92
第92話 砂時計の崩壊
ガキィィィィン!!
俺の手のひらから放たれた強制活性サウナの術式と、ドロセルが抱える砂時計のガラス面が激突し、火花を散らす。
時計塔の最上階は、俺が持ち込んだ熱気と、奴が放つ停滞がぶつかり合い、空間そのものが、いい戦いになった。
「りっ、リアム様! ガラスがびくともしませんわ」
アリシアが杖を突き出し、光の流れを注ぎ込みながら叫ぶ。
「当然だ。その砂時計は、この王都の全住民が抱くもっと寝ていたいという欲望の結集。並大抵の破壊衝動では、ひび一つ入らん」
「主、それなら破壊ではなく飽和はどうでしょうか。私が影のクサビを砂の一粒一粒に打ち込み、無理やり時を動かします」
セレーナが短刀を逆手に持ち、影を砂時計の内部へと浸食させながら、アリシアに視線を送った。
「アリシア様、私の影を貴女の光で加熱してください。膨張した影が、内部からこのムカつく時間を食い破ります」
「なんですの、その強引な手法。でも、悪くありませんわね。セレーナ、貴女の影、今は少しだけ頼りになりますわよ」
「お褒めに預かり光栄です。さあ、早く。カイン様が、あそこで限界を迎えそうですから」
二人の視線の先では、カインがドロセルの振り回す巨大なクッション状のモーニングスターを受け止め、今にも崩れ落ちそうになっていた。頑張れカイン。俺は応援しているからな。
「はぁ、はぁ! ちょっと二人とも、余裕しゃくしゃくで喋ってないで、早くしてよ! この敵、殴っても殴ってもふわふわしてて、攻撃が全部吸い込まれるんだ!」
「カイン様、勇者なのですから、それくらい気合で耐えなさいな。いいですか、リアム様が一番効率的な解を導き出している最中ですのよ。貴方は、そのための時間を稼ぐ砂時計の重石になりなさい」
「重石ってひどいよアリシア! 僕、一応これでも伝説の聖剣の持ち主なんだよ!?」
「カイン、無駄口を叩く余裕があるなら、その聖剣を振動させてください。音が、奴を削ります」
セレーナが冷たく指示を飛ばすと、カインは半泣きで叫んだ。
「もうやってるよ! さっきからずっとジリリリリ!!って目覚まし時計みたいな音、鳴らしっぱなしだよ! 僕の耳の方が先にバカになりそうなんだから!」
「ふふ、カイン様。貴方のその、余裕のない顔、主の横にいると、とても映えますわね」
「アリシア様、雑談はやめましょう。主、準備が整いました。行きます」
俺は、三人の掛け合いを片耳で聞きながら、ドロセルの動きを注視していた。
原作でのドロセルは、砂時計が半分を切ると記憶の逆行を発動させ、プレイヤーを初期レベルまで弱体化させるギミックを持っていた。
それはあくまで記憶を拠り所にしているからだ。
「今の俺たちの精神は、連結によって並列化されている。一人の記憶を書き換えても、残りの三人が正しい現実を再定義すれば無効化できる」
俺は共有意識を通じて、三人に命令を下す。
「アリシア、セレーナ。今から奴が過去の幻影を見せてくる。それはただの低質なデータだ。互いの声を、今のこの暑苦しい現実だけを信じよう」
「過去の幻影、ですか? あら、わたくし、リアム様に出会う前の退屈な日々なんて、一秒たりとも思い出したくありませんわ」
「私もです。暗い地下
室の記憶など、主の放つ光の前では、霧よりももろいのです」
「二人とも、かっこいいこと言ってるけど、僕にはお母さんの手作りパイの匂いがうぅ、負けないぞ!」
「カイン様、食べ物に釣られないでください。情けないです」
ドロセルが砂時計を大きく振りかぶった。
瞬間に、塔の内部がセピア色の光に包まれ、時間が逆流を始める。
「こっ、これは!? わたくしが、王宮で一人、誰にも理解されずにいた頃の」
アリシアの動きが止まりかける。
「アリシア様、偽物です。今の貴女には、主から授かった熱い魔力』があるはずです」
セレーナがアリシアの肩を強く掴み、影の氷結を彼女の肌に走らせた。
その痛みで、アリシアの瞳に再び鋭い光が宿る。
「しっ、失礼いたしましたわ、セレーナ。そうでしたわね。わたくしを導いてくださるあの方は、あんなに冷たくて、あんなに正しい」
「ええ。だから、私たちは立ち止まれません。アリシア様、合わせますよ」
「行きなさいな、セレーナ。光よ、影を、そして停滞した時を焼き尽くせ!!」
アリシアの全魔力を込めた極光が、セレーナの影と混ざり合い、一本の巨大な杭となって砂時計の中央を貫いた。
パリンッ!!
王都の時間を縛り付けていた砂時計が、ついに粉々に砕け散った。
「あ、あぁ。時が、流れてしまう」
ドロセルが、崩壊する砂時計と共に、ゆっくりと蒸気となって消えていく。
同時に、塔の窓から見える王都の空が、黄金色から、本来の青さを取り戻し始めた。
「やった、のかな? あー、疲れた。地面、もうマシュマロじゃないよね?」
カインがその場に座り込み、恐る恐る床を叩く。石の硬い感触が返ってきたことに、彼は心底安心したようだな。強敵というか、俺の苦手な戦いだった。
「お疲れ様です、カイン様。貴方の騒音、意外と役に立ちましたわよ」
「本当!? アリシア、今、僕のこと褒めた?」
「空耳ですわ。それよりセレーナ、貴女、さっきわたくしの肩を掴んだ時、少しだけ手が震えていませんでした?」
アリシアが、勝ち誇ったような笑みでセレーナを覗き込む。
「気のせいです。凍気の術式を使っていたので、物理的に冷えていただけです」
「ふふ、素直じゃありませんわね。でも、貴女が隣にいてくれて、助かりましたわ」
「それはこちらの台詞です、アリシア様」
二人は、互いに顔を背けながらも、どこか満足げな様子で立ち上がった。
俺はシロの頭を撫でながら、静かに告げる。
「喜ぶのはまだ早い。時計塔の封印が解けたということは、この真下で眠る主が、そろそろ寝返りを打つ頃合いだ」
地底から、王都全体を揺らすような、巨大な地鳴りが響いた。
世界で最も甘い、最も恐ろしいアクビの音だった。
「さあ。二度寝を阻止する最終段階だ。準備はいいか?」
「「「御意!!(もちろんだよ!)」」」
不眠不休の戦いは、ついに本番を迎えようとしていた。




