90
第90話 王都・ゆりかご化事件
戦場とは、本来、鉄と血が混じり合う硬質な空間を指す。
現在俺たちが立っている王都中央広場は、それとは真逆の性質へと変質していた。
石畳はマシュマロのように弾力性を持ち、周囲の石造りの建物は高級ソファのごとく、もたれかかった者を底なしの眠りへと誘う。世界が、物理的に柔らかくなっていた。
「ちょっと、リアム様! 助けてくださいませ! 足が、足が地面に吸い込まれて抜けませんわ!」
アリシアが情けない声を上げながら、膝まで地面だったものに埋まっている。
「主、影の殺意が消えていきます。影そのものが、毛布のようにふかふかとして、敵を切り裂くどころか優しく包み込んでしまうのです」
セレーナも、影の中から這い出す動作がどこか緩やかだな。
「あははもうダメだよリアム。見てよこれ、聖剣ガラティーンが、地面に刺さったまま、すやすやって寝息を立ててるんだ。僕も、このまま横になっちゃいたい」
カインにいたっては、マシュマロ化した地面に大の字になって、すでに意識が半分飛んでいる。
「しっかりしろ。これはベルフェゴールの領域だ。奴は眠りながら、無意識のうちに世界の硬度を自分の眠りに適した環境へ書き換えている」
俺はシロの背の上で、冷ややかに周囲を観察した。
原作知識によれば、ベルフェゴールの怠惰が進行すると、物理的な防御力や攻撃力は意味をなさなくなる。なぜなら、戦うための摩擦そのものが消失するからだ。
「リアム様、冷静に解説している場合ではありません。んっ、この地面、意外といえ、ものすごく寝心地がよろしいですわね。わたくし、王家の誇りにかけて、五分だけ、五分だけ意識を」
「アリシア様、いけません。その五分は永遠になります。主、何か、物理法則を再起動させる手立ては」
セレーナが必死にアリシアの頬を叩いている。
「フン。柔らかいのが問題なら熱運動を加速させてやればいい。温度を上げれば物質は安定を欠き、眠りどころではなくなるからな」
「温度、ですか? まさか、王都を火の海に?」
「いや。サウナだ」
「「「はい?」」」
三人の声が重なった。驚かせたかな。
「全域、魔力摩擦係数を最大に。強制沸騰サウナ」
俺が指をパチンと鳴らす。
その瞬間、マシュマロのように柔らかかった地面から、シュゥゥゥと真っ白な蒸気が噴き出した。
「あちちちっ!? なんですのこれ。地面が猛烈に熱いですわ」
「わわっ! 眠気が一瞬で飛んだよ。熱い。リアム、お尻が焼ける」
カインが跳ね起き、タップダンスを踊るように足を交互に動かし始めた。軽快な動きだな。
「主。蒸気で視界が最悪です。ですが、確かに、この熱気の中で眠るのは不可能です」
「だろう? さて、アリシアは、この蒸気をさらに魔力で熱風に変えて、街全体を循環させてくれ。セレーナは影を冷却シート代わりに使って、領民たちの頭だけを冷やして回ろう。熱中症で死なれては、管理効率が落ちるからな」
「この極限状態でも、管理効率の話をなさるのですわね。分かりましたわ。やってやろうじゃありませんの。燃えろ、わたくしの魔力」
アリシアが杖を振り回し、熱風を王都全域へと送り込む。
カインは、熱い地面に触れないように、必死で跳ね回りながら夢幻の騎士たちを殴り始めた。
「ほらっ起きろ騎士団。サウナの時間だぞ、僕と一緒に、いい汗をかこうじゃないか!」
「カインのその前向きな空気が、一番の武器かもしれないな」
俺の言葉に、カインは泣きそうな顔で叫んだ。
「全然前向きじゃないよ、必死なんだよ。止まったら火傷するんだもん」
「主。ドロセルが、この熱気に苛立ちを見せています。微睡みの王の安眠を妨げる騒音と熱。これこそが、奴の最も嫌うものです」
セレーナが短刀を構え、蒸気の向こう側に潜む巨大な影を指し示した。
「ふぁ。暑苦しい。静かな眠りを」
ドロセルの声が響く。先ほどまでの絶対静止の力は、俺が引き起こした熱エネルギーの乱舞によって相殺されていた。戦いにくい相手だな。
「リアム様、あそこの時計塔の影に、ドロセルの核が見えますわ。ですが、あそこまで行くには、このマシュマロいえ、溶けたキャラメル状の地面を突破しなければなりませんわよ!」
「アリシア、安心しろ。カイルが道になるから大丈夫さ」
「えっ!? 僕、今度は道なの!? 人道!?」
「カイルの聖剣に俺の魔力を流し込む。それを地面に突き立てて、熱を一点に集約させよう。瞬間的に地面を硬化させ、一本のブリッジを作るんだ」
「無茶苦茶だよリアム! でもやるしかないんだね!」
カインが叫びながら、熱い地面に聖剣を突き立てる。
バキバキバキッ! と、蒸気が冷え固まり、時計塔へと続く一本の結晶の道が出来上がった。原作主人公なんだから、それくらいは頼むぞ。
「見事だ、カイン。アリシア、セレーナ、行くぞ。奴を叩き起こして、溜まったのをすべて吐き出させてやる」
「はい喜んで、主に付き従います」
「わたくしも、この暑さの落とし前、きっちりつけて差し上げますわ」
俺たちは、蒸気が渦巻く王都を駆け抜けた。
怠惰のベルフェゴールよ。
お前のゆりかごは俺の手によって灼熱の強制労働所へと書き換えられた。
二度寝など、万に一つも許すつもりはないからな。




