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色吉捕物帖 三  作者: 真蛸
軽業師
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 銀明亭ぎんみょうてい六陸ろくろくは向両国の見世物小屋が立ち並ぶ通りをぶらぶらと歩いていた。もう夕刻といえども昼間のひどい暑さが去らないような時期で、行き交う人たちもみな薄着だ。

 湿り気を帯びた空気が、澱んでいるために肌にねっとりとからみつくようだ。

 橋に近づくにつれ、だんだん涼しくなってきて、たもとまでくると微風もあって六陸はほっとひと息ついた。大川の水面がきらめいている。しばらくそこらでうろうろしながら、にぎやかな人通りを眺めたり小石を蹴飛ばしたりしていたが、またもときた道を戻りだした。なん町か、小屋の尽きるくらいのところまで歩いてくると、そこでまたうろうろする。六陸は先ほどからなにかずっと考えこんでいるのだ。

 ぼんやりとしていたものだから人に突き当たった。

「おう、気をつけやがれ」

 言いざま見ると、これがちょっと野性味のある、しかし顔立ちの整ったいい男だったので、六陸は鼻白んだ。いきなりぶつかってきたくせに態度の大きい六陸に、その若い男はちょっと呆気に取られた顔をしたが、すぐに、

「おう、こいつは済まねえな」

 と言ってにやりと笑った。

「あ……いや、こっちこそ済まなかったな」

 釣られたようについ謝ってしまった。妙にいい男なのに伝法な口のききかた、こりゃあひょっとするとただ者ではないな、と考えたのだ。男はまたにやりとして、

「じゃあ、お互い様ってことでいいな、じゃあな」

 と言うと、そのまま去っていこうとした。

「あ、ちょっと待ってくんねえ」

 男は立ち止まり、黙って振り返った。顔にはなんの表情も浮かんでおらず、その冷たさに六陸は気おくれしたが、思いきって言った。

「兄さん、役者さんかい」

 すると男は意外そうな顔ひとつせず、ただ「いいや」とだけ言った。――ははあ、言われ慣れてやがるな。

「んじゃあ、一体なんだい」

「なんだい、って、この世に商売が役者しかねえわけでもあるまいに、そんなこと聞いてどうする」

「ああ、そりゃあそうだな。どうしちまったんだろうな俺は。昼間の暑さに当たったのかな」

 ここまで言うと、さすがに男も笑って、「おかしな奴だなあ」と、再び行こうとした。六陸はなにを思ったかその肩に手をかけて引き戻した。

「待ちやがれ、おれをおかしいと言ったな」

 しかしつぎの瞬間には六陸は地べたに組み敷かれ腕をねじあげられていた。

「いてえ、勘弁してくれ」

「この馬鹿野郎、本当に暑さにやられやがったか」

 野次馬が群がってきたが、そのなかでどこかの店のおかみさんといった風情の女が声をかけてきた。

「ちょっと、こんなところで喧嘩をされちゃ迷惑だよ。よそへいっておくれ」

「おうすまねえ、すぐにかたづけるよ」

 顔をあげた男を見て、おかみさんが言った。

「なんだ、色吉の親分さんですか。捕り物だったんですかい」

「いや、暑さでのぼせあがった奴を押さえただけだよ」

 色吉親分と呼ばれたその若い男は、立ちあがりながら六陸も襟元をつかんで軽々と引き起こした。「親分はやめてくれ。子分も持たねえのに」

 それから六陸に向かって、「よし、ここは確かに迷惑がかかるから向こうへいくぜ」と引き立てていく。

「旦那、岡っ……御用聞きの親分だったんですかい。それならそう言ってくれりゃ、おれも絡まなかったのに。痛い目にも会わずに済んだってのに」

 なにしろ相手は、六陸よりたっぷり五つは若いであろう、二十になるかならないかの若僧だ。すっかり見損なっていた。

「まるでおれが悪いみたいな言い草だな」

「いてっ、すまねえ、そんなにねじあげねえでくんな。おれが悪かったよ親分さん」

「さっきも言ったが親分はやめてくれ」

 大通りから一本はずれた通りで、周りのに人の少ないのを見すまして、どんと突き転がされた。

「ここで頭を冷やしな」

 と言って立ち去ろうとする。

「ちょっと待ってくれ」

「しつけえ野郎だなおい。よっぽど痛い目え見てえみたいだな」

 色吉親分もさすがに怒ったようで、ずんずんと引き返して来た。六陸は慌てて手を振って、

「やや、今度は違うんだ。兄さん、あんたを男と見込んで相談してえことがある」


 橋を渡ってしばらく川に沿って歩いたところの蕎麦そば屋の二階の窓際に腰を落ち着けた。蕎麦をそれぞれと、六陸は酒を頼んだ。注ごうとすると、色吉は「すまねえな、おれは飲まねえんだ」と言って断った。たとえつきあいで飲むときでも、お天道さまの出ているうちは飲まないと。

 六陸は、「じゃあ」と言って勝手にやり始めた。

 色吉は話の水を向けてくれるわけでもなく、蕎麦がくると「いただきます」と誰にともなく言って食べ始めた。

 食べ終わって、六陸が自分の蕎麦に手を付けていないのを見ると、初めて不思議そうな顔をした。

「腹が減ってねえのに、蕎麦を頼んだのか」

 六陸が気を遣って、煙草盆を持ってこさせたのに、一服もしないという。

 六陸が自分の煙管をやり始めると、色吉は、「じゃあな」と言って行こうとする。

「おいおい、まだ何も話してねえぜ、つれない人だね」

「ああ、そういえば話があるんだったな。ところでおまえさんは誰だい」

 六陸は心配になってきた。ひどく冷静な、頼りになりそうなあんちゃんだと思っていたが、ひょっとするとそれは買いかぶりで、ただの頭の鈍い若僧なのかもしれない。悩みを抱えている六陸には、堂々とした態度が頼もしく映っただけなのか。

「ええと、おれは銀明亭六陸てえ者で、両国で軽業なんか見せて食ってる」

「ははあ、軽業師にしちゃあちょっと鈍いところがあるみたいだな」

 言いにくいことをはっきりと言う。これはよほどの信念があるのか、あるいはただの馬鹿なのか。ますますわからないあんちゃんだ。

 さて、どう話したものか、じつは六陸にもわかっていないのだが、しかし確かにこれではらちがあかないので、とりあえず思いつくまま話し始めた。

筋斗とんぼをきったり、独楽こまをいくつも廻したりすりゃ、見物は喜んでくれる。でもよ、最近こいつはおれのやりたいことと、ちと違うんじゃねえかなと思い始めてよ。んで、腕を組んでこうっとよくよく考えてみるに、おれはどうも見物衆を笑わせたいんだ、と気づいたんだ。軽業でもよ、成功すりゃもちろん拍手喝采だ、胸がこう、すっとして、こいつは癖になるぜ。だけどよ、失敗したときには、どっと笑いがおこるんだ。初めて笑いが起こったとき、おれぁ震えたね。軽業師としちゃあだめかもしれねえが、笑ってもらった方がうれしいってことに気がついちまった。こいつは癖どころじゃあねえ、病みつきになるぜ」

 そこで六陸は舞台で落語もどきの話芸を始めた。落語となると、師匠に弟子入りして何年も修行しなければならない。厳しい修行を経ても、ものにならず、たった一度の舞台を踏んだだけで、いや高座に登ることすらなく消えていく奴も多い。この世から消える、自ら命を絶っちまうものも多い。

 そこで六陸は軽業を見せていた舞台で、立ったまま面白いことをしゃべるという工夫をしたのだ。ところが。

「まったく笑いが起こらねえんだ」

「へえ。不思議だな」

「それどころか逆に、客が怒り出すんだ」

「そいつは奇妙だな」

 しばしの間。

 色吉が訊く。

「で、おまえさんの悩みってのはなんだい」

 六陸はちょっと呆気にとられたような顔をして、

「いや、だから見物衆に受けないのが悩みっちゃあ悩みなんだが……」

「おめえ、そんなもんおれに相談してどうするんだ。おれが見物の笑う笑わねえについて知るわけがねえ」

「それはそうかも知れねえんだけどよ、なんというか、兄さんにはこう……何となく頼りになるものがあってよ、兄さんならなんとかしてくれるみてえなよ」

「ちっ、妙な頼られ方しても困るけどよ」

 だが、ここまでべったりと頼りにされるとさすがの色吉も無碍むげにはできないようだった。

「じゃあまあ、その話芸、ってのをやってみろよ」

「ここでかい」

「恥ずかしがるような玉でもねえだろう」

「よし……んじゃあひとつ、短いのをいくぜ。気分が出ねえから立たせてもらうぜ」

 六陸は立ちあがると、咳払いをして、ひとくち茶で喉をうるおした。

「『となりの塀に塀ができたってね』『へえー』」

「なめてんのかこの野郎」

 色吉は怒鳴ると、六陸の横っ面に張り手を喰らわせた。「それぁ見物も怒るぜ」

 六陸のほうはといえば、いきなり頬を張られて一間ばかりもふっとんで、そこに丸まっていた。

「ひっ、ひでえじゃねえか」

 よほど痛かったのだろう、涙を流している。

「ひでえのはどっちだ。さんざわけのわからねえことを言ったあげく、しょうもねえもん聞かせやがって。おめえは芸ってもんをなめてる。それくらい度素人のおれでも分かるぜ。おとなしく筋斗をきってるか、それがいやならとっとと故郷くににけえれ」

「てやんでえ、はばかりながら、おれは江戸っ子だぜ」

「ますます許せねえな、江戸っ子の風上にも置けねえ野郎だ」

「そこまで言うこたねえじゃねえか」

「甘ったれんじゃねえ。おめえにゃ無理だ。あきらめろ」

「ち……畜生」

 六陸は丸くなって泣き出した。するとこれには色吉も困って、

「おいちょっと、泣くこたあねえだろ。ほらほら起きろ、もう出るぞ」

 子供のようにぐずる六陸をほとんど抱えるようにして、色吉は店を出ていった。呆気にとられたような表情で見送る他の客たちのあいだを、

「いやあ、こいつ、まだ宵の口だってのにもう酔っぱらっちまったみてえで。泣き上戸なんだ、ははは」

 などと言いながら通り抜ける。

「嘘つきやがれ」

 あきれてぼそりとつぶやく者もいた。

 おもてに出ると、もう夏の長い日も暮れかかってうす暗くなっていた。

「ほらほら、しっかりしろよ、だらしねえ」

 色吉は六陸をほとんど抱えるようにして引っ張っていく。六陸も目方は軽いほうだが、それでも一人前の大人の男だ。それをものともせず、ともするとヘたりこみそうになる六陸を軽く運んでいくのだから大した力持ちである。

 すこし歩いて川っぷちにでると、夕闇とともに川を渡る風でだいぶん涼しくなってきた。色吉は六陸をそこに投げ出すと、

「おれも暇で暇でしょうがねえってわけじゃあねえんだぜ」

 と言った。

「畜生……畜生……」

 六陸はまだ泣いている。

「ほれ、いつまでも泣いてないで、まずは景気づけに筋斗でもきってみろ」

 六陸はきょとんとした表情で色吉をみる。

「いいからほら、やってみろよ」

 また殴られてはかなわないので、のろのろと立ちあがったが、すぐに難なく跳んでうしろに回転して見せた。

「ほう、はずみもつけねえで、大したもんじゃねえか」

 色吉が感心したように言う。「さっきは鈍く見えるようなことを言ったが、やっぱりそれで飯を食っている人間は違うもんだな」

 色吉はもう三回、同じことをさせた。

「おめえ、大したもんじゃねえか」と繰り返し言う。「まったくぶれてねえ。同じように跳んでる。やっぱり飯の種にしようなんてものは、ほかに持ってねえものを真似できねえもんなんだなあ」

 色吉は凝った言い回しをしようとしてかえってなにを言いたいのかわからなくなるくらい感心していた。

「よし、こんだ、さっき言ってた失敗をしてみろ」

「へえ」

 誉められて気をよくしていた六陸はおとなしく言うことを聞き、わざと失敗して頭から落ちて見せた。

「ううん」

 しかし今度は色吉は首をひねっている。

「ちょっと落ち方を変えて、もういっぺんやってみてくれ」

 それから十回ほども繰り返したが、色吉は首をひねるばかりだった。

「全然おもしろくもなんともねえ。ほんとに受けたのか? そのときのこけ方をやってみろよ」

「あ……ああ……あんときは十日も朝から晩まで興行したあとで、しかも最後だから続けて筋斗なんてことやってたんで、さすがに疲れたんだな。あ、しまった、と思ったときにはもう失敗してて、慌てて起きあがったら見物衆が大笑いしてたんだ。ちょっと戸惑ったが、同時に体に震えがくるほど感動してよ。あんなに受けたのも初めてだったが、客が笑うってのが、こんなに気持ちがいいものかってよ……」

「ふーん。じゃあどんな風に失敗したかも覚えてねえのか。とにかくよ、なんつうか、半端なんだよな。筋斗は見事なものなのに、失敗して落ちるときには、ああだめだ、って分かっちまうというか……素人なみになっちまうんだ。失敗のほうだったら、誰にでもできる」

 色吉は首をひねりながら言い、六陸にまた二回ほど失敗を繰り返させた。六陸も色吉の態度に感じるものがあるのか、おとなしく従った。

「わかった。回転し終わって、危なくねえように落ちるのがいけねえ。もう一回転するつもりで、頭から落ちてみせろ」

「頭から、って、危ねえだろ、それ」

「危ねえよ。だからうまく落ちてみせろ」

 六陸は言う通りにした。くるりと回り終わって、足から着地するのではなく、勢い余ってもう半回転して頭から落ちた。

「ぷっ。はははは。いいぞ」

「ぐう。いてててて……畜生め」

 口ではそう言いながらも、しかし六陸は嬉しかった。色吉が笑った。

 顔についた泥を拭いながら立ちあがると、色吉がこう言ってきた。

「もういっぺんだ」

「待ってくれよ。痛いぜ、今のは」

「今の落ち方で、痛くないように工夫するんだ」

「いや待ってくれ、考えてみたらおれぁ曲芸で受けたいわけじゃないんだ、しゃべりで笑いをとりたいんだよ」

 笑ってもらえたのは嬉しいが、自分の目指すところとずれていってしまっている。

「はア? おまえそれ本気でのたまってんのか。おめえがしゃべりで受けをとれるわけないだろ。そもそも本当にしゃべくりが上手くなりたきゃ、おれごときの小者風情に相談なんぞせず落語家に弟子入りするはずだろうが。そんな根性もねえくせに。おっと泣くんじゃねえぜ」

 六陸が涙ぐんできたのを暗いなかで見透かすように釘を刺し、色吉は続けた。

「いいか、おまえさんは、軽業に関しちゃいいもんを持ってる。そいつは自慢していいぜ。おれが許してやらあ。でもおまえさんは、自分の持ってないしゃべりで笑わせたいと言う。そいつは無い物ねだりってもんだ。だからまずは、持ってるもんで勝負したらどうだい。舞台のほうはそいつで持たせつつ、まあどうしてもしゃべりがやりたいってんなら、空き時間にでも稽古すればいいじゃねえか」

 どうやら真剣に自分のことを考えてくれているようで、六陸は感動した。

「兄貴……すまねえ」

「兄貴とかやめてくれよ。ふつうに色吉と呼べよ」

「じゃ、あにさんでどうだ?」

「兄貴よりゃましか」

 その日はあと二回ばかり跳んで、おしまいにした。次の日から六陸ひとりで稽古することになった。


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