91話 直家への土産
永禄3年(1560年)12月上旬 備前 上道郡 西大寺
お元気ですか?
京と畿内での行脚も無事に終わって、堺でボンバーマンに見送られて、瀬戸内を船で一路西へと進んで備前にやってきた玉です。船は尼子の傘下に入った塩飽水軍の船を使ったのですけど、堺と淡路島までの間では、安宅水軍の水先案内人も船に乗り込みます。
瀬戸内は潮の流れが複雑ですので、地元の水軍衆に案内してもらうほうが安全なのです。というのは建前でして、ようは縄張りですね。水先案内人に案内賃を払って、初めて船は安心してその海域の通行が出来るようになるのです。
水先案内人を雇わなかった場合は、その縄張りの水軍衆が海賊に化けて襲ってくるのであります。これって、ヤクザのみかじめ料と同じ手口ですよね? まあ、ヤクザが戦国時代の生き様を真似しているだけともいうのかも知れませんけれども。
でも、ちゃんと潮流を読んで座礁ポイントを教えてくれて危険を回避してくれるだけ、水先案内人のほうが、ヤクザよりはマシと言えるでしょうのではないでしょうか?
21世紀の未来でも、狭い湾内に入る時や入港する時には、水先案内人の乗船と指示に従う事が強制的に義務付けられていますもんね。航路の選定に関していえば、船長ですら水先案内人の指示には逆らえなかった気がしましたね。多分ですけど。
まあ、博多~備前~堺の瀬戸内にしろ、博多~出雲~若狭の日本海航路にしろ、尼子の四つ目結の旗を掲げている船を襲うような不埒な者は皆無なんですがね。安宅、塩飽、因島、来島の各水軍衆は、尼子と毛利と三好関係の船は襲わない協定を結んでいますので。
当たり前といえば当たり前の話ですよね。例えば、安宅水軍が毛利の船を淡路島近海で襲ったとしたら、毛利は報復に伊予灘辺りで三好の船を襲うのですから。こんな不毛なことは止めましょうという、協定が結ばれるのは自然な帰結だったのでしょう。
なんだ、瀬戸内海限定ではありますけれど、一足早く戦国時代が終わってますやん。しかし、陸でも同じことが出来ないのが人間の性なのかも知れませんが。
それで、初日は淡路島の岩屋まで。そこで一泊してから、翌日は水先案内人も塩飽水軍の人間に交代して、家島諸島にある坊勢島という島まで。そして、三日目に吉井川の河口にある西大寺に着いたのでありました。
「玉姫様におかれましては、従五位上、出雲斎宮勅別当の官位叙任、誠に目出度く恐悦至極に存じます」
「うん、ありがとう。直家も息災でしたか?」
「はっ、おかげさまで。姫様の御威光の賜物で備前の仕置きも順調にござります」
「それは重畳です」
良きかな良きかな。
「京と畿内は如何でございましたかな?」
「うん、肩凝ったわ」
「ははっ、それは、いかにも玉姫様らしいですな」
「気位が高い人の相手をするのは疲れるのよ。それはそうと、直家にお土産があるんだよ」
「それは有り難く頂戴いたしまする」
「聞いて驚かないでよ。なんと、」
じゃじゃーん!
「広橋卿、宜しくお願い致します」
「うむ、麻呂の出番でおじゃるな」
うん、期待を持たせて済まなんだ。宇喜多直家にお土産を渡すのは私ではないのだよ。渡すのは、武家伝奏であらしゃいます広橋国光卿なのでおじゃる。でも、堺での土産もちゃんと買い込んできましたよ?
南蛮渡来の金平糖をね。あまり量を確保出来なかったのが残念ではありましたが。金平糖ってどうやって作るのでしたっけ? 釜に砂糖を入れてゴロゴロとかき回すのかな? 砂糖を大量に仕入れて、一度実験してみたいですね。
そうじゃなくって、
私ってば広橋卿が傍に居るのに、肩凝っただの疲れるだの口走っていましたね…… まあ、いっか。 ……覆水盆に返らずとは、このことだよ!
「おほんっ……
正二位、権大納言、藤原朝臣国光が宣る。勅を奉るに、尼子出雲斎宮勅別当従五位上、源久子朝臣、備前旗頭宜しく、宇喜多直家をして、従六位下、和泉守に叙任し、儀、之を行はしむべし者なり。
永禄三年十二月八日、武家伝奏、藤原朝臣国光が奉る」
うーむ、堅苦しい言い回しでしたね。国光さんが告げて、同じ国光さんが承るのは変な気もしますけれども、武家伝奏が大外記の代わりなのですから、これで良いのでしょうね。武家を宮中と同じ様式に則らせるのは、少々無理がありますので。
ぶっちゃけ、この儀式は、武家伝奏の正二位権大納言であらしゃいます広橋国光さんが、宇喜多直家に対して、『おまえに、従六位下和泉守くれてやるよ!』と、そう言っているだけなのですよ。
この広橋国光さんは、ボンバーマンの義理の兄にあたる御仁なのであります。松永久秀の奥さんが広橋国光の妹ということですね。なにげに、ボンバーマンの京での人脈というモノが、いかに凄いのかが分かる一端ですよね。
ちなみに、源久子は私のことです。尼子は、佐々木源氏。つまり、宇多源氏の系譜なのですから、氏は源になります。源朝臣久子ではなくて、源久子朝臣なのは、私の位階が低いために、呼び方が違ってくるからであります。
いくら、階級の権威付けの為といっても、ややこしいことこの上ないと思いますね。いまの乱れた世の中では、身分が高くてもクソの役にも立たない気がしないでもないのですがね。
まあ、そんな権威をありがたがる人間が田舎には大勢いるのですから、朝廷の権威も一応の役には立っているのかも知れません。
「こ、これは、某には過分なる叙任を賜った儀、恐悦至極に存じ奉りまする。謹んでお受け致しまする」
「うむ、尼子勅別当殿の備前旗頭として、今後一層励むでおじゃる」
「ははーっ!!」
うむうむ、良きかな良きかな。
しかし、和泉国は三好が差配する土地なのに、よくもまあ、朝廷も和泉守をすんなりと出してくれたよね。これは、色々な畿内の柵に対して、朝廷なりの三好への牽制の意味もあったのかも知れませんね。多分だけど。
でもまあ、いまの三好義興と以前の三好長慶の官職も筑前守という、取り様によっては、毛利ジジイと九州探題である大友宗麟、今はまだ大友義鎮でしたか、その二人に喧嘩を売っているようにも思える官職を与えていても、問題になってないのですから、
朝廷のバランス感覚と保身の嗅覚は正しいのでしょうね。それに、国司なんて有名無実化されて久しいですしね。だから、こうやって私も宇喜多直家の為に、和泉守への叙任を推挙出来たともいえるのですから。
私が和泉守を推挙しなければ、宇喜多直家が和泉守を称することはなかったはずですので、これはこれで良かったのでしょうね。堺への交易の尼子の瀬戸内側の責任者だから、和泉守が欲しいなんて、こじ付けとゴリ押しだったんですがね。
道理なんて、銭の前では引っ込んでしまうんや……
それで、宇喜多直家の他に官位を貰った家臣を位階順に並べてみると、
尼子倫久→ 従五位下、出雲守 私の実兄
二宮就辰→ 従五位下、左衛門佐 たろさ私の婿殿
多胡辰敬→ 正六位下、石見守 私の爺で石見旗頭
亀井安綱→ 正六位下、能登守 御由緒家で尼子重臣
松田誠保→ 正六位下、兵部大丞 私の叔父で尼子重臣
山名豊通→ 正六位下、左馬助 因幡旗頭で但馬旗頭予定
川副久盛→ 従六位上、美作介 美作旗頭
本城常光→ 従六位上、越中介 飲兵衛で尼子重臣
武田高信→ 従六位上、三河介 外様で新参だけど若狭旗頭予定
牛尾久信→ 従六位下、左衛門大尉 伯耆旗頭
佐世清宗→ 従六位下、伊豆守 元備後旗頭で尼子重臣
米原綱寛→ 従六位下、右兵衛大尉 尼子重臣
オマケ
多胡春 → 正七位上、出雲斎宮主神 私の侍女筆頭で奥のボス
こうなりました。
こんなにも沢山の官位をくれるだなんて、朝廷は気前が良すぎな気もしますね。思わず追加で、もう一千貫の割符を差し上げてしまった私は悪くはないと思います。朝廷もそれを期待しての大盤振る舞いでしょうしね。
でも、私以外の殿上人は源五郎兄ぃと、たろさだけに抑えているのが、そう簡単には殿上人にはさせんよという、朝廷の最後のプライドなのかも知れませんが。
殿上人が若造二人とはいえ、源五郎兄ぃは私の実兄ですし、たろさは毛利ジジイの息子で私の婿殿になるのですから、そこらへんは朝廷も配慮してくれたのでしょうね。この時代の身分制度というのは、なによりも血縁が優先されるのです。
この叙任で、若い二人が天狗にならないことを祈るのみであります。まあ、私も官位を貰えると知った瞬間には、鼻たーか高の有頂天になって舞い上がってしまいましたがね! その後、山科卿の言葉に冷や水をぶっ掛けられて、すうっと冷めましたけど。
その節は、お見苦しいところをお見せしてしまって、大変申し訳なく思います。
それはさておき、
たろさは、太郎左衛門から太郎左衛門佐にランクアップですね! まあ、呼び名は、"たろさ"のままですがね! たろさの兄である小早川隆景も左衛門佐を僭称していますので、二人が同じ場所に居れば呼ぶ時に、こんがらがりそうな気もしますが。
小早川隆景は、きっと複雑な心境でしょうね。弟で庶子であるたろさが正式な左衛門佐で、自分はパチモンの左衛門佐なのですから。
川副と本城のオッサンは、自分たちが僭称していた美作守と越中守よりも下の、介にされてしまったので、少し可哀想な感じもしますね。でも、私が呼ぶときの名は美作と越中で変わりはありませんので、実害はないのですよね。
それに、本人たちも朝廷のお墨付きの正式な官位を叙任されるのだから、ありがたくはあっても、文句は出ないでしょう。
武田高信には、本当は若狭守を与えたかったのですけれども、若狭武田家との関係と、若狭守では正六位下になってしまうので、山名豊通との兼ね合いもあって残念ながらも、いままで本人が自称していた三河守の下の三河介になりました。
若狭武田家との関係は、朝廷が将軍家との関係を慮って、山名豊通との関係で私も配慮した結果、若狭守が却下と相成ったのであります。まあ、朝廷に私の下心を見抜かれていたともいうのですけれども。
武田高信に若狭守を与えてしまった場合には、若狭武田家の立場も微妙になってしまいますしね。尼子に完全なる大義名分は渡さないことで、若狭武田家と公方様の顔を立てたのでしょうね。
それにしても、この件で朝廷の全方位スマイル外交は、あらためて凄いと思い知らされましたよ。全ての諸勢力の顔を、なるべく潰さないようにする調整力は見事の一言ですよね。権威の切り売りだけで生き延びてきたのは、伊達じゃないということですよね。
この朝廷の良い顔しーの、ええトコ取りしーの戦法は、私も見習わなくてはなりませんね。まあ、外交というモノは特定のセンスが問われますので、私が身に着けれるかどうかは、微妙だとは思いますけど。
なお、遠江守を僭称していた牛尾幸清は、本当は遠江介を貰えたのですが、息子の久信が左衛門大尉を貰えるので、自分は遠慮して辞退しました。牛尾家に対する家中の嫉妬を回避する手段ですかね? 牛尾幸清は、なかなか保身に長けている人物みたいですね。
父、晴久の守り役でもあった、中井久包も駿河介か右兵衛佐を予定していたのですけど、本人曰く、『もう、歳も歳ですので』とか言って辞退しちゃいましたし、人間、誰しもが権勢欲が旺盛という訳ではないということでしたか。
うむ、人は利のみでは靡かないということでしょう。一つ勉強になったような気がしますね。
まあ、九割方は銭束で頬を張り飛ばせば、なんとかなるような気もしますがね!




