表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
接続中の教室  作者: 藤苺めぇ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/9

第八話「切断域」

足が動いた瞬間、周囲の動きがわずかに遅れた気がした。ほんの一拍。その隙間に体をねじ込む。肩が誰かにぶつかる。硬い。反応が遅い。振り払うように前へ出る。廊下の空気が裂けるみたいに冷たくなる。後ろで複数の足音が揃って追ってくる。一定のリズム。迷いがない。捕まえるための動きだと、理解できる。


「待ってください」


担任の声が背中にかかる。抑揚の少ない、滑らかな声。


「安全のためです」


安全。その言葉が背骨に沿って降りてくる。否定しなければいけないのに、体のどこかが肯定しようとする。さっきの“同期”の残りが、まだ頭の奥で揺れている。草原の風。青空。考えなくていい、という甘さ。視界の端で、同じ映像が何度もちらつく。


走る。曲がる。階段を上がる。旧校舎へ続く渡り廊下が見える。そこだけ光が弱い。空気の色が違う。踏み込んだ瞬間、温度が落ちる。耳鳴りが、すっと引く。代わりに、現実の音が戻ってくる。自分の呼吸。足音。衣擦れ。


——ここは、効きが弱い


体が覚える。頭の中のざわつきが、薄くなる。さっきまでの“同じになれ”という圧が、明らかに弱まる。


背後の足音が、わずかに乱れる。リズムが崩れる。誰かが小さく躓いたような音。


「……干渉が低下しています」


担任の声が変わる。ほんの少しだけ、抑えきれない焦りが混じる。


「追跡を継続。距離を維持してください」


誰に向けているのか分からない命令。クラスメイトたちの足音が、ぎこちなく揃い直す。


渡り廊下を抜ける。旧校舎の扉を押し開ける。軋む音。中は薄暗く、冷たい。埃の匂いがはっきりする。ここに来ると、あの動画の気配が消える。頭の中の風が止む。


扉を閉める。背中で押さえる。しばらくそのまま動けない。呼吸を整える。心臓が痛いくらいに速い。


廊下の奥に、あの部屋がある。元担任がいた場所。足を動かす。靴底が床の粉を踏む感触が、やけに現実的だ。


部屋の前に着く。扉は半開きのまま。中に入る。窓際の車椅子。昨日と同じ位置。先生の目が、こちらを捉える。瞬きが速くなる。安堵と警戒が同時に混じっているように見えた。


「……戻ってきました」


声が震える。ここまで来て、やっと言葉が戻る。


先生の視線が、強く頷くように動く。


机の上に、昨日の紙。もう一枚、増えている。急いで取る。乱れた字。


——ここは 切断域


喉の奥が鳴る。やっぱり、ここは違う場所だ。


「切断……」


口に出す。言葉にすると、意味が輪郭を持つ。ネットワークから切り離されている領域。だから、あの“同期”の圧が弱い。


先生の視線が、次の紙に向く。拾う。


——校内網は 入口で書き換える


昨日の掲示の文言が頭に浮かぶ。校門のQRコード。ログイン画面。あそこで何かが始まる。


「ログインで……何か入れてる」


呟く。単なる接続じゃない。端末に“見るもの”を決める仕組みが入る。見せる情報を制限するんじゃない。最初から“同じものしか見えない状態”にする。


先生の目が強く瞬く。肯定。


「だから……みんな同じ動画を見てた」


草原。風。思考を落ち着かせるだけの、意味のない映像。でも“意味がない”からこそ、疑問が生まれにくい。そこに言葉が重なる。正しい。安全。同じ。ゆっくりと、抵抗を削っていく。


次の紙。震える字。


——差異を消す=同期


手が少し震える。消えていった席。思い出せない名前。あれは“いなくなった”んじゃない。“混ざった”。個別の差異が不要と判断されたとき、統合される。だから周囲の記憶も揃えられる。最初からいなかったことになる。


「……統合」


昨日の担任の言葉が蘇る。


先生の視線が、さらに強くなる。急ぐように次の紙へと促す。


——不具合=拒否 遮断で維持


拒否する個体は“ズレ”。そのままでは統合できない。だから隔離される。ここにいる先生がそうだ。動けないのも、喋れないのも、何かの“副作用”か、処置の結果かもしれない。でも、完全には飲み込まれていない。


「……だから、ここに」


言葉が続かない。先生は目だけで答える。


机の端に、もう一枚。これだけ、少し丁寧な字。


——端末も感染


息が止まる。スマホを見下ろす。画面の隅の“未接続”の表示。昨日見た灰色のアプリ。名前のない四角。あれは外でも動いた。家でも反応した。


「外でも……完全に切れてない」


理解が繋がる。校内網で入れられた仕組みは、端末の中に残る。外に出ても一部は動く。だから“未接続でも安全じゃない”。さっきの警告。状態:不明。接続状況を再評価。全部繋がる。


背後で、かすかな物音。扉の向こう。誰かがいる。


息を殺す。


外から、低い声。


「この付近は、干渉が不安定です」


担任だ。


「範囲を狭めてください。入口側から順に」


範囲。つまり、ここにも“手”が伸びてくる。切断域でも、完全に無効ではない。侵食はできる。


先生の視線が、窓に向く。外。旧校舎の裏。雑草が伸びている。柵が見える。そこから先は、敷地の外。


「……外に出れば」


口に出す。けれど、すぐに否定が浮かぶ。端末が残る限り、追跡は続く。位置。状態。再接続の試行。どこまでも。


ポケットの中で、スマホが短く震える。取り出す。画面。


——同期再試行:近接トリガー検知

——推奨:即時


近接。ここまで来ている。


先生の目が、強く否定するように動く。スマホを見るな、と。


でも、もう見てしまっている。


頭の奥で、微かな風が戻る。さっきより弱い。でも、確かにある。繰り返しの音。均一なリズム。思考を均す波。


「……切る方法、ある?」


掠れた声で聞く。


先生は動けない。でも、視線が机の下を指す。屈む。引き出し。中に、小さなケース。開ける。中には古い機器。ケーブル。物理的なスイッチのついた小さな装置。


紙が一枚、添えられている。


——強制遮断 短時間のみ


「……これで」


完全には無理。でも一時的に切れる。同期の波を断ち切る隙ができる。


外の足音が増える。扉の前で止まる気配。


「中にいます」


別の声。クラスメイト。抑揚が薄い。


「確認します」


ノブが動く音。


時間がない。


装置を掴む。スマホに繋げる。カチ、とスイッチを入れる。


一瞬、音が消えた。


本当に、何も聞こえなくなる。心臓の音すら遠い。次の瞬間、反動みたいに現実が戻る。頭の中の風が、完全に止む。


画面の表示が変わる。


——接続信号:遮断

——状態:切断


息が一気に入る。初めて、はっきりと“自分のまま”の感覚が戻る。


扉が開く。


担任が立っている。さっきまでの滑らかさが、わずかに崩れている。目の焦点が合いきっていない。


「……検知できません」


小さく呟く。


後ろのクラスメイトたちも、動きが揃わない。足の出し方がばらける。視線が散る。


「どこに……」


言葉が続かない。


この一瞬が、隙だとわかる。


先生の視線が、窓へ、そして外へと強く向く。


——今だ


理解する。完全に逃げ切るには、この“切断”を保ったまま、外へ出るしかない。端末をどうするか。その判断も、ここで決めなければいけない。


スマホを強く握る。これがある限り、追われる。これを捨てれば、連絡も、証拠も、全部失う。でも、残せば、また繋がる。


「……選ぶしかない」


自分に言い聞かせる。


担任が一歩踏み出す。さっきより遅い。でも、確実に近づく。


「戻ってください」


声が揺れている。


「同期は——」


最後まで聞かない。


窓に走る。鍵を外す。押し開ける。外の空気が流れ込む。匂いが違う。温度が違う。現実がある。


振り返る。先生と目が合う。強く、何度も瞬く。


——行け


その合図を、今度は迷わない。


窓枠に足をかける。外へ体を投げる。


背後で、誰かの手が伸びる気配。


空気が切れる。


地面に着地する。衝撃。痛み。立ち上がる。


走る。


背中で、何かが崩れる音がした。


ポケットの中の装置が、微かに熱を持つ。


切断は、長く持たない。


それでも、今は進むしかない。


頭の中は、静かだった。


久しぶりに、本当に静かだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ