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43話 援軍と動員兵力 【地図2】

 永禄2年(1559年)1月 出雲 大原郡 神原郷 近松村 近郊



「玉姫様におかれましては此度の一件、さぞやご無念のことかと心中お察し申し上げまする。此度の亡き御屋形様の弔い合戦に遅参いたしたこと、この米原綱寛、誠に申し訳なくお詫び申し上げます」


「同じく、この佐世清宗も息子共々、伏してお詫びいたしまする」


「私が軍勢を率いて三刀屋を攻めたのが早すぎただけなのだから、そんなに改まらなくてもいいわよ。米原殿も佐世殿も素早く兵を集めて、よく来てくれたわね。助かったよ」


「「ははっ!」」



 三刀屋城を落とした私の軍勢は、三刀屋久扶の弟である諏訪部上野介の手勢を吸収してから斐伊川を渡河して、木次近郊にある宇山久兼の居城である宇山城も落としたのです。宇山久兼が不在だったのも速攻で落とせた要因でしょうね。

 恐らく宇山久兼は月山富田城に詰めているのでしょう。それで、佐世清宗の居城である佐世城を横目に若干威圧しながらもスルーして北上したのです。もちろん、佐世城には再度、傍観したければしてもいいよとの書状は送りました。


 佐世城をパスした私の軍勢の次の目標は、立原氏の居城である近松城です。立原幸綱、久綱親子も宇山久兼と同じく不在だったみたいで、久綱の兄である幸隆が居ましたが、その立原幸隆は私の軍勢が近松城に到着する前に早馬で降伏開城を申し出て来ました。

 私が速攻で三刀屋城と宇山城を落としてしまったので、立原幸隆はビビってしまったみたいでしたね。まあ、近松城といっても館に毛が生えた程度の代物でしかありませんしね。



挿絵(By みてみん)



 そこそこ立派な構えをしていたはずである三刀屋城が、あっけなく落城しているのを聞いたのならば、ビビってしまっても仕方がないのかも知れませんよね。それに、大原郡の立原の領地で集められる兵の数なんて、たかが知れてますしね。

 はなから立原には勝ち目など無いのですから、降伏は賢明な判断でしょうね。立原幸隆は降伏はしましたけど親と弟がまだ健在ですので、親兄弟とは戦いたくないと言って、私の軍勢に加わるのは勘弁してくれと泣きながら懇願してきました。


 さすがに泣きながら言われてしまったら、私も加わるようにと強くは言えませんでした。ですので、取り敢えず立原幸隆は近くの寺で自主的に謹慎という名目で蟄居しています。騒動が終わったら尼子に復帰させてあげましょうか。


 それで、大西高範の居城である高麻城を次の攻撃目標と定めて、高麻城を見渡せる赤川の手前で陣を張って休憩している時に、ご近所さんでもある米原殿と佐世殿が到着して今に至るというわけです。



「いつ雪が降ってくるのか分からない、こんな季節に戦をするなんて普通は思わないからね」


「それは確かに雪の中でも戦をしたこともありますけど、滅多なことでは冬の時期には戦はしませんので、少々戸惑ったのも事実です」



 佐世殿は、慌てて兵を纏めて馳せ参じた感じでしたので、傍観してもいいよという書状が逆に『傍観してもいいけど、おまえ冷や飯食い決定な』そんな感じに無言の圧力となって、脅しの効果を発揮していたみたいでしたね。



「佐世殿。今回は父上が殺されたから、その滅多にないことだったのよ」


「左様でございましたな」



 この辺りは雪が多い年は春まで根雪になる年も多いのですから、今年は偶然にも雪が少なくて助かったということですね。でも、毎年こうとは限りませんので、雪中行軍と雪中戦闘が出来るように考えた方がいいのかも知れませんね。

 まあ、この季節は、ぬくぬくと冬籠りをしていたいのが本音ではありますけれども。取り敢えずは今年だけの例外としておきたいですよね。



「それで、この陣に残す兵以外は、近松城と立原村や南加茂村とか近隣の村に分散して休ませてちょうだい。凍え死んだりでもしたら浮かばれないからね」


「御意」



 冬に戦が少ないのは雪だけではなくて、野宿して凍死の心配もあるので基本的には冬の戦はタブーみたいなのです。朝起きてみたら、隣の同僚が死んでいただなんて笑えませんもんね。

 あれ? でも、農閑期の冬が戦のシーズンでもあるような気がしないでもありませんね。多少の凍死者は織り込み済みとかですかね? 恐ろしや戦国時代…… まあ、私の軍勢は兵に豆炭もどきを配っていますので、多少の寒さ対策はしてあるのですが。



「一応は用心の為に、二刻ごとの三交代で朝まで見張りを立てる予定だけど、多胡爺、それで良いかしら?」


「敵は少数ですので夜襲を仕掛けてくるやも知れませんから、それでよろしいかと存じます」



 それにしても、この戦国時代はアホみたいに城の数が多いのです。出雲だけでも100近い城があるんですよ? 三刀屋城から宇山城まで直線距離で約5km。宇山城から佐世城までは4km。佐世城から近松城まで3km。

 近松城から高麻城までは、たったの1.5kmしか離れていないのです。もうね。馬鹿なの? アホなの? と、小一時間問い詰めたい気持ちで一杯になりますよね。


 玉姫式の田植えが普及する前の出雲の石高なんて、精々が17万石程度だったんですよ? その17万石の出雲国内に約100の城があるのです。一つの城あたりの石高は、たったの1700石ですよ。

 よく戦国時代の石高に対する動員兵力は1万石あたり250人から300人とか言いますけれども、それは半分正解で半分間違いなんですよ。近場での戦と遠征しての戦では動員兵力は違いますし、領地防衛の場合でも違ってきますからね。


 1万石あたり300人のそれを当て嵌めますと一つの城あたりの兵は、たったの30人になってしまうのであります。これでは攻撃したら落城待ったなしですよね…… 立原幸隆が戦わずに降伏したのは正解だったのかも知れませんね。


 だがしかし、本当に1万石あたり300人しか動員出来ないのであれば、出雲本国なんて5千人しか動員出来なくなっちゃいますしね。出雲の動員兵力は最大で1万5千人以上にはなるのです。

 1万石あたりの人口は約1万人です。そのうち男性が半分の5千人で、その男性の中でも戦闘可能な年齢を15歳から45歳まで程度と仮定すると、男性人口の65%ぐらいですので、約3250人が戦闘可能人口になります。


 国内生産に影響を及ぼさない範囲で兵を集めるとなると、長期遠征の場合では最大でも一割の325人とかが精々でしょうか? ありゃ? つまり、1万石で300人の誤差の範囲に収まってしまいましたね。

 むむむ、私が言いたかった事とは違う答えが出てしまったではないですか! あー、でも、武者だけを計算すれば辻褄は合うのかな? 武者一人あたり従者が二人と仮定すれば、武者5千人でも兵力は1万5千人になりますしね。


 つまり、なにが言いたかったのかといいますと、高麻城は最大でも100人程度の兵しか集められないということなのです。そう考えると私の軍勢は、よくもまあ直ぐに1200人もの人数が集まったよね。

 緒戦で三刀屋を降しましたけど、本当であれば三刀屋は手強い相手のはずだったのです。三刀屋の場合は領地の広さが違いますので、本来ならば集めれる兵の数が大西とは桁が一つ違うのですから。まあ、集められる前に速攻で潰して正解でしたね。


 それで、旧三刀屋の兵と米原殿や佐世殿の援軍を加えた私の軍勢は約2千人にまで増えています。この兵力で大西を蹂躙する予定なのです。大西もさっさと降伏すればいいのにと思うのですが、兄の義久に近すぎて降伏出来ないのでしょうか?

 武士の面子とか義久への忠義とかもあるのでしょうが、難儀なことですね…… だがしかし、敵ならば倒すのみであります!



「明日は朝から高麻城を攻め立てるよ!」


「「「ははっ!」」」



 つまり、各個撃破は美味しいです!



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