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第91話 灼熱の時計塔
王都の空気は、もはや癒やしの場ではない。
俺が放った強制沸騰により、マシュマロだった地面は熱せられ、街全体が巨大な蒸し器と化していた。
結晶化した一本の道を、俺たちは時計塔に向けて疾走する。
「あっちちちっ! ちょっとリアム、この道、表面温度が尋常じゃないよ! 僕のブーツの底が溶け始めてる気がするんだけど!?」
先頭を走るカインが、飛び跳ねるようなステップで叫ぶ。熱くても我慢だぞ。
「甘えるな、カイン。止まれば焼ける。走り続ければ、風が多少は冷やしてくれるはずだ」
「風なんて熱風じゃんか! アリシア、君の魔法でなんとかならないの!?」
「無理を仰らないでくださいまし、カイン様。わたくしは今、リアム様の命令で街全体の空気をかき混ぜるのに必死なんですのよ。ほら、右から夢食いの群れが来ますわ。斬りなさいな」
アリシアが杖で熱風を操り、迫りくる羊の形をした霧を吹き飛ばす。
「ええい、もう! 光輝の連撃! よし、倒した! けど、倒した端から蒸気になって消えるから、手応えが全然ないよ!」
「カイン、集中してください。敵は物理的な実体ではなく、ベルフェゴールの怠惰そのものです。斬るのではなく、貴方の勇者としての騒がしい熱量を叩き込むのです」
暗殺メイドのセレーナが影の刃を振るいながら、カインの背後をカバーする。
「セレーナまでリアムみたいなこと言わないでよ! あ、でも、確かに僕が騒ぐと、羊たちがちょっと嫌そうな顔をして消えていく気がする」
「その通りです。貴方の無鉄砲な元気こそが、この静けさの領域においては最大の猛毒なのですわ。もっと叫びなさいな、カイン様」
「無鉄砲ってひどくない!? わぁぁぁ! 起きろぉぉ! 仕事しろぉぉ!!」
カインの絶叫が蒸気の渦に響き渡る。
俺はその後方で、原作知識を脳内で展開していた。
時計塔の内部。あそこにはドロセルの核である永劫の砂時計がある。あれを破壊しない限り、この王都の時間はベルフェゴールの都合の良い夢ままだ。
時計塔の入り口にたどり着いた瞬間、巨大な象牙の扉が俺たちを拒むように閉ざされた。
俺はシロを旋回させ、後方の二人に指示を出す。封印を解くのが先か。
「アリシア、セレーナ。扉の封印を解こう。俺が上空から魔力圧で奴の意識を逸らす。五秒だ」
「「承知いたしました(わ)!」」
二人は扉の前に着地し、互いの背中を合わせるように構えた。
「セレーナ。貴女、先ほどのカイン様へのアドバイス、少しだけ楽しんでいませんでした?」
「何のことでしょうか、アリシア様。私はただ、主の戦術を効率的に遂行しただけです」
セレーナが冷たく言い放ちながら、扉の影に潜む魔力回路を指先で探る。
「嘘をおっしゃい。貴女、カイン様が困っているのを見るのが、意外と好きでしょう? まあ、わたくしも人のことは言えませんけれど。リアム様に振り回されているあの姿、どこか安心しますもの」
「否定はしません。主の隣にいるのが私たちだけでは、空気が重くなりすぎますから。あの騒がしいカイルは、緩衝材として優秀です」
「ふふ、意外と気が合いますわね。さあ、回路を見つけましたわよ。わたくしが表層の術式を焼き切ります。貴女は中身を断絶してくださいな」
「了解。今です」
アリシアの光と、セレーナの影が一点に重なる。
パリンッ! と、錠前が砕け散り、巨大な扉がゆっくりと口を開けた。
「開いた! さすが二人ともって、中、暗っ! しかもなんか、ラベンダーの香りがすごいきつくなってきたよ」
カインが真っ先に飛び込むが、塔の内部に漂う濃厚な誘眠香に足をもたつかせる。
「カイン、止まるなと言ったはずだ。そこはベルフェゴールの寝室に最も近い場所だぞ」
俺が上空から声をかけると、カインはよろよろと壁にもたれかかった。
「リアム、なんか、急に身体が重くて。この匂い、お母さんの洗濯物の匂いがする」
「カイン様、毒ですわ、それは毒ですわよ、目を開けなさいな」
アリシアが駆け寄り、カインの頬を全力で引っ張る。
「い、痛い! 痛いよアリシア! お母さんはこんなに力一杯頬を抓ったりしないよ!」
「目覚めたようですね。カイン、貴方の脳はベルフェゴールの魔力によって最も幸福な記憶を再生させられています。それを拒絶するのは、貴方の意志の強さ次第です」
セレーナがカインの腕に、氷の魔力で作った小さな針を刺した。
「ひぎゃっ!? つ、冷たい! ああ、もう! 分かったよ、幸せな夢は、魔王を倒してから見るよ! 今はリアムの厳しい顔の方が、現実に引き戻してくれる気がする」
「光栄だな。さあ、最上階だ。ドロセルが砂時計を守っている」
俺たちは螺旋階段を一気に駆け上がる。
原作では、ここでドロセルが時間の逆行を使ってプレイヤーの戦術をリセットしてくる難所だ。今の俺には、それに対抗するための並列演算がある。
「ドロセルの停止が一秒なら、俺は一秒の中に十秒分の未来を演算して叩き込む。時間軸は、お前のような怠け者のそれとは違うんだよ」
きわどい戦いになりそうだな。原作でも難所の展開だったのは懐かしいが。最上階の扉を蹴破ると、そこには巨大な砂時計を抱いたドロセルが、静かに宙に浮いていた。
「来たか。不眠の亡者たちよ。時は止まり、すべては永劫の安らぎへ」
ドロセルが砂時計をひっくり返そうとする。
「カイン、アリシア、セレーナ! 同時に仕掛けよう。奴にひっくり返す暇を与えないことだ」
「「「おおぉぉぉぉ(ですわ)!!」」」
三人の攻撃が、灼熱の蒸気と共にドロセルへと収束する。
怠惰のベルフェゴール本人が目覚めさせない。
俺はそのわずかな時間すらも管理下に置かせてもらう。
「さあ、仕事の時間だ、ドロセル」
シロを急降下させ、右手に構築した強制活性の魔導術式を、砂時計のガラス面へと叩きつけた。




