第三話(清書完全版)「消えている席」
昼休みの教室は、静かだった。騒いでいないわけではない。会話もあるし、笑い声もある。それでも、どこか音が揃いすぎていた。複数の声が重なっているはずなのに、濁らない。まるで同じ高さ、同じ強さで発せられているような、不自然な均一さがあった。朝よりも、その違和感ははっきりと感じられる。時間が経つほどに、何かが“整えられている”ような感覚だった。
机の上のスマホに視線を落とす。画面はすでに点灯している。触れていないのに、勝手に表示が切り替わる。
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またあの草原だった。風に揺れるだけの、意味のない映像。再生ボタンがゆっくりと明滅している。視線を上げると、クラスのほとんどが同じ画面を見ていた。再生時間まで揃っている。誰かが押すのを待っているような空気がある。
「……またそれ見てるの?」
隣の席の女子に声をかけると、少し遅れてこちらを見る。
「うん」
「他のやつは?」
「あるよ」
そう言って画面をスクロールする。だが並んでいるのは、やはり似たような映像ばかりだった。風景、静止に近い動き、意味のない繰り返し。情報としての価値がほとんどないものばかり。
「ニュースとか出てこない?」
問いかけると、女子は一瞬だけ動きを止める。
「ニュース?」
昨日と同じ反応。知らない単語のように聞き返す。
「外のこと」
「……見ないかな」
その答えに違和感はない様子だった。むしろ、必要のないものとして処理されている。
胸の奥が冷たくなる。ここにある情報は、意図的に絞られている。見せないのではなく、“見せるものを統一している”。
ふと、教室の後ろを見る。空席がある。昨日と同じ場所のようで、少し違う気もする。数が合っているのか、合っていないのか、判断が曖昧になる。
「……昨日さ」
口に出す。
「来てなかったやつ、いたよね」
女子は少しだけ首を傾げる。
「誰?」
その一言で、言葉が止まる。名前が出てこない。顔も思い出そうとするとぼやける。ただ、“いた”という感覚だけが残る。
「いや……」
言葉が続かない。
「気のせいじゃない?」
あっさりと返される。その言い方に迷いがない。
視線を周囲に向ける。誰もこちらを見ていない。全員がスマホを見ている。同じ姿勢、同じ角度、同じ指の動き。
そのとき、教室の後ろで椅子が引かれる音がした。クラスの中心にいる男子が立ち上がる。いつも周囲を引っ張るタイプのやつだ。
「なあ、トイレ行こうぜ」
数人がついていく。笑いながら、自然に教室を出ていく。その光景に違和感はないはずなのに、なぜか強く印象に残る。
数分後、焦げたような匂いが漂ってきた。
「……なんか臭くない?」
誰かが言う。でも、その声はすぐに消える。誰も立ち上がらない。誰も確認しに行かない。
やがて、さっき出ていった生徒たちが戻ってくる。何事もなかったように席に着く。笑っている。
ただ一人、中心にいた男子がいない。
「……あれ?」
思わず声が漏れる。
「さっき、一緒に行ったよね」
近くの生徒に聞く。
「誰?」
返ってくる答えは、やはり同じだった。
「最初からいなかったよ」
その言葉が、あまりにも自然に出てくる。
心臓が強く鳴る。
視線を教室全体に巡らせる。席の配置は自然だ。人数も違和感がない。だが確実に減っている。“減った”という事実だけが、こちらの中に残っている。
「……おかしい」
小さく呟く。
その瞬間、スマホが震える。
画面を見る。
——最適化が進行中です
——不要な情報を整理しました
背筋が冷える。
不要な情報。
それは、人間も含まれているのか。
そう考えた瞬間、視界がわずかに揺れた。
教室の空気が、少しだけ重くなる。
前を見ると、担任が立っていた。いつの間に来たのか分からない。教壇にいるはずなのに、距離が近く感じる。
「どうしたの?」
穏やかな声。
でも、その目は笑っていない。
「何か気になることでも?」
答えられない。言葉にすると、何かが消えそうな気がした。
「……別に」
無意識にそう答える。
担任は満足そうに頷く。
「そう。ならいい」
一歩、距離が縮まる。
「ここは安全だから」
その言葉が、教室全体に広がる。
安全。
その基準が、自分とズレていることをはっきりと感じる。
視線を上げる。
クラスメイトたちが、こちらを見ている。
全員が、同じタイミングで。
同じ角度で。
同じ表情で。
笑っている。
「大丈夫だよ」
声が重なる。
「みんな同じだから」
その言葉が、静かに突き刺さる。
そのとき、はっきりと理解した。
ここでは、“違うこと”が許されていない。
違いは削られる。
思考も、記憶も、存在も。
そして——
気づいたやつから、消えていく。
スマホがまた震える。
画面には新しい表示が出ていた。
——同期率:上昇
——未同期の対象を検知しました
一瞬、意味が分からなかった。
次の瞬間、その対象が自分だと理解する。
喉がひどく乾く。
視線を上げると、担任がこちらを見ていた。
今度は、はっきりと。
「……まだなんだね」
小さく呟く。
その声に、感情はなかった。
ただ、確認するような響きだけがあった。
「大丈夫」
ゆっくりと手を伸ばす。
「すぐに、同じになるから」
その言葉に、背筋が凍る。
逃げなければいけないと、直感が叫ぶ。
でも、足が動かない。
周囲の視線が、体を縛る。
スマホの画面が、強く光る。
——同期を開始しますか?
指が、勝手に動きそうになる。
頭の奥で、あの風の音が流れ始める。
思考が、少しずつ均されていく。
「……やばい」
かすれた声が出る。
このままだと、消える。
名前も、記憶も、“自分”も。
その恐怖だけが、かろうじて残っていた。




