう、よく精進したじゃねえか」

 色吉の顔がほころぶのを見て、六陸もうれしくなった。

「人からは見えづれえように、頭、顔で隠してかばってるんだな、うん、これぁ一見いちげんじゃあ見破るやつはいめえ……なんでえ、不景気な面しやがって」

「あにさんはすぐ見破ったじゃねえか」

 不機嫌がどうしても声に出た。

「おれぁおめえが失敗するのをもとから知ってるからだよ。いきなり見せられたらわからねえよ、心配すんなって、おめえはやっぱり大した曲芸師よ」

 すると六陸はまた笑った。

「よし、こんだ、うしろ向きでやってみろ」

「へい」

「だめだだめだ、かばい手が見えちまってる。うしろ向いてやるときは逆にかばわなけりゃだめだろ」

「ああ、くそっ、そうか」

「そんで、つぎは右向いて、そんつぎは左向きだ。どっから見られてもわかんねえように工夫するんだ」

 六陸はげんなりした。


 しかし六陸にも意地があった。こうなったらこいつもきっちり身に着けて、色吉のあにさんのおれを見る目を変えてやりてえ。

 その日からまた六陸は朝から晩まで筋斗をきりつづけた。もう小屋で雑用をこなすことすらやめた。

「よくやったじゃねえか。もうあきらめたと思ってたぜ」

 色吉がそう言ったとき、六陸は胸のなかが晴れわたった。

 色吉が六陸の周りをぐるぐると回りながら、どこで見ても六陸の筋斗は失敗したとしか思えない出来だった。

 もうすっかり秋になっていたのだ。ふた月ぶりに六陸がまえに現れたとき、色吉はつい、「おめえ誰だっけ」と言ってしまった。

 六陸は顔面にいくつか傷を残し、以前よりもさらに引き締まり、日に焼けて精悍な顔つきになっていた。だから色吉は、「おお、見違えたぜ。最初だれだかさっぱりわからなかったわけだ」とごまかした。

 そしてその長い間の稽古の成果を六陸が披露したとき、色吉は素直に感心した。

「いやてえしたもんだ。どうみても失敗したとしか見えねえ」

 妙な褒めかただが、六陸にとってはうれしい誉め言葉だった。

 さらにうれしいことに、その晩は色吉のあにさんが飯をおごってくれるという。初めて会ったときにいった蕎麦屋にいった。

「もっといいとこでいいんだぜ」

「いや、ここがいいんだ。あにさんと初めての、思いでの場所だ」

「へっ、気色の悪いことを言いやがるやつだ」

 二階に上がって、まえと同じ窓際に座った。

「なんでも好きなもんを頼みな」

「へへ、じゃああにさんのお言葉に甘えるぜ」

 店の娘に、

「天ぷら二人前と、それからとりあえず一本つけてくれ」

 と注文すると、色吉が笑いながら、「酒はやめとけ」と言う。

「固いこと言わねえでくれよ、こんなときくらい」

「こんなときだからだよ、最初が肝心だ」

「酒を飲むと、体がやらかくなるんだよ」

「飲まなくてもやらかくなるように精進しやがれ。ほれ、おめえの前途を祝して茶で乾杯だ」

 色吉は湯呑みを持ち上げる。

「ちぇ、名前に反して色気のねえ」

「なんか言ったか」

「いえいえ、へい、乾杯」

 ふたりは茶の杯を合わせた。


 翌日、六陸は向両国の見世物小屋にいった。

「おう、おめえ誰だっけ」

 小屋主が言った。

「おいおい、ここもかよ」

「あぁ? なんか言ったか」

「なんでもねえ。思い出してくれよ、おれだよ、ここで軽業を見せてた銀明亭六陸だよ」

「あぁ? ……っと、ぎんみょ……おう、おめえか、見違えたじゃねえか、なにしにきやがった」

「ちぇ、そりゃねえだろう。せっかくまた舞台に立ってやろうってんできたんじゃねえか。そんな態度ならおれぁけえるぜ」

「おう、あばよ」

「そりゃねえだろう。またおれを使ってくれよ」

「ちっ、ならはなっからそう言えよ」

 長いこと休んでいたということで、出し物賃は最低から始める条件を飲まされたが、六陸はその日からまた舞台に出ることになった。いや、それどころかその場ですぐに出ていった。ちょうど似非落語とあやしげな手妻が終わったところだったのだ。

「かるわざー、でござーい」

 六陸は勢いよく出ていき、まえ筋斗、うしろ筋斗、横っ飛び、いくつか流れるように軽々とこなした。見物客の多くが感心して、ほうと感嘆の息をついたり、手を打ったりした。

「ただ失敗するだけじゃあだめだ。ほんとは成功するんだ。そのなかで失敗して見せる。見てるやつを飽きさせねえ工夫がいるってこった」

 色吉あにさんからの助言をもとにあれからさらに芸の組み立てまで考えた稽古を積んだのだ。

 そしていよいよ失敗してみせる。派手に顔から地べたに落ちた。客がはっと息をのむのがわかる。「ぎゃっ」とか「うぐっ」という小さな悲鳴もそこここで発せられた。

 すぐにまた体を半回転させて足のうえに立つと、

「はい、みごと成功してござい」

 と言った。

 どっと、見物客がわいた。六陸は、心が震える思いだった。

 その日の祝杯はひとりであげた。色吉とではまた茶の杯をあげる羽目になるだろうからだ。


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