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第93話 不眠の王都と茶会


 時計塔を制圧し、物理的な静止を解除したものの、王都を包囲する黄金の霧が完全に晴れたわけではない。俺たちは一時的に王都内の安全圏を確保し、事態の推移を見守ることにした。

 そんな中、俺たちの前に一人の女が現れた。王都の裏社会を牛耳り、今は俺が情報源として生かしている毒はあるがギルドマスターのカサンドラだ。


「あら、皆様。随分と暑苦しい格好で。リアム、この王都を巨大な蒸し器に変えたのは、リアムかしら?」


 カサンドラが扇子を揺らしながら、皮肉げに微笑む。


「効率の問題だ。湿度が上がれば、ベルフェゴールの乾燥した安らぎは消せる。カサンドラ、生き残っていたか」


「主、この女を放置しておくのは危険です。今すぐ影の底へ沈めてもよろしいでしょうか」


 セレーナが、感情を削ぎ落とした瞳で短刀の柄に手をかける。


「ちょっと、セレーナさん怖いですわよ。カサンドラ様、貴女も貴女ですわ。リアム様を捕まえて暑苦しいだなんて。あの方は、この国の冷え切った時間を、その身をていして温めてくださっているのですから、ご理解して」


 アリシアが、キラキラとした、それでいてどこかズレた熱量で反論した。


「アリシア様。相変わらず、主のことを孤独な救世主か何かに変換していらっしゃるのね。見てごらんなさいリアム様の顔。救いたいという顔ではなく、ただ単に計算外のノイズを排除したいという顔をされていますわよ」


「なんですって!? リアム様は、領民を、わたくしたちを想ってのこと」


「セレーナ。アリシア様がまた妄想の沼に沈みかけています。救い上げるか、それとも一緒に沈むか、どちらになさる?」


「私は主の意思だけを遂行します。アリシア様、カサンドラに構うのは資源の無駄です。主、この女から得られる情報は?」


 セレーナがアリシアを無視して、俺に問いかける。


「王都の現在の流通と備蓄だ。カサンドラ、報告してくれよ」


「うふふ、相変わらず冷たいわね。王都の状況は最悪よ。貴方が作った新領地、シロ・ノヴァの話を聞いて、皆そこへ逃げたがっているわ。あそこには不眠不休で働ける、輝かしい場所があるってね」


「シロ・ノヴァ、ですか。リアム様が、わたくしたちのために作ってくださった、あのユートピアを」


 アリシアがうっとりと頬に手を当てる。


「ユートピア、ねぇ。私には、二十四時間体制で効率を求められる美しい監獄に見えるけれど。カイル、貴方はどう思うの? 勇者様」


 カサンドラが、隅で装備の手入れをしていたカイルに話を振った。


「えっ、僕!? うーん、シロ・ノヴァは確かに厳しいけど。でも、リアムが言う兵とか物流がしっかりしてるから、誰も飢えてないんだ。王都の今の死んだような静けさよりは、ずっとマシだと思うかな」


「カイル様、貴方は本当に、お人好しというか、単純というか」


 セレーナがため息をつく。


「ええっ、セレーナまで!? でもさ、リアムがシロ・ノヴァでやってることって、結局はみんなのためでしょ? 僕だって、修行をつけてもらった恩はあるし」


「リアム様の修行のせいで、この前筋肉が悲鳴を上げているのに、脳が眠りを拒絶するって泣き言を言っていませんでしたこと?」


 アリシアが、少しだけ意地悪な笑みを浮かべてカイルを見た。


「それは、だって、リアムのトレーニング、効率的すぎて休みがないんだもん。アリシア様だって、リアムにお菓子作りは糖分補給の効率が悪いって言われて、ちょっとショック受けてたじゃないですか」


「そ、それは! あの方は、わたくしの健康を、いえ、わたくしという健康の維持を考えてくださっているのですわ」


「それを愛と呼ぶには、あまりにどうかと思いませんか」


 セレーナが、毒をたっぷり含んだ声でアリシアに畳みかける。


「あら、セレーナだって、リアム様に褒められた夜、こっそり一人で笑っているのを、わたくしは知っていますのよ?」


「ななななっ!? な、何をデタラメを」


 セレーナの頬が、わずかに引きつった。図星か。


「ふふ、愉快ね。リアム・ド・グラナード。貴方が連れているのは、聖女でもメイドでも勇者でもない。貴方という神に狂わされた、信者の集まりよ」


 マスターのカサンドラが、楽しそうに笑い声を上げている。


「戯言だ。俺が求めているのは信者ではない。俺の計画を、一ミリの狂いもなく遂行する歯車だ」


「主、その言葉。私にとっては、何よりも甘い響きです」


 セレーナが、狂気すら感じさせる深い礼をした。


「もうセレーナ、貴女はそうやってすぐにリアム様を甘やかす。わたくしは歯車ではなく、貴方の隣で光を放つ宝石でありたいのですわ」


「アリシア様、宝石は動けません。主の歩みに追いつけないものは、淘汰されます」


「淘汰なんてさせませんわ。リアム様、シロ・ノヴァの物流網に、わたくしの実家のローゼンブルク家の商会も加えさせます。もっと、もっと効率を上げられますわよ」


「ほう。アリシアのその提案は、合理的だ。検討しよう」


「検討、してくださるのですか!? ああ、リアム様!」


 アリシアが感極まって、俺の手を握りしめようとする。


「主。アリシア様の手が、不必要に近いです。切除しますか?」


「セレーナ! 貴女、最近殺気が隠せていませんわよ」


「隠す必要がなくなっただけです。主が、私の暗殺術の価値を認めてくださったあの日から」


 セレーナとアリシアの間に、物理的な火花が散りそうなほどの視線が交差した。


「あはは。なんだか、王都の魔物より、この二人の喧嘩の方がよっぽど怖いよ」


 カイルが、乾いた笑いを浮かべて聖剣の鞘を撫でた。


「無駄話は終わりだ。王都の地下通路の最新マッピングデータを出してくれ。ベルフェゴールの本体がいる座標を確定させる」


「ええ、準備はできているわ。ただし、リアム。眠りながらにして、貴方の一番嫌いなものを現実に変えてくる。覚悟はできているかしら?」


「俺の嫌いなもの、か。非効率、それとも豚公爵だった頃の過去か。どちらにせよ、俺の演算の範囲内だ」


 俺は立ち上がり、シロ・ノヴァの発展を記した精密な地図を広げた。王都の攻略は、即ち、シロ・ノヴァという俺の理想郷を完成させるために確保に過ぎないな。

 不眠の王都で、ギルドマスターとの取引は終わった。

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