90話 久秀と久秀
永禄3年(1560年)12月上旬 摂津 和泉 国境 堺 松永久秀
「行ってしまいましたな」
「そうじゃの」
尼子の玉姫が船で出雲に帰るのを、堺の港で今井宗久と一緒に見送っておるのだが、少し寂しく感じるの。まあ、一月近く姫様と一緒におった所為で、情が移ってしまったのやも知れん。しかし、嵐のような姫様じゃったな。
『あいしゃるりたーん』の意味は解らんかったが……
「それにしても、株式会社でしたか……」
「ああ、ワシには考えも及ばん途方もない策じゃわい」
『利を以って利となす』姫様が孟子の言葉を全否定するのには、さすがにこのワシも笑わせてもらったわい。
「左様でございますな」
「ああ、株式会社という仕組みが日の本に広がれば、この戦乱の世も終わるやも知れん」
姫様曰く、『弾正殿、利を以って人を説き、和となす。これだよ』じゃからのぉ。
『なにやら、孫子と孟子と聖徳太子が、ごちゃ混ぜのような気がしますな』
『それじゃあ、銭を以って和となす。これでどうだ!』
『銭持ち喧嘩せず。ですかな?』
『そういうこと。分限者は大らかでないとね』
利害関係を一致させれば、それが呉越同舟だろうと利害が一致している間は、船から降りられんということか。銭を出しているのだから余計とじゃな。いやはや、姫様は恐ろしい事を考えつくものじゃわい。
「戦乱が終わったら、わて等は商売上がったりでんな」
「今井殿、それは腹の中で思っていても、口に出さぬほうがよろしいですぞ」
口には出さんかったが、姫様が堺の商人を見る目は厳しいモノがあったのだが、それを今井宗久は気が付いておるであろうか? 商人は必要だが、戦は儲かるからといって、悪戯に商人が戦を煽る必要は無いのじゃからの。
姫様との茶室でのやり取りで、ワシもハッと思い知らされたのじゃから、ワシもまだまだ修行が足りぬという事かも知れん。姫様は、ワシ等とは違う目線と視点で物事を見ておる。あの小娘の眼には、ワシには見えない、なにが見えておるというのじゃ?
是非とも、それが知りたいものじゃの。
「玉姫様の目と耳は、ここ堺にも出店として蕎麦屋の広瀬屋が出来ましたな」
「うむ、新しい蕎麦の食べ方は美味かったの」
特に蕎麦の汁が美味かった。出汁を取るだなんて、このご時勢では贅沢な食べ方なのだ。あの汁のコクと深みといったら…… いかんいかん、思い出したら涎が出てきそうだわい。
平和になって人々が豊かになれば、もっと様々な食材の色々な食べ方も増えるのであろう。これは食べる楽しみが増えたと思えば、姫様に感謝せねばなるまいの。
「確かに蕎麦は美味かったでんな。それで、松永様も玉姫様の耳目のお一人ですかな?」
「ははっ、五千貫で首輪を付けられてしもうたわい。ワシを畿内での尼子の繋ぎにしたいらしいのでな」
「なるほど。玉姫様にとっては、五千貫など木端の銭なのでしょうなぁ」
確かに尼子にとっては、ワシにくれた五千貫など些細な銭なのであろうよ。なんせ姫様は、石見の銀や博多から出雲と若狭への交易を押さえているのじゃからな。それに瀬戸内の塩飽水軍も尼子傘下に納まっているのだ。
それに加えて、私鋳銭も馬鹿にならない儲けを出しているみたいだしの。畿内でも永楽玉五文銭の人気はうなぎ上りなのだ。姫様は、生産が追い付かないから痛し痒しだと言っておったが、領内に有力な銀山と銅山を持っているのだから、
ワシに言わせれば羨ましい限りじゃわい。銅山が無ければ、私鋳銭すら作れないのだからの。
「そうであろうの。一月近く姫様と一緒にいて分かったことがあるのだが、」
「なんでしょうか?」
「姫様は、戦が嫌いということじゃな」
嫌いを通り越して、戦を憎んでいる節も見られたの…… まあ、ワシも好き好んで戦をしている訳ではないし、戦が好きなどと、のたまうのは、一握りの気狂いの武人だけなのであろうが。
「女子であれば、さもありなんではおまへんか?」
「うむ、女子だからというのもあるやも知れんが、姫様はどちらかというと国を富ませ豊かにすることに、生きがいを感じているようであったの」
「国を富ませ豊かにする…… なんや、わて等商人に通じるモノがありますな」
なるほど。姫様は武家の娘で、出雲で大大名の座に座ってはおるが、其の実、中身は商人に近いのやも知れんな。今井宗久が商人だからこそ、同業者の目線があってこそ気が付いたのかも知れぬの。
商人の感覚で国を切り盛りしているから、出雲と尼子領は豊かになっておるということじゃな。これは、ワシも参考にせねばなるまい。
「だから、姫様に言わせれば、国を疲弊させる戦は悪ということじゃな」
「お大名様の全てが、玉姫様のような考え方でしたら、この乱世も無かったのかも知れまへんな」
それが、株式会社の仕組みに繋がるのだから、恐れ入ったのだ。同じ船に乗せてさえしまえば、内輪揉めなぞ起こしておれば船は沈没してしまうのじゃからの。儲けが出ている限り、人は不満を言わないはずなのだ。
仮に損をした場合でも、自分一人では大損だが、数人か数十人も出資していれば、被害は少なくて済むのだから、上手いこと考え抜かれておるわい。杵築大社の巫女の知恵というのは、まるで文殊菩薩みたいじゃな。
姫様は神に仕える巫女であるから、もしかしたら本当に、思金神か少彦名でも降ろしているのやも知れんの。
それにしても、
「今井殿は、存じておるか?」
「なにをですかな?」
「姫様が尼子の内紛から、このかた一度も自分から戦を仕掛けてないのに、山陽山陰で八ヶ国まで領土を広げたという事実をですよ」
そう、ワシが調べた限り姫様は、たったの一度も自分から戦を仕掛けた節が見当たらなかったのじゃ。全部、受け身の戦ばかりで領国を増やしているのだ。そこが、今までの他の大名と全く違う所なのである。
尼子経久、晴久の祖父孫然り、大内義興、義隆父子もまた然り、我が大殿の三好もそうじゃし、甲斐の武田もそうなのじゃ。みんながみんな全ての大名が自分から領土を広げる戦をしておるのだ。
大殿の場合は、復讐もあったのだが、それ以外の戦もしておるしの。
越後の長尾景虎は、イマイチつかみどころがなくて分からんのだが。ヤツは坂東に攻め行っても、坂東の仕置きをせずに越後に引き返しておるのだ。一体全体ヤツは何がしたいのか、さっぱり分からん。もしかして、略奪する目的だけで坂東に入ったのか?
略奪するだけならば、武士は山賊となんら変わりはないではないか。
「それは、なんとまぁ……」
「それも、たった二年の間で八ヶ国だ。正確には、一年と少々でしかなかったはずじゃ」
「凄まじい勢いでんな」
「ああ、最初は西出雲と石見東部程度しか、姫様に従ってなかった状況、そこからですからな」
姫様は女子なのだ。それなのに、弔い合戦で兄の義久を討ってからは、あれよあれよの間に怒涛の勢いで支配地域を広げて八ヶ国じゃ。いくら、他の元尼子の領国にも尼子の威光という下地が残っていたとしても、あまりにも異常な速さなのである。
今までの戦のやり方では、恐らく姫様には通用しないのであろうよ。背筋が寒くなる、悪寒がするというのは、こんな事を言うのじゃな。
可愛い顔に似合わず、姫様の戦は恐ろしそうじゃの。ワシは幸いにも姫様と知己を得られたのだから、この糸を切らさずに保たねばならん。
あの尼子の姫巫女は、それだけ異質なのじゃ。
だからといって、姫様を恐れ怖がり敵にでも回ってしまえば、三好は遠からず滅ぼされてしまう運命であろうよ。三好では、尼子には勝てん。伊賀と甲賀の間諜の調べでは、それぐらい恐ろしい戦の仕方らしいのじゃから。
それに、大殿と姫様が争うような事にでもなれば、ワシは姫様と敵対する羽目になるしの。それは、ちと、いや、かなり困る事態になるのだ。だから、今のところ姫様が畿内と京に出しゃばるつもりもなさそうなのが助かったわい。
「松永様が玉姫様の立場でしたら、同じことが出来ましたかな?」
「いや、無理じゃろうて。そもそも佐摩の銀山を毛利と分け合うという発想すら、ワシには出てこないわ」
「そういえば、佐摩の銀山も株式化してるのでしたな」
「うむ、今回の南蛮船建造と貿易を行う株式会社の話も、佐摩の銀山と同じなのじゃろうて」
株式会社など、姫様はどうやって思い付いたのであろうの? まあ、ワシが考えても詮無き事か。既に、佐摩の銀山の株式会社化で尼子と毛利は、それまでの泥沼の争いが嘘のように、昵懇の間柄になって婚姻同盟まで結んでしまったのは事実なのだからの。
それにつけても、
茶人としての新しい道を切り開け、か…… ふふっ、小娘に教えられるとはのぉ。だが、不思議と不愉快な気持ちにはならんな。
どれ、五十の手習いで、一から自分の茶の湯を創ってみせるとしようぞ!
永禄3年(1560年)12月上旬 備前 上道郡 西大寺
「ひゃっほい、とうちゃーく!」
「到着と言っても、まだ備前ですけどね」
「気にしない気にしない」
春姉も細かいことを気にしすぎたらハゲるよ?
「姫様、堺からの船旅お疲れさまでございます」
「お? 直家じゃん。出迎えご苦労! ちゃんと、お土産も持ってきたよー」
「それは、玉姫様に気を遣わせてしまったみたいで、申し訳なく思います」
「気にしないでもいいよ。必要な土産だからね」
といいますか、今回の出番って、これだけですか?




