第二話(清書完全版)「同じ画面」
教室の空気は、昨日までと同じはずなのに、どこか軽く感じられた。重さが消えたというより、余計なものが削ぎ落とされたような、不自然な軽さだった。席に着いた瞬間、その違和感はさらに強くなる。周囲の会話が耳に入るが、どれも似た調子で、似た内容で、似た間で繰り返されている。笑い声すら、どこか均一で、広がりがない。音がぶつからず、綺麗に並んでいるような感覚があった。
机の上のスマホが、再び自動で点灯する。触れていないのに、画面が開く。
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昨日と同じ、青空と草原の映像。再生ボタンがゆっくりと点滅している。視線を上げると、周囲の何人かが同じ画面を見ていた。さらに数秒後、そのうちの一人が再生を押すと、まるで合図のように、他の生徒も同時に再生する。
風の音が、教室に重なる。
「……またそれ?」
思わず声に出すと、前の席の女子がゆっくりと振り向いた。その動きは、ほんのわずかに遅れているように見えた。
「いいじゃん」
「落ち着くし」
「こういうの好きじゃない?」
同じような言葉が、ほとんど同じタイミングで返ってくる。言葉の選び方も、声の高さも、驚くほど揃っていた。
「他の動画は?」
問いかけると、女子はスマホをスクロールする。確かに他の動画も表示されている。だがどれも似ている。静かな風景、ゆっくりとした動き、意味のない映像。ニュースも、バラエティも、見当たらない。
「ニュースとか、見てる?」
一瞬だけ、女子の指が止まる。
「ニュース?」
聞き返し方に違和感がある。知らない言葉を聞いたような反応だった。
「外のこととか」
「……見てないかも」
その答えに迷いはない。疑問もない。ただ、必要ないものとして処理されているようだった。
胸の奥がざわつく。昨日感じた違和感が、少しだけ輪郭を持ち始める。
そのとき、教室のドアが開いた。
担任が入ってくる。いつもの笑顔。だがやはり、額の汗が異様に多い。拭うこともなく、そのまま教壇に立つ。シャツの襟元はすでに湿っているのに、本人は気にしていない様子だった。
「おはよう。みんな、ちゃんと接続できてるね」
教室全体から「はーい」という声が上がる。その返事の揃い方に、思わず息を呑む。音程も、タイミングも、ほとんど同じだった。
担任は満足そうに頷く。
「いいね。これで授業も効率よく進められる」
効率。その言葉が、昨日の“最適化”と重なる。
「今日は新しい取り組みもあるよ」
そう言って、ポケットから透明なケースを取り出す。中には小さなコインのようなものが入っている。中心に微かに光が揺れているように見えた。
「校内通貨だ。いい行動をしたらこれを渡す。社会に出る準備として、お金の使い方を学ぶんだ」
一人の生徒にそれを渡す。
「ありがとうございます」
その声が、わずかに遅れて出る。まるで一度どこかで処理されてから出ているような、不自然な間だった。
「これで校内のいろんなサービスが使えるようになる」
担任は続ける。
「ペットも飼えるようにするよ」
教室がざわめく。だがそのざわめきも、一定の大きさで止まる。広がらない。
「ただし、ルールは守ること。みんなで同じ基準で動くことが大事だ」
“同じ基準”。またその言葉。
ふと、教室の後ろに視線を向ける。空席が一つある。昨日も気になった場所。誰が座っていたのか、やはり思い出せない。
「先生」
思わず声を上げる。
担任がこちらを見る。笑顔のまま、視線だけが少し鋭くなる。
「……昨日、来てなかった人いますよね」
一瞬、教室の空気が止まる。
「誰のことかな?」
担任は穏やかに言う。
「えっと……」
名前が出てこない。喉まで出かかっているのに、引っかかる。周囲を見る。誰もこちらを見ていない。全員がスマホに視線を落としている。
「気のせいじゃない?」
誰かが言う。
「最初からこの人数だよ」
別の誰かが続ける。
その言葉が、自然すぎる。
担任が軽く手を叩く。
「はい、授業を始めよう」
その一言で、空気が切り替わる。さっきまでの違和感が、なかったことのように処理される。
スマホが震える。
視線を落とす。
——最適化が進行中です
——不要な情報を整理しています
指先が冷たくなる。
不要な情報。
それは、さっきの“思い出せない名前”と繋がる。
削られている。
そう思った瞬間、背筋がぞくりとした。
そのとき、教室の後ろで椅子が引かれる音がした。クラスの中心にいる男子が立ち上がる。
「なあ、トイレ行こうぜ」
数人がついていく。特に違和感のない光景。でも、なぜかその後ろ姿が強く印象に残る。
数分後、焦げたような匂いが漂ってきた。
「……なんか臭くない?」
誰かが言う。でも、その声もすぐに消える。誰も動かない。誰も気にしない。
やがて、さっき出ていった生徒たちが戻ってくる。笑っている。何事もなかったように。
ただ一人、中心にいた男子がいない。
「……あれ?」
声が漏れる。
「さっき、一緒に行ったよね」
問いかける。
「誰?」
返ってくる答えは、やはり同じだった。
「最初からいなかったよ」
その瞬間、確信に近い恐怖が胸の奥に落ちた。
消えている。
でも、“消えた”という事実すら消されている。
視線を教室全体に巡らせる。席の配置は自然だ。人数も違和感がない。でも、確実に減っている。
スマホがまた震える。
画面を見る。
——接続状態:安定
——同期率:上昇
同期。
その言葉が、はっきりと意味を持つ。
揃えられている。
思考も、記憶も、認識も。
その中で、自分だけが、少しずれている。
担任がこちらを見る。
笑っている。
でもその目は、確認していた。
「大丈夫。ここは安全だから」
その言葉が、今度ははっきりと怖かった。




