十二
六畳あるかないかの小さな部屋で、二郎次は市左衛門と向かいあっていた。家ではこんな近くで相席することはないから、少々落ち着かなかったが、それは市左衛門のほうも同じなようで、そわそわと襖のほうを気にして立ちあがりかけたり、また腰をおろし直したりしていた。
「ずいぶんと待たせるじゃありませんか。もう一刻ばかりも経つでしょうに、少しは名の知れた幟伊勢屋の主人をこんな狭い部屋に閉じ込めておくなんて」
と二郎次が文句を言うと、
「いや、これはここにしてみたら狭いというわけではない。もっと狭いところがいくらもあって、むしろ広いほうなのだ」
意外にも市左衛門は同意するどころかこの襤褸医院をかばうようなことを言いだした。
「しかし兄上もこんなところでは充分な治療も受けられないでしょう。早くちゃんとした医院に移すか、それとも当初の予定通り深川の別宅で療養させるべきでしょうな」
こんなことを言うと、ひょっとしたら「あるじの決めたことに逆らうか!」と市左衛門の一喝を喰らうかもしれない、そう思いながらもついとまらなくなった。
「うむ……しかし……」
しかし父も迷っているのかはっきりしない態度だ。
「ここは近所でも評判の藪だということです。一刻も早く移すべきですな」
「いや……しかし……」
「父上がここに恩義を感じて言いづらいというならば、私のほうから言いましょうか」
「いや、それはいい……」
「そもそもなぜ兄上と面会もまかりならんのか、おかしい。文句を言ってまいりましょう」
と二郎次が立ちあがりかけたところに、
「失礼いたします」と声がかかり、襖が開いた。
木庵が盆を捧げ持ち、はいってきた。
「お待たせいたしました。こちらをおあがりになってください」
盆のうえには蜜柑が十個ほど無雑作に載せられていた。
「それどころではない、兄上に会わせてくれ」
「ついさきほど日茂庵が戻ってまいりました。ただいま支度をしておりまして、しばらくでこちらにご挨拶に参りますので、それまでしばし、果物でも召しあがってお待ちなさいまし」
そうか、と上げかけた腰をおろし、二郎次は盆の蜜柑を無雑作に手に取り、皮をむいて実を口に放りこんだ。
「どうした?」
我が身の様子をじっと見ている木庵に気がつき、二郎次は少々薄気味悪い思いをした。
「いえ、なんでも。伊勢屋さんもどうぞ」
木庵は手をついて挨拶をすると、引きあげていった。
市左衛門も「うむ」と言って、蜜柑を手に取った。
お糸が店のおもてから引っ込んだところにある、控えの間のまえを通ると、なかから声が聞こえてきた。
番頭の九造が手代の竹三とひそひそと話している。
「え……深川のお宅ではなくですか」
お糸は思わずといった調子で足をとめた。
「うむ、通りから一本入ったところにある、日茂庵というところに世話になっているということだ。これは店の者にはまだ言ってはならぬぞ。
どういうことだろう。平助は、自分にだけ一朗太が深川ではなく、近所といっていいくらい近い医者の所にいるということを教えてくれたのではないのか……。
「どうしてでございましょう」
「途中で気が悪くなったのだ。このことは心配かけてはいけないから、皆にはまだ伏せておるのだ」
いや、さっき迎いに行くと言っていたときに番頭に打ち明けたのかもしれない。
「さっき平助を迎えにやったのだが、まだ戻ってこないのだ。まったく、あの役立たずがなにをしておるのか……おまえのほうはしっかり頼んだよ」
「はい」
竹三が立ちあがる気配がしたので、お糸は足を忍ばせ急いでその場を離れた。




