第四話(清書完全版)「未接続の外」
体が先に動いた。考えるより早く、椅子を蹴るようにして立ち上がる。視線が一斉に集まる気配を背中に感じる。教室の空気が一瞬だけ張り詰める。その圧に押し潰されそうになりながらも、足を止めなかった。ドアへ向かう。ノブに手をかける。背後で担任の声が聞こえる。
「どこに行くの?」
振り返らない。
「……保健室」
口から出た言葉は、ほとんど反射だった。理由はどうでもよかった。ただ、この空間から離れたかった。
「そう」
担任はそれ以上何も言わなかった。その“許可”が逆に不自然だった。止めないことが、むしろ監視の一部のように感じられる。
ドアを開ける。廊下に出る。閉める音がやけに大きく響く。教室の中の気配が一瞬で遮断される。空気が少しだけ軽くなる。
歩き出す。足音が自分のものとして聞こえる。さっきまで感じていた“揃えられている感覚”が、少しずつ薄れていく。それでも完全には消えない。頭の奥で、あの風の音が微かに残っている。
廊下にはほとんど人がいない。いても、壁にもたれてスマホを見ている生徒ばかりだ。話しかける様子はない。視線も上げない。同じ角度で、同じ姿勢で、同じように画面を見つめている。
すれ違うとき、一瞬だけ視線がこちらに向く。そのタイミングが揃っている。ほんのわずかなズレもなく、同じ瞬間に目が合う。
すぐに逸らされる。
「……見られてる」
小さく呟く。確信に近い感覚だった。監視というより、“確認”。自分がどの状態にあるのかを、常に見られている。
階段を降りる。足取りが少し早くなる。ここから出なければいけないという焦りが、体を動かす。
昇降口に向かう途中、古い掲示板が目に入る。普段は気にも留めない場所。だが今日は、そこに貼られている一枚の紙が妙に新しく見えた。
——校内ネットワーク運用開始のお知らせ
日付は数日前。内容は簡潔だが、その中に気になる一文がある。
——全生徒は接続を義務とする
義務。
その言葉が、はっきりとした重さを持つ。
さらに下に、小さな注意書き。
——未接続状態の長期継続は、安全を損なう可能性があります
また“安全”だ。
その言葉が繰り返されるほどに、逆に危険の輪郭が浮かび上がる。
ポケットの中でスマホが震える。
取り出す。
——未接続状態を検知しました
——同期を推奨します
画面の端に、小さく表示される。
——安全のため
指先が冷たくなる。
「……誰が決めてるんだよ」
呟く。答えは返ってこない。
昇降口に着く。誰もいない。異様な静けさ。靴を履き替える。外に出る。
校門を越えた瞬間、空気が変わった。
重さが抜ける。
風が、ちゃんと流れる。
思わず深く息を吸う。胸の奥に溜まっていた何かが、一気にほどける感覚があった。
「……軽い」
言葉にして初めて、自分がどれだけ圧迫されていたかに気づく。
ポケットのスマホを見る。表示は変わっていない。
——未接続
だが、さっきよりも通知が来ない。干渉が弱まっている。
そのまま家に向かう。道はいつもと同じはずなのに、少しだけ遠く感じる。歩きながら、頭の中を整理する。
ログイン。
同じ動画。
思い出せない人。
消えた席。
“最適化”。
“同期”。
全部が繋がりかけている。
家に着く。玄関を開ける。中に入る。靴を脱ぐ。その一連の動作が、やけに現実的に感じられる。ここでは“揃えられていない”。それだけで安心できる。
部屋に入る。机の上にスマホを置く。しばらく動けない。
——試すなら今だ
そう思う。
家のWiFiに接続する。画面が切り替わる。校内ネットワークとは違う表示。アンテナが安定する。
ブラウザを開く。
「学校名」
入力する。
検索。
——該当する情報は見つかりませんでした
一瞬、理解が追いつかない。
もう一度、正確に入力する。正式名称。間違いはない。
検索。
同じ結果。
「……そんなわけない」
学校が存在しないはずがない。
ニュースを開く。地域の情報を探す。学校に関する記事を探す。
ない。
最初から存在していないかのように、痕跡がない。
心臓の鼓動が速くなる。
次に動画アプリを開く。表示されるのは、普通の動画。音楽、ニュース、雑多な映像。学校で見た草原の動画は、どこにもない。
履歴にも残っていない。
「……消えてる」
いや、違う。
最初から“存在しないもの”として処理されている。
そのとき、画面の端に違和感を見つける。見覚えのないアイコン。灰色の四角に、小さな点。
いつの間にか追加されている。
「……これ」
指が止まる。
押してはいけない気がする。
でも、ここまで来て知らないままではいられない。
ゆっくりと、タップする。
画面が一瞬暗くなる。
白い画面に文字が浮かぶ。
——接続環境が変更されました
——校外ネットワークを検知
次の行。
——動作を最適化します
最適化。
その言葉が、さっきよりもはっきりと恐怖を伴う。
——一部機能を制限します
制限。
つまり、ここでも影響を受けている。
画面の下に表示される。
——状態:未接続
その文字を見た瞬間、理解する。
完全には切れていない。
学校の外に出ても、影響は残っている。
端末そのものが、もう“繋がっている”。
背筋が冷える。
急いでアプリを閉じる。呼吸が浅くなる。
「……逃げただけじゃダメだ」
呟く。
場所だけ変えても意味がない。
原因は、あの学校の中にある。
頭に浮かぶ。
車椅子の元担任。
話せなくなった人。
あの人だけが、外れている。
「……あの人なら」
理由は分からない。
でも、確信に近い直感があった。
戻らなければいけない。
逃げるためじゃなく、理解するために。
机の上のスマホが震える。
画面を見る前にわかる。
次は、もっと強い。




