-75- 慌(あわ)て損(ぞん)
物事は慌てれば、多くの場合、失敗や簡単なミスに繋がり、損をする。もちろん、失敗しない場合もあるが、慌てると、当然のことで動作を急ぎ、所作が速くなるから、失敗する確率が高まることは事実である。[慌て損]と言われる所以だが、科学的にも理に適っている訳だ。
粂川は久しぶりにとれた休暇を利用して山登りへ出かけた。多くの場合、粂川が登るのは小高い程度のそんなに高くない山が多かった。
なだらかな坂道を辿ると、やがて勾配のきつい登りとなった。場数を踏んでいる粂川だったから、そんなことはお構いなしで、どんどん登っていった。ある程度まで登ると見晴らしがよい峠へと出た。下界の景観が望め、気分が心地よい。どれ、ここら辺りで少し休むか…と、粂川は休息をとることにした。草原のように柔らかな草の上で水筒の水を飲み人心地ついていると、粂川は日頃の疲れもあってか急に睡魔に襲われた。ウトウト…と寝入って気づくと、もう昼近くになっていた。粂川は慌てた。のちになってよく考えれば、そう慌てることでもなかったのだが、そのときは余裕がなかったから慌てたのである。急ぎ足で登ると、頂上が展望できる所まで出た。ところが、そこで登山道が二手に分かれていたのである。片方は直途で、もう片方はうねった巻き登り道だった。慌てていた粂川は直途を選んだ。いつもの粂川なら巻き登り道の方が早い…と即断したのだろうが、そのときすでに昼を回っていた・・という状況が判断を誤らせたのである。頂上へ登り、そこでゆったりと昼食を食べながら寛ぎ、ゆったりと下山する・・という粂川の当初の計画は大幅に遅れていた。
直途は案に相違してきつく、しかも、しばらく行ったところで絶壁の岩場が粂川の進行を遮った。生憎、ハーケン、カラビナ、ザイル、ピトン・・といったロック用の道具を持っていないのが悔やまれたが、時すでに遅し・・である。粂川は仕方なく元来た分岐点まで引き返した。それでも諦めず、分岐路に出た粂川は、もう片方の巻き登り道を辿った。するとどうしたことか、存外早く、半時間ばかりで頂上へ出た。腕を見ると1時を少し回った頃だった。頂上でゆったりし、2時頃に下山する計画だったから、まだ時間はたっぷりあった。粂川は少しは急いだがそれでも慌てず、昼食を済ませるとしばらくして下山した。思ったより早く下山でき、粂川は得をした気分になった。
つい、急いだばかりに、慌て損をすることは、世間でよくある。
完




