3 エミリアーノのお願いごと
お久し振りです、とフードを脱ぎながら照れたような笑みを浮かべた彼は
「時間が許すようでしたら、少しお話しできませんか?」
と椅子を指す。
ここに居るはずのない懐かしい人の顔を見て驚きすぎて、反応出来ないままにまた腰を下ろす。帰らないのか? という視線のマスターにしどろもどろに先程と同じ飲み物を注文し、改めて彼の顔を見た。
「本当にエミなの?」
「はい。あなたがご存知の、エミリアーノ・ロッカネーラです」
本物ですよ、と差し出された手を握る。そこにいるのは確かに実体と体温のある人間で、思っていたよりも大きな、男の人の手に驚いてすぐに放してしまった。
大きくなった、と感慨深く思うほどに幼い年齢で別れたわけでもなく、たった2年しか経っていないのだから見た目に大きな変化などない。ただ、最後に見たあの日よりも少しだけ大人びただろうか。涼しげな目元が懐かしそうに細められていた。
「なに……なんで、ここに?」
ここは、ロッカネーラ領からは馬車で2~3日かかる。跡取り息子が特に用事もなくふらりと気分で遊びに来られるような場所ではない。商人の町で流通の拠点ではあるが、遊びに適しているわけでもない。
――領主の代理で取引にでも来たのかしら。
あの領地が取引をしている商会の拠点はこの町にあるし、などと考えていると「あなたに会いに来ました」という言葉が耳に飛び込んでくる。
「私に?」
目の前に置かれたグラスの中のワインを半分ほど一気に流し込んで、彼を見れば、なにやら言いにくそうに視線を逸らした。
そういう顔をされると、出会ったばかりの頃を思い出す。エミリアーノと出会ったのは結婚したその日。15歳の私の前に、元夫は9歳の彼を連れ出してきた。夫よりも自分に近い年齢の子供がいることに大きなショックを受けた私を見ていられなかったのか、彼はそっと視線を逸らした。エミリアーノは『誠実』で『正直』な両親から、この状況を誤魔化すことなく伝えられていたのだろう。自分の母親は父親の正式な妻ではない。自分は父親の正式な子供として表に出ることは出来ない。そんな事実を、その年齢で理解していたのだろう。しかし彼は、邪魔者でしかないはずの本妻の私とも仲良くなろうとしてくれた。顔を見れば不器用に笑ってくれて、庭で摘んだという花をくれた。私の人となりについて、夫よりも知ろうとしてくれた。最初から愛する人がいる、とお飾りであることを宣言されていた私も夫になにかを期待することはなかったから、エミリアーノに悪感情を抱くことはなかった。
庭で本を読むことの多かった私は、エミリアーノと庭で会っては交流を深めていた。その中で、彼がほとんど教育を受けておらず、文字の読み書きも覚束ないことを知った。しかし話す内容は非常に賢く、物覚えも良い。このままにしておくにはあまりにももったいなかった。とはいえ、私が勝手に教育を施すわけにもいかない。エミリアーノに教育を受けさせてはどうか、とディエゴに提案したのだが、彼は「必要ないよ」と父親とも思えないことを言いだした。
「大丈夫。それなりに勉強はさせているし、世間はたくさん見せてる。それに、あの顔があれば良いところのお嬢さんと結婚できると思うんだ。そうしたら家は安泰だからね」
その勉強というのも、両親の気が向いた時に少し本の読み聞かせをする程度。どう見てもディエゴより優秀だろうエミリアーノの頭脳がもったいなかった。そこで執事長にも協力してもらって、本邸の仕事を手伝わせるという名目で別邸から連れ出したエミリアーノにこっそり家庭教師をつけた。それまで両親から社会勉強という名目であちこち連れまわされるか、もしくは留守番させられるばかりだったエミリアーノは、みるみるうちに知識を吸収していった。
なにせ代々続く派手好きで、私の実家からの援助をほぼすべて自分たちの遊興費として消費してしまっていた義両親と夫では領地経営も適当なもので、領民たちがじきに貧困に喘ぐことになるのは目に見えていた。元々鉱山の恩恵で潤っていた土地だ。徐々に産出物が減ってきている今、これまでのようなやり方では枯渇してしまうのも明らかだった。
夫がエミリアーノを跡継ぎにしようとしているのは言葉の端々から伝わってきていた。時期が来れば私は追い出されるだろうという予感もあった。だからこそ、私がこの地を去った後の領地の健全な経営の為に、エミリアーノの才能が必要だった。
彼が12歳になった頃、先代領主様が病で亡くなり代替わりが行われた。元夫はあらゆることを自分のやり方に変えようと画策し、どれもが良い方向に回ってはいなかった。やはり、エミリアーノには質の良い教育を受けてもらう必要がある。そこで、同年代の貴族の子息・令嬢とのご縁を作ることを目的に、ロッカネーラ伯爵家の遠戚の子という身分を用意し、寄宿学校に入れることを提案した。夫は当初、その提案を『正妻にとって目障りな愛人の息子を遠ざけるための口実』だと思ったようだ。だが、高位貴族との縁が出来る、ということは魅力的だったらしい。結局、エミリアーノはそこから17歳になるまでのほとんどを寄宿学校で勤勉に過ごし、優秀な成績で卒業した。
卒業後は、なにもしない当主に代わって領地経営に手を出していた私の補佐役として、見事な働きを見せてくれた。
――この子がいれば、私がいなくても領地はきっと大丈夫。
最終的にはそれを期待して離縁を受け入れたのだが。
「もしかして、上手くいっていないの?」
「ええと……」
エミリアーノはまた視線をさまよわせる。そんなに状況は良くないのか、と私は唇を噛んだ。10年もない婚姻期間だったが、夫からは愛されなかったものの、仕事として領民と交流できる時間は楽しかった。あの時の生き生きとした人々の顔が次々と浮かんでくる。今の私が彼らを直接助けることは立場上難しいが、窮地なのだとしたら放っておくのも気分が悪い。
「エミ、ちゃんと言ってくれないとわからないわ」
続きを促せば、彼は拗ねたようにまだ上目遣いになった。
「もうその呼び方はやめてください。子供っぽくて恥ずかしいです」
――今、そんなことを言っている場合なの?
呆れつつも「じゃあ……エリオ?」と別の愛称を提案すると、彼はにこりと微笑んだ。
「それで、エリオは何のために私に会いに来たの?」
気付けば手元のグラスには3杯目のワインが注がれている。さすがに飲みすぎかしら、と思いながらエミリアーノ――エリオを見る。
「実は、コスタさんにお願いしたいことがあって、探していたんです。」
その言葉で、改めて彼から探されていたことを知る。追い出した人間を頼らなければいけないほど、たった2年で領地はひどいことになっているのだろうか。なにが? どこで問題が起きているの? どれくらい早急に手を打たなければいけない状況なのかしら。そんなことを考えていると、不意に左手を取られた。
「コスタさん」
「えぇと、私にお手伝い出来ることなら協力してあげたいけど。以前のような資金援助は無理よ」
と言えば、エリオは首を左右に振って「資金援助を求めに来たわけではありません」と返してくる。その目はとても真剣で、私も思わず姿勢を正してしまうほどだった。一度深呼吸したエリオは、しっかりと両手で私の手を握り締めて真っ直ぐ見つめてくる。そして
「俺と、結婚してください」
そんなことを、言ってきた。




