↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/3

第1章 廃村の夜と、役に立たないチート能力

――コン、コン。


 薄暗い小屋の中に、扉を叩く音が響いた。


「――住民確認。未登録の生命反応を二件確認」


 扉の向こうから聞こえるのは、妙に平坦な声だった。


「――旧王国法に基づき、排除処理を開始する」


「…………」


 ヒロシは固まっていた。


 つい数時間前まで、ごく普通の会社員だったのだ。


 突然異世界に放り出され、巨大な狼に追いかけられ、怪我をした女性を助け、ようやく雨風をしのげそうな小屋を見つけた。


 それなのに。


「……排除って、何?」


 思わず声が漏れた。


 答えは返ってこない。


 代わりに、扉の外から金属が擦れ合うような音がした。


 ガシャリ。


「――警告。退去命令に応じない場合、強制執行へ移行」


「いやいやいや、退去命令なんて聞いてないんだけど!?」


 ヒロシは思わず叫んだ。


 すると、背後からかすれた声が聞こえた。


「……ヒロシ……静かに……」


 振り向く。


 リゼットが床に敷いた枯れ草の上で、苦しそうに身を起こしていた。


 銀色の髪が汗で頬に張りついている。


「リゼットさん! 動かないでください。傷が開きます!」


「……それより……あれ……」


 彼女は扉を見つめた。


 その表情には、明らかな恐怖が浮かんでいる。


「……古代の……番兵……」


「番兵?」


「……この村を……守っていた……魔導人形……」


 ヒロシは一瞬、安心しかけた。


 守っていた?


 つまり、警備員みたいなものだろうか。


「じゃあ、話せば分かるんじゃ?」


「……無理……」


「なんで!?」


「……村が……廃棄されたとき……命令が……変わった……」


 リゼットは唇を噛んだ。


「……生きている者を……追い払うように……」


 その瞬間。


 バキッ!


 扉を塞いでいた倒木が、大きく揺れた。


「うわっ!」


 ヒロシは反射的に後ずさった。


 再び衝撃。


 バキバキッ!


 乾いた木材が割れる音が響く。


「ちょ、ちょっと待って! ここ、借りてるだけだから!」


 返答はない。


 ガシャリ。


 ガシャリ。


 何かが扉を押している。


 倒木が少しずつずれ始めた。


「……まずい」


 ヒロシは周囲を見渡した。


 武器らしいものはない。


 あるのは、壊れた家具と、拾ってきた枯れ枝。


 それから、収納庫に入れてある石ころくらいだ。


「……チート能力って、もっとこう、強いものじゃないの?」


 誰に聞かせるでもなく呟いた。


 収納庫。


 容量無制限。


 内部では時間が停止するらしい。


 日本の商品も届けられる。


 便利だ。


 間違いなく便利なのだが。


「敵を倒せる能力じゃないんだよなあ!」


 扉が大きく揺れた。


 隙間から、青白い光が漏れ込んでくる。


 ヒロシは息を呑んだ。


 そこに見えたのは、人間ではなかった。


 金属製の腕。


 節のある指。


 そして、暗闇に浮かぶ青い光。


「……ロボット?」


 いや、正確には鎧に近い。


 人間ほどの大きさをした金属の人形。


 目に当たる部分が、青白く光っている。


「――障害物確認。除去を実行」


 金属の腕が動いた。


 次の瞬間。


 ドンッ!


 扉が内側へ大きくたわんだ。


「うわあああっ!」


 ヒロシは飛び退いた。


 リゼットが苦しそうに声を上げる。


「……ヒロシ……逃げて……!」


「だから、置いていけませんって!」


「……本当に……馬鹿……」


「今日だけで何回言われるんですか、それ!」


 叫びながら、ヒロシは頭を働かせた。


 扉は長く持たない。


 窓はあるが、小さい。


 自分一人なら通れるかもしれないが、怪我人を運ぶには厳しい。


 壁は石造り。


 屋根には穴がある。


 床には、古い木箱が転がっている。


「……ん?」


 ヒロシの視線が、木箱で止まった。


 収納庫。


 物を入れられる。


 物を出せる。


 直接触れたものなら、収納できる。


「……待てよ」


 ヒロシは木箱に触れた。


 収納を意識する。


 箱が消えた。


「よし!」


 続けて、壊れた椅子を収納。


 床に転がっていた木材も収納。


 あっという間に、小屋の中央が片づいた。


「……ヒロシ?」


 リゼットが不思議そうに見つめる。


「ちょっと、考えがあります!」


 正確には、考えというほど立派なものではない。


 ただの思いつきだった。


 だが、試す価値はある。


 ヒロシは収納庫から木箱を取り出した。


 目の前に現れる。


 次に、少し離れた場所へ出そうとした。


 ――反応なし。


「……駄目か」


 どうやら、収納庫から物を出せるのは、自分の手元だけらしい。


 それならば。


 ヒロシは木箱を抱え、扉の前へ移動した。


 箱を置く。


 さらに、別の木箱を重ねる。


 壊れた家具も積み上げた。


「……バリケード!」


 見た目は非常に頼りない。


 だが、ないよりはましだ。


 扉の向こうから、再び衝撃が響いた。


 バキィッ!


 木材が砕ける。


 番兵の腕が、隙間から突き出された。


「――侵入を妨害する行為を確認」


「そりゃ妨害しますよ!」


「――排除優先度を上昇」


「上げないで!」


 ヒロシは叫んだ。


 そのとき、リゼットが小さく笑った。


「……ふふ……」


「何がおかしいんですか!?」


「……あなた……変な人……」


「それはもう分かりましたから!」


 リゼットは右手を持ち上げた。


 指先に、淡い青色の光が集まる。


「……でも……悪い人じゃ……なさそう……」


 ヒロシは目を見開いた。


「魔法ですか?」


「……少しだけ……使える……」


 リゼットの額に汗が浮かぶ。


 かなり無理をしているようだった。


「待ってください! その怪我で魔法なんて――」


「……大丈夫……」


「絶対大丈夫じゃないでしょう!」


 だが、リゼットは首を振った。


「……あれは……水に弱い……」


「水?」


「……古い……魔導回路……湿気で……動きが鈍る……」


 ヒロシは首をかしげた。


 水。


 湿気。


 魔導回路。


 分からない単語ばかりだ。


 だが、一つだけ理解できた。


「水をかければいいんですか?」


「……大量なら……」


 ヒロシは収納庫を開いた。


 緑茶、六百ミリリットル。


「……足りない」


 そもそも飲み水を攻撃に使うのは、できれば避けたい。


 周囲を見渡す。


 壊れた棚。


 木箱。


 石壁。


 そして、小屋の奥。


 そこには、古い木桶が置かれていた。


「……水?」


 駆け寄って中を確認する。


 空だった。


「ですよね!」


 絶望的な気分になりかけた、そのとき。


 リゼットが呟いた。


「……井戸……」


「え?」


「……村の……中央に……井戸が……」


 ヒロシは思い出した。


 村に入ったとき、石造りの井戸を見ている。


 水があるかどうかは確認していない。


 だが。


「……外じゃないですか」


 扉の向こうには、金属の番兵がいる。


 そんなところへ出ていけるはずがない。


 ヒロシは唇を噛んだ。


 どうする。


 どうすればいい。


 その瞬間。


 バガァン!


 扉が砕けた。


「うわっ!」


 木片が飛び散る。


 青白い光を放つ金属の人形が、ゆっくりと小屋へ入ってきた。


 高さは二メートルほど。


 全身は黒ずんだ金属で覆われている。


 胸の中央には、青い宝石のようなものが埋め込まれていた。


 片腕には大きな盾。


 もう片方には、刃のついた武器。


「――未登録住民を確認」


 ヒロシは反射的にリゼットの前へ立った。


「……待ってくれ!」


「――排除を実行」


 番兵が一歩踏み出した。


 重い足音が床を震わせる。


 ヒロシは両手を上げた。


「俺たちは敵じゃない! 怪我人がいるんだ!」


「――登録情報なし」


「だから、登録すればいいんだろ!?」


 番兵の動きが止まった。


「――登録申請?」


「……え?」


 ヒロシも固まった。


 今、止まった?


「――住民登録には、管理者認証が必要」


「管理者?」


「――現管理者、不在」


「じゃあ、どうすればいいんだよ!」


「――管理者不在時の新規登録は不可」


 ヒロシは頭を抱えた。


「お役所仕事かよ!」


 番兵が再び動き出す。


「――登録不可。排除を再開」


「ちょっと待て! それは理不尽だろ!」


 ヒロシは思わず叫んだ。


 だが、番兵は止まらない。


 刃のついた腕を持ち上げる。


 ヒロシは後ずさった。


 その背後で、リゼットが何かを呟いた。


「……水よ……」


 青い光が広がる。


 次の瞬間。


 バシャッ!


 大量の水が、番兵の上半身に降り注いだ。


「――異常……回路……異常……」


 青白い光が激しく点滅する。


 金属の腕が痙攣した。


 ガガガッ!


 番兵がよろめく。


「今!」


 リゼットが叫んだ。


 ヒロシは反射的に動いた。


 目の前にあった木箱を持ち上げ、番兵の足元へ投げつけた。


 箱は見事に外れた。


「……あっ」


 リゼットが呆然とする。


「……ヒロシ……?」


「すみません!」


 番兵がこちらを向いた。


「――敵対行動……確認……」


「いや、もう十分敵対してましたよね!?」


 だが、番兵の動きは明らかに鈍くなっていた。


 ヒロシはその隙に、リゼットを抱き上げた。


「逃げます!」


「……うん……」


 小屋の奥へ走る。


 そこには、崩れかけた裏口があった。


 ヒロシは肩から体当たりした。


 バキッ!


 扉が外れる。


 勢い余って、二人まとめて地面に転がった。


「痛たたた……!」


「……本当に……不器用……」


「反論できません!」


 ヒロシは立ち上がり、リゼットに肩を貸した。


 背後から、金属音が聞こえる。


 番兵はまだ動いていた。


「……倒せてないじゃないですか!」


「……時間稼ぎ……」


「そういうのは先に言ってください!」


 それでも、数分の猶予は得られた。


 二人は暗い村の中を進んだ。


     ◇ ◇ ◇


 旧エルム村は、夜になると昼間以上に不気味だった。


 崩れた家々。


 雑草に埋もれた道。


 月明かりに照らされた井戸。


 遠くでは、虫の鳴き声が聞こえる。


「……あそこ」


 リゼットが指さした。


 村の中心にある、石造りの建物。


 ほかの家よりも大きい。


 屋根の一部は崩れているが、壁は比較的しっかりしていた。


「……あれは?」


「……村の……集会所……」


「集会所?」


「……昔は……村長が……使ってた……」


 ヒロシは建物を見た。


 入口には、古い紋章が刻まれている。


 円の中に、大きな木が描かれていた。


「……あそこなら、安全ですか?」


「……分からない……でも……」


 リゼットは苦しそうに息を吐いた。


「……番兵が……入れない……可能性が……」


「どうして?」


「……管理者施設……だから……」


 ヒロシは少し考えた。


 管理者。


 住民登録。


 番兵。


 どうやら、この村には何らかの管理システムが存在していたらしい。


 しかも、相当古いものだ。


「……ますますゲームっぽいな」


 ヒロシは呟いた。


 だが、ゲームならセーブもロードもできる。


 ここでは、死んだら終わりだ。


 その事実が、重くのしかかった。


 二人は集会所へ向かった。


 入口の扉は、半分壊れていた。


 ヒロシは慎重に中を覗く。


 暗い。


 だが、人影はない。


「……よし」


 リゼットを支えながら中へ入る。


 広い部屋だった。


 中央には大きな木製の机。


 壁際には棚が並んでいる。


 奥には、石造りの台座があった。


 ヒロシはリゼットを壁際に座らせた。


「少し休んでください」


「……ありがとう……」


「いえ。俺も休みたいです」


 ヒロシは床に座り込んだ。


 全身が痛い。


 特に足がひどい。


 革靴で草原を歩き回り、魔物から逃げ、怪我人を運び、謎のロボットから逃げた。


 普通の会社員には、あまりにも過酷な一日だった。


「……明日、筋肉痛で動けないな」


 思わず呟く。


 リゼットが小さく笑った。


「……変なこと……心配するのね……」


「いや、結構深刻ですよ」


「……ふふ……」


 その笑顔を見て、ヒロシは少し安心した。


 出会ったときより、顔色がよくなっている。


 だが、傷の状態はまだ分からない。


「……リゼットさん」


「……なに?」


「傷、ちゃんと治療したいんですけど、この世界には病院とかありますか?」


「……ある……」


「よかった」


「……でも……ここから……一番近い街まで……歩いて二日……」


「……二日?」


 ヒロシは固まった。


「……しかも……森には……魔物がいる……」


「……ですよね」


 そう簡単にはいかないらしい。


 ヒロシはスマートフォンを取り出した。


 明かりがつく。


 リゼットが目を丸くした。


「……なに……それ……?」


「ああ、これですか?」


 ヒロシはスマートフォンを見せた。


「スマートフォンっていう道具です」


「……すま……ほ?」


「遠くの人と話したり、調べ物をしたり、写真を撮ったりできます」


 リゼットは不思議そうに画面を見つめた。


「……魔道具……?」


「まあ、似たようなものです」


「……すごい……」


 ヒロシは苦笑した。


「便利なんですけどね。これだけで全部解決できるわけじゃないんですよ」


 実際、今まさに困っている。


 スマートフォンがあっても、怪我を治せるわけではない。


 番兵を倒せるわけでもない。


 日本に帰れるわけでもない。


「……でも」


 リゼットが小さく呟いた。


「……ヒロシは……助けてくれた……」


「え?」


「……知らない私を……」


 ヒロシは言葉に詰まった。


 少し照れくさい。


「……まあ、成り行きですよ」


「……それでも……」


 リゼットは微笑んだ。


「……ありがとう……」


 ヒロシは視線を逸らした。


「……どういたしまして」


 静かな時間が流れた。


 外では、風が木々を揺らしている。


 遠くから、金属の足音が聞こえた。


 ガシャン。


 ガシャン。


 番兵が村を巡回しているのだろう。


 ヒロシは再び緊張した。


「……ここ、本当に大丈夫なんですか?」


「……たぶん……」


「たぶん!?」


「……絶対じゃ……ない……」


「ですよね……」


 ヒロシは深くため息をついた。


 それから、ふと奥の台座に目を向けた。


「……あれ、何でしょう?」


 リゼットも視線を向ける。


「……村の……管理石……だと思う……」


「管理石?」


「……古い村には……魔導管理装置が……あることが……」


 ヒロシは立ち上がった。


「……ちょっと見てきます」


「……気をつけて……」


 台座へ近づく。


 石で作られた、腰ほどの高さの台。


 その上には、透明な水晶のようなものが置かれていた。


 表面には細かな文字が刻まれている。


 ヒロシには読めなかった。


「……なんだこれ」


 スマートフォンのライトを向ける。


 水晶の内部に、かすかな光が見えた。


「……動いてる?」


 ヒロシは恐る恐る手を伸ばした。


 リゼットが何か言いかけた。


「……ヒロシ、待っ――」


 だが、遅かった。


 ヒロシの指が、水晶に触れた。


 その瞬間。


 ピィィィン!


 甲高い音が響いた。


「うわっ!?」


 水晶が青白く輝く。


 床に複雑な魔法陣が浮かび上がった。


 ヒロシは慌てて手を離した。


 だが、光は消えない。


 目の前に、半透明の文字が現れた。


【管理者認証を開始します】


「……え?」


【旧エルム村管理機構】


【現管理者:不在】


【新規管理者候補を検出】


 ヒロシは目を見開いた。


「……候補?」


 リゼットが驚いたように声を上げる。


「……そんな……!」


 水晶が明るく輝いた。


【対象者の魔力を解析中】


【解析失敗】


【再解析中】


【解析失敗】


【未知の干渉波を検出】


 ヒロシは困惑した。


「……なんかエラー出てるんですけど」


 水晶の光が激しく点滅する。


【外部接続を検出】


【接続先:識別不能】


【管理者認証方式を変更】


【物理接触認証へ移行】


 次の瞬間。


 ヒロシの右手が、淡い光に包まれた。


「うわあっ!?」


 痛みはない。


 だが、手の甲に小さな紋章が浮かび上がった。


 大きな木をかたどった印。


 村の入口や集会所に刻まれていたものと同じだった。


【認証完了】


【新規管理者を登録しました】


【管理者名:ヒロシ】


【管理対象:旧エルム村】


【稼働施設:一部】


【登録住民:一名】


「…………」


 ヒロシは呆然とした。


「……はい?」


 リゼットも固まっている。


「……管理者……?」


 ヒロシは水晶を見つめた。


 そこには、最後の一文が表示されていた。


【ようこそ、エルム村へ】


【管理者ヒロシ様】


 ヒロシは頭を抱えた。


「……いや、ちょっと待って」


 なぜ、こんなことになったのか。


 何が起きたのか。


 まったく理解できない。


 ただ、一つだけ分かったことがある。


「……俺、村長になっちゃった?」


 リゼットが、ぽかんと口を開けた。


 そして、次の瞬間。


「……ふふっ……」


 小さく笑い始めた。


「……あはは……!」


「ちょっと、笑い事じゃないですよ!」


「……だって……」


 リゼットは笑いながら、目尻に涙を浮かべた。


「……あなた……本当に……変な人……!」


 ヒロシは深いため息をついた。


「……否定できません」


 そのときだった。


 外から、金属の足音が近づいてきた。


 ガシャン。


 ガシャン。


「……あっ」


 ヒロシは固まった。


 番兵だ。


 逃げなければ。


 だが、足音は集会所の入口で止まった。


 そして。


「――管理者認証を確認」


 平坦な声が響いた。


「――新規管理者、ヒロシ様」


 ヒロシは恐る恐る扉へ近づいた。


 そこには、先ほど襲いかかってきた金属の番兵が立っていた。


 胸の青い宝石が、穏やかな光を放っている。


 番兵はゆっくりと片膝をついた。


「――旧エルム村警備機構、管理者の指揮下へ移行」


「…………」


 ヒロシは言葉を失った。


「――ご命令を」


 リゼットが、目を丸くしている。


 ヒロシは数秒間、考え込んだ。


 そして、ようやく口を開いた。


「……とりあえず」


「――はい」


「……俺たちを襲わないでください」


「――了解しました」


 即答だった。


 ヒロシは膝から崩れ落ちそうになった。


「……最初からそうしてくれよ……」


     ◇ ◇ ◇


 その夜。


 ヒロシは集会所の隅で、リゼットの傷の手当てを続けていた。


 番兵は入口で待機している。


 管理者として命令したところ、村の周囲を巡回してくれることになった。


 ただし、すべての命令に従うわけではないらしい。


 村の外へ出ることはできない。


 人間の言葉は理解するが、複雑な判断は苦手。


 そして、エネルギーが残り少ないという。


「……結局、万能じゃないのか」


 ヒロシは苦笑した。


 それでも、警備員が一人増えたようなものだ。


 少なくとも、今夜の安全は少しだけ高まった。


 リゼットは眠っている。


 ヒロシはスマートフォンを取り出した。


 時刻は午後十一時過ぎ。


 バッテリー残量は四十一パーセント。


「……充電問題もあるな」


 日本の通販でモバイルバッテリーを買うことはできる。


 だが、それも使い切れば終わりだ。


 太陽光発電。


 手回し発電機。


 あるいは、この世界の魔法技術。


 いずれ、何か方法を考えなければならない。


 ヒロシはChatGPTを開いた。


『異世界らしき場所で、古い村の管理者になってしまいました。まず何から始めるべきでしょうか?』


 少しして、返答が表示された。


『村を運営する場合、まず現状把握が重要です。人口、水源、食料、住居、安全、衛生などを確認しましょう。特に、今夜から数日間の生存を優先してください。』


「……だよなあ」


 ヒロシは頷いた。


 村長になったからといって、突然立派な村ができるわけではない。


 家は崩れている。


 畑は荒れている。


 井戸も使えるか分からない。


 住民は、自分とリゼットだけ。


 正確には、リゼットが住民になるかどうかも聞いていない。


「……まずは明日、井戸を調べるか」


 ヒロシはメモアプリを開いた。


 画面に、やるべきことを書き込む。

旧エルム村 初期作業メモ


- [ ] リゼットの傷の治療と休養

- [ ] 井戸と水源の確認

- [ ] 安全に使える建物の調査

- [ ] 食料と飲み水の確保

- [ ] 番兵の能力と稼働時間の確認

- [ ] 村が廃村になった理由を調べる

- [ ] スマートフォンの充電手段を確保

- [ ] 日本円の収入源を考える


「……多いな」


 思わず苦笑した。


 仕事でも、タスクを整理すると山のように出てくることがあった。


 だが、今回は仕事ではない。


 自分たちの命がかかっている。


 ヒロシは画面を閉じようとした。


 そのとき、リゼットが目を覚ました。


「……ヒロシ……?」


「あ、起こしちゃいました?」


「……何……してるの……?」


「明日やることを考えてました」


 リゼットは不思議そうに首をかしげた。


「……明日……?」


「はい。水を探して、家を直して、食料も確保しないと」


「……ここに……住むつもり……?」


 ヒロシは少し考えた。


 正直、まだ決めていない。


 ここが安全かどうかも分からない。


 街へ行った方がいいのかもしれない。


 だが、少なくとも今すぐ移動するのは難しい。


「……とりあえず、しばらくは」


 そう答えた。


 リゼットは目を伏せた。


「……この村は……危険……」


「そうみたいですね」


「……本当に……分かってる……?」


「いや、正直、ほとんど分かってません」


 ヒロシはあっさり認めた。


 リゼットが呆れたような顔をする。


「……じゃあ、どうして……?」


「だって、ほかに行く場所がないですから」


 ヒロシは肩をすくめた。


「それに、今のリゼットさんを連れて、二日も歩けませんよ」


「……私の……せい……?」


「違います」


 ヒロシは即答した。


「俺が勝手に決めたことです」


 リゼットは黙った。


 ヒロシは少し笑った。


「まあ、もし危なかったら逃げましょう。そのためにも、まずはここを調べないと」


「……変な人……」


「もう聞き飽きました」


 リゼットは小さく微笑んだ。


 そして、少しだけ真剣な顔になった。


「……ヒロシ」


「はい?」


「……私……冒険者なの……」


「そうなんですか」


「……五年……やってる……」


 リゼットは自分の左腕を見た。


「……今回は……失敗したけど……」


 その声には、悔しさがにじんでいた。


「……でも……この辺りのことは……知ってる……」


 ヒロシは頷いた。


「それは助かります」


「……だから……」


 リゼットは少し迷った。


 そして、ヒロシを見つめた。


「……怪我が治るまで……ここに……置いて……」


「もちろんです」


「……その代わり……案内……する……」


「え?」


「……村のことも……魔物のことも……街のことも……」


 リゼットは、ゆっくりと言葉を続けた。


「……私が……教える……」


 ヒロシは目を丸くした。


 そして、笑った。


「それ、すごく助かります!」


 リゼットは少し驚いたようだった。


「……そんなに……?」


「そりゃそうですよ。俺、この世界のこと何も知らないんですから」


 ヒロシは手を差し出した。


「じゃあ、よろしくお願いします。リゼットさん」


 リゼットは差し出された手を見つめた。


 それから、ゆっくりと右手を重ねた。


「……よろしく……ヒロシ……」


 二人は、初めてしっかりと握手を交わした。


 小さな廃村。


 壊れかけた集会所。


 怪我をした冒険者と、異世界から来た会社員。


 それが、すべての始まりだった。


     ◇ ◇ ◇


 深夜。


 リゼットが眠りについたあと。


 ヒロシは、管理石の前に立っていた。


 水晶には、淡い光が灯っている。


「……村の状態とか、見られるのかな」


 試しに手を触れる。


 すると、半透明の文字が浮かび上がった。


【旧エルム村 管理情報】


【管理者:ヒロシ】


【登録住民:一名】


【管理対象区域:旧村落区画】


【建物総数:二十三棟】


【使用可能建物:三棟】


【井戸:一基/状態不明】


【耕作可能地:未調査】


【防衛設備:警備人形一体/稼働率低下】


【魔力供給:残量不足】


「……なるほど」


 思っていた以上に、細かい情報が表示される。


 だが、未調査の項目も多い。


 便利ではあるが、これだけで村を運営できるわけではなさそうだ。


 ヒロシは表示を読み進めた。


 すると、一番下に、赤い文字が浮かんでいた。


【警告】


【地下封印施設:管理区域外】


【封印強度:低下中】


「……地下封印施設?」


 ヒロシは首をかしげた。


 そんなものがあるのか。


 さらに表示が続く。


【前回封印点検:百二十七年前】


【現在の封印維持期間:推定不能】


【異常魔力反応:微弱】


「…………」


 ヒロシは、しばらく画面を見つめた。


 そして、小さく呟いた。


「……これ、絶対に面倒なやつだよな」


 水晶は何も答えない。


 ただ、赤い警告文字が静かに点滅している。


 ヒロシは深いため息をついた。


「……明日考えよう」


 今は疲れすぎている。


 頭も回らない。


 彼は管理石から手を離し、リゼットが眠る場所の少し離れた床に腰を下ろした。


 スマートフォンを確認する。


 バッテリー残量、三十八パーセント。


 動画の再生回数、十二回。


 収益、ゼロ円。


「……先は長いな」


 ヒロシは苦笑した。


 そして、目を閉じた。


 こうして。


 異世界での最初の夜が、ようやく終わろうとしていた。


 だが、ヒロシはまだ知らない。


 自分が何気なく触れた管理石が、旧エルム村の運命を大きく変えたことを。


 そして、村の地下深くで。


 百年以上眠り続けていた何かが、ゆっくりと目を覚まし始めていたことを。

第1章 完


次回:第2章「廃村の朝と、最初の井戸調査」


夜を乗り越えたヒロシとリゼット。しかし、旧エルム村には飲める水も、まともな寝床もない。管理石の情報を頼りに村の調査を始める二人は、井戸に隠された異常と、村が捨てられた原因の一端を発見する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。