1 離縁を求められました
「コスタンツァ、息子の婚約が決まったんだ」
旦那様、ディエゴ・ロッカネーラはキラキラした笑顔で言った。
それに対し私の口から出たのは「あら、おめでとうございます」という感情のこもらない短い言葉だった。
あまりに他人行儀、そう思われるかもしれない。しかし、私と息子の間に血の繋がりはなかった。と言っても、私は後妻ではなく間違いなく夫の最初の妻だ。だが結婚生活9年目にして私たちの間に子供はいない。そして主人の言っている息子と言うのは――愛人に産ませた、彼自身の一粒種のことだ。
いわゆる政略結婚。家同士の都合だけで繋がった関係。10歳の頃に婚約、婚姻可能な15歳になってすぐ一回り以上年の離れたディエゴに嫁いだ。実家は男爵家ではあるけれども、祖父の代に莫大な富を築いて爵位を得た新興貴族であるため、成り上がり、守銭奴、元平民、と陰口を叩かれていた。プライドの高い父は、それが許せなかったようだ。財政難に陥っていたロッカネーラ伯爵家に、膨大な持参金を提示しての婚約を持ちかけたのだった。
ディエゴとしては、圧倒的に格下であるフィオラヴァンティ男爵家からの援助で持ち直したことや、私の地味な見た目や性格、婚約した時分にはまだ子供だったが故の魅力のない身体つき、全てが気に入らなかったのだと想像できる。私と婚約しながら、彼には最愛の恋人がいた。そして、幼馴染であり、既に落ちぶれていた伯爵家の末娘であった恋人アマンダとの間には、呆れたことに婚約した段階で既に子供がいた。
伯爵家にとってなんの得もない彼らの関係は義父からは認めてもらえず、結婚することは叶わなかった。が、別れることを強要されることもなく、アマンダは子供を孕んで以降、この家の裏手に建てられた立派な別宅でディエゴと共に暮らしていた。
つまり、私の実家と私は、最初から馬鹿にされていたのだ。どのような振る舞い、扱いをしようと、由緒ある家柄を欲している父が援助の出し渋りをするはずもない。むしろ、そのような状況だからこそ、実家が付け入る隙があったとも言える。私にとって、婚約段階から明るい将来などない結婚だった。
「まあ、僕は誠実な男だからね」
結婚したその日、旦那様は正妻の前で愛人、いや、彼の真の妻であるアマンダの腰を抱いて微笑んだ。
「彼女だけに愛を誓っているから、君に手を出すことはないよ」
誠実、という言葉の意味は、彼の辞書と私の辞書では異なっているようだ。愛人に誠実な愛を誓っているディエゴが、私と寝室を共にすることはこの9年間で1度もなく、常に別宅でアマンダと蜜月を過ごしていた。彼らの間にそれ以上の子供が生まれることはなかったが、妖艶な美人であるアマンダと、煌めく金髪碧眼の美男子ディエゴ、両方の良いところを継いだ彼らの息子エミリアーノは、誰が見ても美形だった。
エミリアーノが18歳になる直前、ディエゴは「妻が子供を産めない身体の為、家督を継がせるために優秀な遠縁の子を迎え入れた」という触れ込みで彼を社交界に連れ出した。正式な跡取りとしての社交界への顔見せ後、ご縁があって親しくなった侯爵家の末娘との婚約が決まったらしい。
「侯爵家と縁が出来れば、君の家からの援助がなくともやっていかれることになる。そっちだって、もう金だけ出すような関係は嫌だろう? 僕だって、愛情を返してあげられないのに、こうやってこの家に君を拘束し続けているのは心苦しいんだ。だからね、籠の中の鳥だった君を、もう解放してあげようと思うんだ」
つまり、この機会に子供を産めない――という設定になっている――妻と離縁し、遠縁の子とその母親――という設定の、彼にとっての本物の家族――を正式に迎え入れよう、と考えたらしい。
それはそれは良い笑顔で旦那様は言って
「これ以上愛されない人生など送りたくはないだろう? 君に、僕たちのような素敵な相手が見つかることを願っているよ」
と離縁の為の書類へのサインを求めてきた。
彼の隣にしなだれかかるように座っているアマンダを見ても、なんとも思わない。ただ、本当にそれでこの領地は大丈夫なのかしら、という不安がよぎる。
実家からこちらに向けて行っていたのは、資金援助だけではなく、人材派遣や交易ルートの融通、信用のおける商人たちへの面通しなども含んでいた。それらの中には、ここに私がいるから、という理由で続いているものがいくつかあることを知っていた。ここを去ってしまった時その縁がどうなるのかを考えると、領民が苦しむことになるのでは? という思いですぐに手が動かなかった。
しかし、それを旦那様は、私が彼に未練があると考えたようだ。なにやら私を愛せない理由を惚気混じりに滔々と語っていたが、興味のない言葉は右から左へと流れていく。しばらくしてから「父上」よく通る声が静かに旦那様の声を遮った。
ちらっと声の主を見る。旦那様とアマンダの座っているソファの後ろに姿勢良く立っていた彼らの息子、エミリアーノが表情を変えることなく続ける。
「それ以上彼女を傷つける必要はないでしょう。どちらにしても、もう出て行ってもらうことは決まっているのですよね」
「ああ。もう明日にはこちらにアマンダとお前の荷物を移す予定だからな」
明日には引っ越しだなんて聞いていない。少し驚いた私に、エミリアーノは憐れむような視線を向けた。
「コスタンツァ様、そういうことです。どうか、サインを」
「……わかったわ」
ディエゴが言い出したら聞かないのは、今に始まったことではない。旦那様の中で確定した事項に対して、私が口を挟む余地はない。何も言わずにサインをして書類を渡せば、旦那様とアマンダは顔を寄せあって幸せそうに笑い、私はすぐにその場を追い出されたのだった。
――荷物、まとめなくてはね。
自室に向かって歩き出した私は、通りがかりに出会ったメイドにここを出ていくことになったことを伝え、少ない荷物をまとめてもらうようにお願いする。旦那様から冷遇されている状況ではあったが、彼らは私に一切関心がなかったので冷遇されていたというわけでもなかった。驚いた顔を見せたメイドだったが、主人の気質も十分に理解していたため、すぐに作業に移ってくれた。ついでに早馬で実家に離縁されたから戻ると伝えてもらい、昼過ぎに離縁を突き付けられた私は、それから数時間後には実家に向かう馬車に乗っていた。




