第四話「未接続の外」
放課後の校舎は、昼間よりも静かだった。廊下に残る足音は少なく、どこか音が吸い込まれていくような感覚がある。教室に残っている生徒もいたが、ほとんどが席に座ったままスマホを見ていた。会話は少ない。指だけが、同じリズムで動いている。
「帰らないの?」
隣の女子に声をかけると、少し遅れて顔を上げた。
「もう少し」
「何見てるの?」
「おすすめ」
それ以上の説明はなかった。画面には、またあの草原が映っている。再生時間は、さっき見たものとほとんど同じだった。
「……先に帰るね」
そう言うと、彼女は小さく頷いた。その動きも、どこか規則的だった。
教室を出る。廊下を歩く。窓の外はまだ明るいのに、校内だけが少し暗く感じる。電気はついているのに、光が届いていないみたいだった。
昇降口に向かう途中、視線の端に古い掲示板が映った。普段はあまり見ない場所。埃をかぶった紙が何枚も貼られている。その中に、一枚だけ新しい紙が混じっていた。
——校内ネットワーク運用開始のお知らせ
日付は、つい最近。内容は簡単な説明だけだったが、一行だけ気になる文があった。
——全生徒は接続を義務とする
義務、という言葉が引っかかる。
その下に、小さく注意書きがあった。
——未接続状態の長期継続は、安全を損なう可能性があります
安全。
またその言葉だ。
目を離した瞬間、背後で物音がした。振り向くと、誰もいない。廊下はまっすぐ続いているだけで、人影はなかった。
少しだけ、足早になる。
昇降口に着く。靴箱の前には誰もいない。外履きに履き替えようとしたとき、ポケットの中でスマホが震えた。
——未接続状態が継続しています
——警告レベル:低
画面には、それだけが表示されている。さっきよりも一段階、言い方が変わっていた。
「……帰るだけなのに」
小さく呟く。
外に出る。校門を抜けた瞬間、空気が変わった。さっきまでまとわりついていた重さが、少しだけ軽くなる。風がちゃんと流れているのがわかる。
思わず深く息を吸った。
そのまま家に向かう。途中で何度かスマホを見るが、通知は増えていなかった。ただ、画面の隅に小さく「未接続」と表示されたままになっている。
家に着く。玄関を開けて中に入ると、いつもの匂いがした。それだけで、少しだけ安心する。
靴を脱ぎ、部屋に入る。机の上にスマホを置いたまま、しばらく動けなかった。
——試すなら、今だ
ふと、そう思った。
家のWiFiに接続する。画面の表示が切り替わる。アンテナのマークが安定する。
ブラウザを開く。検索画面。キーボードに指を置く。
「学校名」
入力する。
検索。
結果が表示される。
——該当する情報は見つかりませんでした
一瞬、意味がわからなかった。
もう一度、打ち直す。正式名称を確認して、間違いがないように入力する。
検索。
同じ表示。
「……そんなわけない」
学校の名前が、出てこないはずがない。
ニュースを開く。地域の話題を探す。学校に関するものがないか、スクロールする。
何もない。
まるで最初から存在していないみたいに、痕跡が見当たらなかった。
心臓の音が、少しずつ早くなる。
次に、動画アプリを開く。おすすめに並ぶ動画は、昼間とは全く違っていた。ニュース、音楽、雑多な映像。普通の並び。
試しに、あの草原の動画を探す。
見つからない。
履歴にも残っていない。
「……おかしい」
そのとき、画面の端に見慣れないアイコンがあることに気づいた。いつの間にか追加されているアプリ。名前は表示されていない。灰色の四角に、小さな点がひとつだけ。
指が止まる。
押すべきじゃない、と思った。
でも、ここまで来て何も知らないまま戻るのは、もっと怖かった。
ゆっくりと、そのアイコンに触れる。
一瞬、画面が暗くなる。
次の瞬間、白い画面に文字が浮かび上がった。
——接続環境が変更されました
——校内ネットワーク外での動作を確認中
背中に、冷たいものが走る。
——安全性の確保のため、一部機能を制限します
その下に、小さく続いていた。
——現在の状態:未接続
画面の奥で、何かが“こちらを見ている”ような感覚があった。
思わずアプリを閉じる。呼吸が浅くなる。
そのとき、ふと頭に浮かんだ。
——あの人なら
車椅子の元担任。
話せなくなった先生。
あの人だけが、この“流れ”から外れている気がした。
会わなければいけない。
理由はわからない。でも、それだけははっきりしていた。
机の上のスマホが、再び震える。
画面を見なくてもわかった。
次は、きっと——少し強い言葉になる。




