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第三十話 五百の声

列柳城を落とした後、城内を一通り巡回した。山の中に作られた木組みの城は、季節を無視するかのように涼しかった。その部屋のひとつに蜀軍の兵糧が積まれていた。


「蜀軍は食べなかったのですか?」


護衛に付いた兵が聞いてきた。私はつい笑ってしまった。


「違う違う。米だけあっても水が無ければ食えないでしょう」


「狙ってたのですか?」


「もちろん。伏兵を置くには、食糧が要るから」


次の日の朝、薄く残る煙が、朝の木漏れ日を線状に浮かび上がらせていた。


私は角楼の上で、火を焚いていた。小さな鍋で、米を茹でるでも蒸すでもなく、炊いた。おにぎりを握って、大豆を発酵させた自家製味噌を塗って焼いた。残る焼いた魚と肉の匂いを嗅ぎながら、焼きおにぎりをほうばった。


「……これはなかなか。醤油も作ってみたいな」


物見から山を見下ろしながら、焼きおにぎりを食べた。そこに兵長、副長がやってきて、背中越しに声をかけられた。


「お呼びでしょうか?」


私は二人の方を向き、彼らに伝えた。


「私はこれから街亭へ向かいます。副長は、数人を連れて上邽に走ってください。馬遵殿が、将を回してくれるはず。兵長は副長が戻るまで兵をまとめてください。将が来たら指示を仰いで」


「はっ」


兵長と副長の鼻が小刻みに動いていた。


「あと、これ食べて。美味しいから」


私は笑顔でそう言って、焼きおにぎりを二人に一つずつ手渡した。残った焼きおにぎりを数個、布に包み、部屋に戻った。部屋には斥候が先に待っていた。


「どうだった?」


「涼州刺史徐邈(じょばく)様により、南安の反乱は鎮圧されました」


「よし」


「隴西はまだ落ちておりません。ですが、蜀軍に囲まれております」


私は木簡に筆をとった。


『雍州刺史郭淮、参ず。蜀の援軍を切る』


「これを隴西太守の游楚(ゆうそ)に密に届けよ」


それから一杯の茶を飲み、鎧を纏い、護衛を二人だけ連れて街亭に走った。


街亭へは山道だが、足元は馬が走れるほど踏み固められていた。長安から街亭への道にたどり着くと、道に兵が通った新しい跡があった。


私はその兵の足跡を追って馬で駆け抜けた。夏の晴れた山の風に、胸の奥が熱くなっていた。


街亭の水場には、すでに魏兵は()らず、死した蜀兵と槍や弓が転がっていた。


「……という事は」


私は天水に向かう道を急いだ。その先に『張』印の旗が見えてきた。馬を止めた。細い山道で兵が渋滞していた。私は道の隙間を駆け抜けて、張郃を探した。


懐かしい顔が見えた。思わず遠くから声をかけた。


「儁乂どの! ご無事で!」


張郃がこちらを振り向いた。


「おお、穂泉か!」


私は、張郃の馬の隣に自分の馬を寄せた。


「はい。列柳に隠れていた高翔を破ってまいりました」


「しばらく見ぬ間に立派になったな」


張郃は、戦には似合わない笑顔を見せてきた。


「儁乂殿、敵はじりじりと交代し、平地で挟撃(きょうげき)する算段と思われます」


「……」


「私は遊撃に出て、後ろを少しでも止めてきます。遊軍を五百ほどお貸しください」


「なんと!?」


張郃が、目を見開き私を見た。


「蜀軍は攻めてきません。儁乂どのも決して攻めないでください」


「おぬし……何か考えがあるのだな?」


「はい」


そう言って、張郃に焼きおにぎりが入った布を渡した。


「なんだこれは?」


「開発中の保存食です。これなら進軍中でも食事が()れます」


張郃は焼きおにぎりを黙って凝視した。


「では、祁山にてまた会いましょう」


私は馬の鞭を振り声を張った。


「遊軍兵、私に付いてこい。天水に(さが)らず一気に隴西まで駆け抜けるぞ」


騎馬の遊軍兵は早かった。


またたく間に、山肌から見下ろすと渭水に沿った盆地に襄武(じょうぶ)城が見えてきた。その周りに旗のない帳幕が幾つも張られていた。


「いくぞ!」


遊軍兵長が号令をかけた。私は慌てて止めた。


()くな、止まれ! そっちではない!」


「助けぬのですか!?」


「助ける。そのために、あっちに向かえ」


私はさらに西の山を指した。遊軍兵たちは顔を見合わせ、言葉を止めた。次の瞬間、全員が私の方を向いた。私は身体の底から身震いした。


私はひとつだけ大きく頷き、手を挙げて、馬腹(ばふく)を蹴った。


私が走り出すと、一斉に後ろから兵たちが追ってきた。森の木々から洩れ込む夕日が私の背中を照らしていた。私の前には私自身の影が伸び、私はその影を追って走った。


夜になり、広い盆地が見えた。枹罕(ほうかん)だ。そこには、小さな集落があり、月明かりだけの山中に、集落の火だけが浮いていた。集落の周囲に、簡単な柵・土塁・見張り台が見えた。


「よし、止まれ」


全員を一ヶ所に集めて待機させた。


「夜襲を仕掛ける。一気に駆け下りよ」


一拍だけ置いた。


「隠れているのは、守りきれぬからだ」


目を閉じて息を吸った。


「……恐れるに足らん」


見開いて、できるだけの大声で叫んだ。


「突っ込め!」


五百人が一斉に集落へと突撃した。


――夜の集落は、こちらの数を数えられない。


「叫べ! 声を出せ!」


夜の盆地に五百人の叫び声がこだました。少しだけ置いて、悲鳴が混ざった。


簡素な柵は無かったかのように崩れ、私は真っすぐに、一番大きな営に辿り着いた。


目の前に、黒く痩せた男が座っていた。


「我こそは魏将郭淮。おぬしが族長か?」


「いかにも」


私は馬を降りた。族長は微動だにせず、先に言葉を発した。


「要求は何だ?」


「引け。蜀の旗に付くな」


「否と言えば?」


「皆殺しだ。お前らの住処(すみか)は把握している」


「……」


私は剣を抜いて、族長に切っ先を向けた。族長はしばらく上をむいた。


「……ここは負けか」


族長は、そう言いながらも私から目を逸らさなかった。私は切っ先を下ろさず、むしろ族長の首元に近づけた。


「全軍引かせよ!」


族長の声が通った。ざざっと周囲から十人程の兵が出てきた。


「はっ!」


そう言って散っていった。


「わしを殺してたら、おぬしは殺されていただろうな」


族長は片方だけ口角を上げながら私に言った。私は顔を少し上げて、族長を見下げて返した。


「私を殺していたら……どうなるか、もうお分かりだろう」


営の外では、さっきまでの騒音が止んで、布がはためく音だけが聞こえていた。私はそれ以上言わず、何も聞かず、祁山へと向かった。


その馬足は、自然と緩んだ。馬の首を撫でながら、山の夏の匂いを感じて歩いた。


道の横が馬蘭(ばらん)の花で、白と紫に染められていた。私は足を停め花に顔を寄せた。ほのかに(あわ)くやわらかい甘さを鼻に感じた。


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