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第94話 不眠の王都と、王の頭痛


 時計塔の砂時計を粉砕し、王都を包囲していた静止を解除した俺たちは、一時的に王宮で休息を取っていた。

 物理的な時間が動き出した途端、今度はベルフェゴールとは別の、人間界の淀みが噴き出し始めていた。


「リアム様、こちらのお茶をどうぞ。王都で最も高価な茶葉ですが、今のこの状況下ではただの備蓄に過ぎませんわ」


 アリシアが、王家の紋章が入ったカップを俺の前に置く。横では、セレーナが音もなく影から現れ、毒見を済ませていた。別に毒見はしなくていいけど、でも断ることはしない。


「主、茶葉の鮮度は落ちていますが、毒はありません。それよりも、あちらで頭を抱えている国の頂をどうなさいますか?」


 セレーナが視線を向けた先では、国王ハインリヒが、山積みの書類を前に深い溜息をついていた。


「おお、リアムか。怠惰の霧が晴れ、民が目覚めたのは喜ばしい。しかし、目覚めた瞬間に税の免除と食料の即時配給を求めて貴族たちが騒ぎ始めてな。特に、シュタイン伯爵が、この機に乗じて王室の管理責任を問うているのだ」


 ロベルト・フォン・シュタイン伯爵。原作ではリアムの豚公爵の没落を嘲笑っていた、権力志向の塊のような男だ。


「シュタイン伯爵、ですか。あの、趣味の悪い馬車を乗り回している方ですわね。リアム様、あのような非合理な者の言い分など、わたくしの光魔法でいえ、法的に黙らせるべきです」


「アリシア様、魔法で口を塞ぐのは短絡的です。主、シュタイン伯爵は現在、王都の食料倉庫の三割を私的に差し押さえています。非常事態における徴発という建前で」


 食料を確保しているか。何かを起こす気か。


「カインはどう思う?」


 俺が話を振ると、聖剣の汚れを拭いていたカインが、面倒そうに顔を上げた。


「ええっ、僕!? うーん、食料を隠し持ってるなら、力ずくで奪い返せばいいんじゃない? 腹ペコの人がたくさんいるんだからさ」


「カインは相変わらず脳まで筋肉でできているようだな。それではただの略奪だ。シュタインが求めているのは、王家への不信感をあおり、新領地シロ・ノヴァの物流利権に食い込むことだ」


「リアム様、その通りですわ。新たに開拓したシロ・ノヴァの驚異的な発展を、自分の懐を肥やすための金としか見ていませんのよ。不潔ですわ、本当に不潔ですわ」


 アリシアが扇子を激しく動かしながら憤慨する。


「主、いっそのこと、シュタイン伯爵の存在そのものを物流のゴミとして処理しましょうか。今夜なら、事故に見せかけるのは容易です」


「待て、セレーナ。それは最終手段だ。死人は喋らないが、死人は働かない。利用価値があるうちは、生かして搾り取るのが管理者のやり方だ」


「左様でございますね。主の仰る通り、生かしたまま絶望させる方が、合理的です」


 セレーナの瞳に、信仰に近い暗い光が宿る。


「カインには一つ、勇者らしい派手な仕事をしてもらう。シュタインの屋敷の前で、聖剣を光らせて演説をしてこい」


「ええーっ!? 演説!? 僕、そういうの苦手だよリアム」


「カイン様、主の命令ですわよ。内容は簡単です。王都の食料危機を救うため、シュタイン伯爵が全財産を寄付すると言っていたと大声で触れ回ればよろしいのですわ」


「え、それって嘘」


「未来の確定事項です。アリシア様、その案に、私の隠密たちがサクラとして群衆を誘導する手配を加えましょう。シュタイン伯爵が否定する隙を与えないほど、民衆の期待を爆発させます」


「ふふ、わたくしたち、こういう時だけは、本当に息が合いますわね」


 アリシアとセレーナが、不敵な笑みを交わす。この二人を敵に回すと怖そうだな。


「リアム。お前は、ベルフェゴールと戦っている最中も、このような政治の盤面を読んでいたのか?」


 国王が呆然とした様子で俺を見る。


「戦争は兵で決まる。そして兵は、国内の不満をどれだけ減らせるかで決まる。国王は椅子に座って、シュタインから届く自発的な寄付目録に判を押す準備だけしておいてください」


「あ、ああ。分かった」


 俺は冷めた紅茶を一口飲み、頭の中の原作知識を整理した。

 シュタイン伯爵。あいつの裏帳簿には、他国との密輸ルートが記されているはずだ。それを暴き、シロ・ノヴァの物流網に組み込めば、シロ・ノヴァの経済圏はさらに三割拡大するかな。無視することも可能だが、やってみるのも面白いか。


「リアム様、次のお茶は、もっと熱いものをお持ちしますわね。わたくしたちの英雄を、冷えさせてはいけませんもの」


「主、今夜の集団心理操作の準備に取り掛かります。カイルの衣装は、最も騙されやすい勇者に見えるよう、派手に仕立て直させます」


「ひどい言われようだなあ! でも、分かったよ。それで王都の人たちがご飯を食べられるなら、僕はピエロにだってなるよ」


「ピエロではなく、歯車だ。上手く回れ、カイン。俺の計算通りにな」


 王都を侵食する貴族の怠惰もまた、俺の手によって、シロ・ノヴァを支える動力へと変えられていく。

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