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接続中の教室  作者: 柑橘みかん


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第一話(清書完全版)「接続」

朝の空気は、妙に重たかった。春のはずなのに風がぬるく、肌にまとわりつくような湿気がある。校門の前に立った瞬間、その違和感はさらに強くなった。見慣れているはずの校舎が、少しだけ遠くに感じる。距離は変わっていないはずなのに、そこへ向かう足取りがいつもより鈍い。周囲にはいつも通りの生徒たちが集まっているが、その全員が同じ方向を向き、同じような姿勢でスマートフォンを操作している光景が目に入った。その中心に、白い立て看板がある。「校内ネットワーク接続のお願い」と書かれた文字と、その下に並ぶQRコード。昨日まではなかったものだ。


「今日からだっけ?」


隣にいたクラスメイトが軽い調子で言いながらスマホを取り出し、迷いなくQRコードを読み取る。その動きはあまりにも自然で、疑問を挟む余地がないように見えた。画面にはログイン画面が表示されている。学校指定のアカウントとパスワード。入力を促すシンプルな構造なのに、なぜかその画面から目を離せなかった。


「ねえ、これやらないとダメかな」


思わず口に出すと、クラスメイトは一瞬だけこちらを見て、小さく首を傾げた。


「え、だって先生言ってたじゃん。今日から自由になるって」


自由。その言葉が、妙に軽く響く。


そのとき、背後から足音が近づいた。


「おはよう」


振り返ると担任が立っていた。いつもと同じ、穏やかな笑顔。でも今日は、どこか違って見える。額に浮かぶ汗がやけに目についた。朝なのに、シャツの首元が少し濡れている。気温のせいとも思えるが、それ以上に“止まっていない”感じがした。まるで内側から何かが溢れているような、不自然な汗だった。


「ちゃんとログインしてね。これからはもっと便利になるから」


担任はゆっくりとそう言い、QRコードの方へ視線を向ける。その動きが、どこか機械的に感じられた。


「授業も連絡も全部スマホでできる。無駄がなくなる。みんな同じように学べるからね」


“みんな同じ”。その一言が、胸の奥に引っかかる。


周囲を見ると、ほとんどの生徒がすでにログインを終えていた。画面を見せ合い、笑い合っている。なのに、その笑い声はどこか均一で、広がりがない。音が重ならず、揃っているように聞こえる。


「早くしなよ」


クラスメイトに促される。視線が集まる。ほんの一瞬だけ、自分だけが遅れているという空気ができる。その圧に押されるように、スマホを取り出す。QRコードを読み込む。画面が切り替わる。ログインボタンが表示される。


指が止まる。


押さなければいい、と思った。


でも、その理由が説明できない。ただ、何かが引っかかっているだけ。言葉にできない違和感。


「どうしたの?」


背後から担任の声が近づく。距離が、さっきよりも近い。


「大丈夫。安全だから」


その“安全”という言葉が、妙に強く耳に残る。


指が、ゆっくりと画面に触れる。


ログインボタンを押した瞬間、画面が白く切り替わる。


——接続中


その文字が表示されると同時に、ほんの一瞬だけ視界が揺れた。まばたき程度の時間。気のせいかと思うほど短い。でも、その一瞬の中で、何かが“入り込んできた”感覚があった。説明できないほど微細な違和感。思考の奥に、何かが触れたような感覚。


「はい、これで大丈夫」


担任の声がすぐそばで聞こえる。顔を上げると、さっきよりも近い距離に立っていた。笑っている。口元は同じ形なのに、目だけがわずかに遅れて細くなる。そのタイミングのズレに、なぜか背筋が冷える。


教室に向かう。廊下の空気が少し軽くなった気がする。周囲の会話が耳に入る。


「もう使えるよ」


「便利じゃない?」


「これで全部できるって」


同じような言葉が、違う人の口から出ているはずなのに、どこか同じに聞こえる。


教室に入る。席に座る。机にスマホを置く。画面が自動で点灯する。


——おすすめ動画


表示されたサムネイルは、青空と草原だった。風に揺れるだけの、意味のない映像。再生ボタンが、ゆっくりと点滅している。


周囲を見ると、数人が同じ画面を見ていた。再生時間もほとんど同じ。誰かが再生すると、他の誰かも同じタイミングで再生する。


「これ、いいよね」


誰かが言う。


「落ち着くし」


別の誰かが続ける。


その言葉の重なり方が、あまりにも揃いすぎていた。


ふと、教室の後ろを見る。席が一つ空いている気がした。誰が座っていたのか、思い出そうとする。でも、名前が出てこない。顔も曖昧だ。ただ“いたはず”という感覚だけが残る。


「……あれ」


小さく呟く。


その瞬間、スマホがわずかに震えた。


画面に表示が追加される。


——接続状態:正常

——最適化を開始します


最適化。その言葉が、静かに画面の中で点滅する。


視線を上げると、担任が教壇に立っていた。全員を見渡している。その目は優しいはずなのに、どこか“確認している”ようにも見えた。


「これから、もっと良くなるよ」


ゆっくりと、そう言った。


その言葉の意味を、このときはまだ、理解していなかった。

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