2 2年後、再会したのは元夫の息子
それが、2年ほど前の話。
当然、伯爵家との縁を台無しにした私に父は怒り狂い、実家に戻ることは許されなかった。憐れんだ兄が手配してくれた町外れの家に住み、結婚後に縁が出来ていた異国の商人たちから仕入れた少し珍しい雑貨や酒の卸売などで生活している現在の私は、全てのしがらみから解放され自由なものだった。
「お嬢様、本当に良いんですか?」
昔から私の世話係をしてくれて、婚姻中も心身ともに寄り添い、今も一緒に暮らしてくれているグレタは、もう何度目になるかわからないことを繰り返す。
「だってお嬢様、本当にお子が成せない身体かどうかわからないじゃないですか。あんな噂、気にすることありませんよ。次こそ本当に大切にしてくださる殿方が現れるかもしれないのに、そんな諦めきったような格好で出歩かれて」
「元夫が『妻は子供を産めない身体で』って言いふらしてくれたし、父上もそれを信じ込んでいるから同じことを周囲に言いまくったでしょう? 若くもなく連れ歩きたいほどの美人でもなく、子供も産めないって言われている女に結婚を申し込むような物好きがどこにいるの。良いのよ、私は今の生活で満足してるし、恋なんてしなくても生きていけるわ」
「しかし」
「だから、ね? 私のことは気にせず、グレタは幸せになれば良いのよ」
私の1つ上のグレタは、もう27歳になる。彼女が求婚された頃に私が離縁されてしまったせいで、結婚のタイミングを逃してしまった。さすがに2年も待たされた恋人が我慢の限界に来たらしく、数日後にこの家を出ていくことになっていた。一人暮らしになってしまう私のことを心配しているのだとは思うが、もう小娘でもなければ、自分のことくらいどうにかなる程度には家事も出来る。ここには通いで来てくれることになっているが、子供が出来たらそういうわけにもいかないという事実も、グレタの心配事を増やしている。でも、これ以上彼女を縛り付けるわけにもいかない。姉妹のような感覚になっている彼女の幸せは、私の幸せでもあるのだから。
大丈夫だから心配しないで、と笑った私は、その夜は馴染みの酒場に顔を出すことにした。
賑やかな店内に響く楽しそうな笑い声は耳に心地良い。楽しそうに酒を飲みかわす人たちの顔を見るのが好きで、時々こうやって酒場に来てはのんびりとグラスを傾けるのが楽しみになっていた。
「隣、よろしいですか?」
突然、男性から声をかけられる。普段、この店の客がフードを被ってカウンターに一人で座っている私を気にすることはない。珍しいこともあるものだ、と思いながら頷き、ちらっとこちらを見たマスターに手を挙げて、大丈夫だと伝える。
この店は元冒険者の屈強なマスターが経営していて、店員全員が腕に覚えがある引退した冒険者ということもあり、酔って暴れるような人はほぼいない。ここにお酒を卸すことになった際、女の一人飲みなんて難しいわよね、とぼやいた私に「だったらここに通うと良い」とマスターは言ってくれた。元から客層は良いのだが、酔った客が絡まないように見張っていてくれると約束してくれたことで安心して常連になれた。今では、女性の一人客も珍しくない店になっている。
「こちらの店は初めてなのですが、なにがおすすめですか?」
私と同じくフードを被った男は、爽やかな声で尋ねてくる。
「そういうことは、私ではなくてマスターに聞いた方が良いんじゃないですか?」
素っ気なく答えても、男性は「あなたのおすすめが知りたいんです」と引かない。変な男だと思いながらいくつかお気に入りのメニューを教えると、彼は小さく息を呑む。なに? と怪訝に思って横を向けば、男はフードを深く被り直した。
麦酒と2つほどの小皿を注文した男は、すぐに出てきたそれらを前に手をつけようとしない。
「あの……? 麦酒ならば、なるべく早く飲んだ方が良いのでは?」
このままだと泡が消えてしまう。飲み方を知らないのかと、余計なお世話だと思いつつ声をかける。
「あ、すみません」
何故か謝った彼は、ジョッキを持ち上げると一気に喉に流し込む。喉を鳴らして飲み込み、カウンターに小さな音を立ててジョッキを置いた彼は、息を長く吐いてからフォークを手に取った。ナッツの蜂蜜漬けを咀嚼し、飲みこみ、また息を吐いて胸を押さえる。
「お客さん、どうしました?」
マスターが低く響く声で尋ねた。胸につかえたか、口に合わなかったのではないか、と思ったのだろう。男は慌てたように首を左右に振る。その弾みでフードが落ちるのが視界の隅に映った。
「あ」
すぐにフードを被り直した男は、こちらをチラチラ見る。
「安心して。見てないわ」
顔を見られたくないのだろうと思って、金髪だったことくらいしか見えていなかった私は安心させるように伝える。しかし男から漂ってくるのは妙な空気だ。こちらを気にしている様子は見えるが、特に話しかけてくることもない。無視してグラスの残りを飲み干し、立ち上がろうとする。
「マスター、お代」
「俺に払わせてください」
「……はい?」
「おすすめを教えてくださったお礼です」
「それくらいで? 結構よ。マスターここに置いておくわね」
――なんなのこの人。
男を無視してお金を置こうとするのだが、頑なに払わせてくれと言ってくる。
「ごめんなさい。私、どこの誰ともわからない人から奢られて安易に喜ぶような性格はしていないの。そういうの、迷惑だわ」
「変わっていないんですね、そういうところ。ナッツの蜂蜜漬けも、昔から好きでしたよね、コスタさん」
ぽつりと呟かれた言葉に眉を顰める。コスタ、と仇名で私を呼ぶ人は多くない。知り合いなの? とフードの中を覗き込んだ私は、ぽかんと口を開けた。
「……エミ……?」
私を見て微笑んでいたのは、2年前にさよならしたきり一度も会っていなかった元夫の一人息子、エミリアーノ・ロッカネーラだった。




