第七話 大丈夫。俺なら、いけるいける
WEB小説界隈でランキング入りを目指す人に捧ぐ。
最終話です。
結果発表は、正午だった。
午前11時57分。
俺は勤務先の会議室で、クライアント企業の販売戦略について説明していた。
「したがって、既存顧客の継続率を改善するには、新規獲得数だけを見るのではなく――」
手元のノートパソコンには、プレゼン資料が表示されている。
その裏では、『地星ノベル大賞』の公式ページを開いていた。
午前11時58分。
更新。
変化なし。
午前11時59分。
更新。
変化なし。
「橘さん?」
向かいに座ったクライアントの担当者が、怪訝そうな顔をした。
「どうかしましたか?」
「いえ。サイト側の更新を確認していただけです」
「何か資料に不具合でも?」
「そのようなものです」
嘘ではない。
そして正午。
俺は説明を続けながら、もう一度だけ画面を更新した。
公式ページの内容が切り替わった。
――第十二回地星ノベル大賞、受賞作品発表。
その言葉を見た瞬間、俺の心臓が、ドクンッとひと際大きく跳ねた。
「では、次のページをご覧ください」
俺は平静を装いながら、プレゼン資料を一枚進めた。
その一方で、公式ページを下へスクロールする。
大賞からはじまり金賞、銀賞と続いていく。
俺の作品名はない。
さらに下をスクロールする。
奨励賞。
そこに、見覚えのある長いタイトルがあった。
『会社をクビになった俺、深夜ダンジョンでゴミ拾いしてたら【鑑定】が覚醒して配信界のトップになった』
作者名、小狐。
数秒、画面の文字を理解できなかった。
「橘さん?」
再び名前を呼ばれた。
「はい」
「次の施策についてですが」
「失礼しました。続けます」
声は、少しだけ上ずっていた。
受賞している。
本当に。
締切二日前に応募した作品が。
市場分析から始まり、在庫管理の小説で失敗し、そして四千文字の会議を削った。
そこからタイトルを考え直しして、あらすじを書き直す。
第一話にフックを置いて、物語そのものと向き合った作品が。
賞を取っている。
震える指で作品名を押すと、選評が表示された。
『身近な社会的不遇から始まり、探索者全盛時代のダンジョンへ自然につなげた導入』
『ゴミ拾いと【鑑定】を組み合わせた分かりやすい企画』
『配信を通じて周囲の評価が変化していく連載性』
評価されていた。
タイトルだけではない。
設定だけでもない。
俺が悩んで、そして悩んで、そして書き直した、物語の部分まで。
次の瞬間、机の上に伏せていたスマートフォンが激しく震え始めた。
水城ミナ、着信。
無視。
もう一度着信。
やっぱり無視。
三度目。
クライアントがその異様さにこちらを見た。
「お急ぎの電話でしたら、出ていただいて大丈夫ですよ」
「申し訳ありません。5分だけ休憩をいただけますか」
俺は会議室を出た。
廊下の端まで移動し、電話を取る。
「何だ」
『何だじゃないっすよ!』
耳を離したくなるほどの大声が響いた。
『取ってるっす! 賞! 本当に取ってるっすよ!』
「知っている」
『なんでそんな冷静なんすか!?』
「仕事中だ」
『しかも、下まで見ました!?』
「ん?? 下?」
『コミカライズ賞っすよ!』
「何?」
俺は公式ページを再び開いた。
奨励賞のさらに下。
『特別賞』
『コミカライズ賞受賞作品』
そこにも、同じタイトルが載っている。
「……二つあるな」
『二つあるな、じゃないっす! 小説の賞と漫画の賞、両方取ってるっすよ!』
「どうもそうらしい」
『本当にやったっす! 橘さん、本当に小説家になったっすよ!』
ミナの声は、俺以上に震えていた。
「まだ本は出ていない」
『そこは素直に喜べっす!』
「受賞はあくまでも通過点だ」
『数か月前まで在庫管理の小説を書いてた人が、何を格好つけてるんすか!』
「在庫管理にも価値はある」
『タイトルが論文だったでしょうが!』
ミナのツッコミに思わず廊下で吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。
電話の向こうでは、ミナがまだ何か叫んでいる。
『今夜、そっち行くっすからね!』
「なぜだ」
『お祝いするに決まってるでしょうが!』
「俺は仕事がある」
『仕事が終わってからっす!』
「明日でも――」
『今日っす! 逃げたらドア壊すっすよ!』
「探索者が一般家庭を脅迫するな」
『19時に行くっす!』
一方的に電話が切れた。
俺はしばらく、暗くなった画面を見つめた。
なぜかそこには笑った男が映っていた。
「橘さん」
会議室から担当者が顔を出した。
「大丈夫ですか?」
「はい」
俺は表情を戻した。
「別事業が採択されまして」
「それは、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
説明としては、間違っていない。
◇
19時2分。
玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、ミナが立っていた。
両手に買い物袋を提げている。
「ドア開けるの遅いっす!」
「いつもどおりだ」
「10秒も待ったっす!」
「別にいいじゃないか」
「おじゃましまっす!」
ミナは俺を押しのけるように部屋へ入り、テーブルの上へ次々と物を並べた。
寿司、肉、揚げ物、そしてケーキと炭酸飲料。
「……買いすぎでは?」
「祝い事っすから!」
「二人分ではない」
「残ったら明日食べるっす!」
「俺の家なのだが」
「いいから座れっす!」
テーブルの中央には、受賞発表ページを開いたタブレットが置かれた。
ミナは奨励賞とコミカライズ賞の部分を、何度も交互に確認する。
「消えないっすね」
「そりゃ公式発表だからな」
「夢じゃないっすよね」
「俺に聞くな」
「だって、本当に取ると思わないじゃないっすか!」
「失礼だな」
「最初の作品、タイトルが『ダンジョン補給業務における在庫管理と生還率向上について』だったんすよ!?」
「あれは良い作品だった」
「木箱を右に動かす話でしょうが!」
「搬出時間が七パーセント改善された」
「だから何なんすか!」
ミナが笑う。
俺も、つられて少し笑った。
「乾杯するっすよ」
「何に」
「受賞とコミカライズに決まってるでしょうが」
「まだ企画が始まるだけだ」
「そういうのは乾杯した後に言えっす!」
グラスを持つ。
ミナが勢いよく掲げた。
「小説家になった橘さんに!」
「その呼び方はやめろ」
「じゃあ、小狐先生に!」
「もっとやめろ」
「受賞おめでとうっす!」
グラスがぶつかり、軽い音を立てた。
「…ありがとう」
その言葉を口にした途端、ようやく実感が湧いた。
受賞した。
読者が作品を見つけ、読み、続きを待ち、評価してくれた。
その数字を見た誰かが、作品を選んだ。
俺一人で取った賞ではない。
少なくとも、目の前で寿司を頬張っている女がいなければ、ここまでは来なかった。
「ミナ」
「何すか?」
「礼を言う」
「急にどうしたんすか。気持ち悪いっすね」
「探索者としての話がなければ、主人公は最後まで地面に線を引いていただろう」
「五話連続で性能試験してたっすね」
「君の意見がなければ、在庫管理の作品を投稿し続けていたかもしれない」
「やめてください。悪夢っす」
「現場監修として、十分に役割を果たした」
「焼き肉二回っすからね」
「…覚えていたのか」
「当然っす!」
「分かった。高級店を予約する」
「やったっす!」
ミナは満足そうに頷いた。
「でも」
彼女の声が、少しだけ静かになった。
「本当に、取ったんすね」
「ああ」
「最初は、絶対無理だと思ってたっす」
「見る目がないな」
「今でも、その態度は腹立つっすけど」
ミナはタブレットに表示された作品名を見る。
「橘さん、小説家を舐めてたでしょう?」
「舐めていたな」
「今は?」
俺は少し考えた。
タイトルを考えれば読まれると思っていた。
人気要素を並べれば、面白い作品になると思っていた。
投稿時間をそろえ、数字を比較し、問題点を改善すれば、機械のように成功作を作れると思っていた。
だが、タイトルは入口でしかなかった。
あらすじは、読者との約束。
第一話は、その約束を始める場所。
更新は、読者との関係を途切れさせないためのもの。
そして、そのすべてを整えたとしても。
主人公を好きになれなければ。
次に何が起きるか気にならなければ。
登場人物の幸せを願えなければ。
話そのものが面白くなければ。
決して読者は残らない。
「以前ほどではない」
「まだ舐めてるんすか!?」
「難しい仕事だとは理解した」
「そこは認めるんすね」
「タイトルだけでは売れない」
「はい」
「あらすじだけでも売れない」
「そうっすね」
「第一話のフックだけでも足りない」
「うんうん」
「そして、どれか一つが欠けても、読者へ届く可能性は下がる」
「結局、全部大事ってことっすか?」
「まぁ、そうなる」
「当たり前の結論っすね」
「当たり前のことをすべて実行するのは難しい」
タイトルを軽視しない。
あらすじを設定資料にしない。
第一話で会議を始めない。
物語を能力の仕様書にしない。
主人公に選ばせる。
読者が戻ってくる理由を作る。
更新を止めない。
一つ一つは単純だ。
だが、すべてを続けるのは簡単ではない。
「データを見れば、読者がどこで帰ったかは分かる」
「そうっすね。最近は本当に便利になりました」
「しかし、なぜ残ったかは、数字だけでは分からない」
「珍しくいいこと言うっすね」
「人物を好きになったのか。台詞が刺さったのか。次の展開が気になったのか。それは作品を読まなければ分からない」
「じゃあ、市場分析だけじゃ小説は書けない?」
「書けない」
「おお」
「だが、市場分析をしなくていい理由にもならない」
「やっぱり面倒な人っすね!」
小説は感情で読むものだ。
だからといって、読者へ届く工夫を放棄していいわけではない。
良いものを書けば、いつか誰かが見つけてくれる。
その可能性はある。
しかし、誰にも見つからない入口の奥に置かれた物語は、読者にとって存在しないのと同じだ。
入口を作る。
約束を伝える。
第一話で物語を動かす。
中に入った読者を、面白さで残す。
俺が学んだのは、それだけだった。
それだけを学ぶために、随分と多くの作品を失敗させた。
スマートフォンが振動した。
「また誰かからお祝いっすか?」
「メールだ」
確認すると、差出人は『ダンジョン湖畔の休憩地』について連絡をくれた出版社だった。
先日の相談から、正式に社内で検討したこと。
ぜひ書籍化に向けて話を進めたいこと。
担当編集者との打ち合わせを希望していること。
そこまで読んで、俺はスマートフォンをミナへ渡した。
「何すか?」
「読め」
ミナがメールを読み始める。
数秒後。
彼女の目が大きく見開かれた。
「これ……」
「ああ」
「正式に書籍化したいって書いてあるっす!」
「そうだな」
「受賞作とは別の作品っすよね?」
「湖畔のほうだ」
「今日、二作決まったんすか!?」
「厳密には、賞の受賞と、別作品の書籍化相談の進展だ」
「細かいっす!」
ミナが立ち上がった。
「すごいじゃないっすか!」
「声が大きい」
「二作っすよ!? 一作当たっただけじゃないっす!」
「ああ」
会社をクビになった男が、ゴミの価値を見つける話。
ダンジョンの湖畔に、探索者が帰ってくる場所を作る話。
二つの作品は、入口も、快感も、物語の速度も違う。
一方は、分かりやすい不遇からの逆転。
もう一方は、誰かの居場所になる物語。
一つの成功を繰り返したわけではない。
学んだ原則を、別の形で使った。
「これで証明できた」
「何をっすか?」
「偶然ではない可能性が高い」
「受賞して、別作品まで書籍化するのに、まだ可能性って言うんすか?」
「サンプル数は二つだ」
「小説家になってまで統計の話をするなっす!」
「次でも成功すれば、再現性はさらに高まる」
「もう次のこと考えてるんすか!?」
「当然だ」
「今日はお祝いの日っすよ!」
「企画だけだ」
俺は机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。
「まさか、もう作ってあるんすか?」
「受賞発表を待っている時間があった」
「仕事しろっす!」
「仕事は終わらせた」
ミナが企画書を受け取る。
「タイトルは?」
「まだ仮だ」
「どんな話っすか?」
「人間嫌いのハイエルフが、父親になる」
「……は?」
「森で一人暮らしていたハイエルフが、行き場のない少女を引き取る話だ」
「ダンジョンは?」
「出ない」
「探索者は?」
「まったく出ない」
「配信は?」
「そもそもない」
「鑑定は?」
「ない」
「いきなり全部捨てたっすね!?」
「同じものを書く必要はない」
「せめて成功した要素を一個くらい残せっす!」
「残す」
「何を?」
「読者が一目で分かる入口」
人間嫌い。
長命のハイエルフ。
父になる。
その三つで、どんな変化が起きる話か分かる。
第一話で少女と出会う。
あらすじで、孤独だった男が家族を得る未来を約束する。
物語では、不器用な二人が少しずつ親子になる。
「タイトルは――」
俺は企画書の一番上へ、文字を書き込んだ。
『人間嫌いのハイエルフ、父になる』
ミナがそれを読む。
「短いっすね」
「説明はあらすじで補う」
「前だったら、後ろに百文字くらい付けてたでしょう?」
「作品によって入口は違う」
「少しは成長したんすね」
「当然だ」
「そこは謙虚になれないんすか?」
「大丈夫だ」
俺は新しい原稿ファイルを開いた。
「俺ならいけるいける」
「またそれっすか」
「不満か?」
「最初に聞いたときは、根拠のない馬鹿の台詞だったっす」
「今は?」
ミナは少し考えたあと、口元を緩めた。
「失敗しても、原因を調べて書き直す馬鹿の台詞っすね」
「褒めていないな」
「最初よりは褒めてるっすよ」
投稿作品、二作。
受賞、ひとつ。
コミカライズ賞、ひとつ。
別作品の書籍化相談、ひとつ。
だが、読者に届かなかった作品は、それ以上にある。
読まれなかったタイトル。
設定資料のようなあらすじ。
会議から始まる第一話。
能力の性能試験だけで終わる物語。
それらは表には残らない。
成功した作品だけを見れば、最初から何もかもうまくいったように見えるだろう。
実際は違う。
読まれなかった作品を捨てずに。
なぜ読まれなかったのかを考え。
次の作品へ持っていった。
それだけだ。
「橘さん」
「何だ」
「小説家になって、どうっすか?」
俺は、空白の原稿画面を見た。
まだ一文字も書かれていない。
ここからまた、新たな物語の入口を考える。
あらすじを作る。
第一話で物語を始める。
書いて。
外して。
直して。
読者へ届ける。
「思ったより面倒だ」
「でしょうね」
「だが、悪くない」
「それだけっすか?」
「十分だろう」
俺は新作の第一行を書き始めた。
隣では、ミナが企画書を読みながら首をひねっている。
「この少女、何歳っすか?」
「0歳前後」
「ハイエルフ、子育てできるんすか?」
「できない」
「じゃあ、どうするんす?」
「失敗する」
「橘さんの書く主人公が、最初から失敗するんすか!?」
「その方が応援したくなるのだろう?」
「本当に成長したっすね!」
「うるさい。監修しろ」
「今度、探索者関係ないっすよ!」
夜は更けていく。
受賞祝いの料理が並ぶ部屋で。
俺たちは、次の物語について言い争い続けた。
小説家になると宣言した日のように。
ただ一つ違うのは。
今度の俺は、小説を書くことの難しさを知っている。
それでもなお。
書けば届く可能性があることも、知っていた。
だから俺は、迷わず次の一文を入力した。
大丈夫。
俺なら、いけるいける。
『人間嫌いのハイエルフ、父になる』
近日公開予定です(実話)




