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第98話 白き神獣と、地下迷宮の甘い罠
シュタイン伯爵の政治的な失脚を終え、王都の物流網を取った俺たちは、息つく暇もなく地下迷宮の第二層へと足を踏み入れていた。とりあえず内政は片付いたから、次は迷宮とする。
ここには怠惰の魔王ベルフェゴールが放った結界の残りが色濃く残っている。
「主、前方に魔力の淀みを確認。先ほどまでの王宮の腐敗した空気よりは、幾分か健康的ですが、精神を侵食する速度は格段に上がっています」
セレーナが短刀を抜き、影の中から警告を発する。
「そうですわね。わたくしの光魔法でも、この重苦しい眠気を完全には払拭できませんわ。リアム様、どうか無理をなさらないで。貴方はいつも、一人で背負い込みすぎなのですから」
アリシアが心配そうに俺の顔を覗き込む。彼女の瞳には相変わらず、孤独に戦う英雄としての俺が投影されているらしい。
「心配は無用だ。この程度の魔力密度、俺の演算効率を数%低下させるに過ぎない。それよりもカインだ。聖剣の輝きが鈍っているぞ」
「ええっ、そうかなぁ。なんだか、すごくふわふわした布団が目の前にあるような気がして」
派手な勇者の衣装を着たカインが、聖剣を杖代わりにして今にも膝をつきそうになっていた。
「カイン様、しっかりなさい。貴方はリアム様に選ばれた、希望の光なのですわよ。ほら、わたくしが特別に作ったマカロンを差し上げますから、シャキッとしなさいな」
「アリシア様、その過剰な糖分は今のカイン様には劇薬です。眠気を増幅させるだけかと」
「なんですって? わたくしの善意を否定するつもり?」
女子二人がいつものように火花を散らし始めたその時、俺の足元でふにゃっという気の抜けた声が響いた。
「クォン!」
真っ白でふわふわした毛玉のような存在、神獣シロが、俺のブーツに身体を擦り付けていた。
「シロ。お前、いつの間に出てきた。魔力捕食の効率を上げるために、今は引っ込んでいろと言ったはずだ」
「クォンクォン!」
シロは俺の言葉を無視して、周囲の霧を美味しそうに吸い込み始めた。霧が吸い込まれるたびに、洞窟内の視界が僅かに晴れていく。
「あら、シロちゃん! 相変わらず可愛らしいわね。でもシロちゃん、リアム様を独占してはいけませんわよ? その位置は、本来ならわたくしの」
「アリシア様、獣と張り合ってどうするのですか。主、シロの魔力変換効率が上昇しています。これなら、結界の核まで最短距離で突通できます」
セレーナがシロを観察しながら、冷静に分析する。
「シロ、よくやった。今日の貢献度は暫定で十五%といったところか」
「クォンクォン!」
俺がそう言ってシロの頭を撫でると、シロは目に見えて嬉しそうに尻尾を振り、毛並みを銀色に輝かせた。
「リアム様、シロちゃんばかり褒めて。わたくしも、この迷宮の浄化には尽力しておりますのよ。そうですわ、この先の広場には古文書によれば甘美なる休息の罠があるはずです」
アリシアが慌てて自分の存在をアピールする。彼女は相変わらず俺を美化するための知識を総動員しているらしい。
「甘美なる休息、ですか。主、その罠の正体は、対象が最も望む平穏を見せる精神干渉です。アリシア様なら、主と結婚する妄想でも見るのでしょうが、私には通用しません」
「なんですって!? 貴女こそ、リアム様を影から監視し続ける暗い執着を見せつけられるのが関の山ですわ」
「私は、主の道具であることを誇りに思っています。妄想など必要ありません。今、こうして主の影に居ることこそが、私の真実ですから」
「くっ、貴女、たまにそういう重いことを」
アリシアがセレーナの迷いのない言葉に気圧される。
「二人とも、無駄口はやめなさい。来るぞ」
俺の言葉と同時に、シロが鋭い唸り声を上げた。
前方から漂ってきたのは、花の香りと、抗いがたい安らぎの波動。
原作における、ベルフェゴール直属の守護者の出現ポイントだ。
「カイン、聖剣を抜く時だ。これから眠りながら戦うという非効率極まりない技術を叩き込んでやる」
「ええーっ!? 寝ながら戦うの!? 無理だよリアム、そんなの!」
「黙って俺の魔力糸に従え。カインの身体を、俺が最適に操作してやる」
俺は指先から、目に見えないほど細い魔力糸を伸ばし、カインの四肢に絡めた。
シロが大きく口を開け、迫りくる幻覚の霧を一気に飲み干す。
「行くぞ。この茶番を終わらせ決戦へと進む」
俺の意志に呼応するように、シロが銀狼へと姿を変え、暗い迷宮の奥底へ力強い風を叩きつけた。




