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第86話 不眠不休の都市建設
開拓とは、すなわち意思の物理的な証明である。現在はシロ・ノヴァを包囲しているのは、鉄の軍勢でも火の海でもない。
ただそこに在るだけで魂の張りを奪い、向上心を甘ったるいシロップに書き換えてしまう、見えない安らぎだった。
俺が打ち立てた強制覚醒摩天楼から放たれる青い光が、領地の空を昼間よりも強く照らしている。光の範囲内だけは、ベルフェゴールの呪いである、怠惰の霧が入り込む余地はないだろう。
代わりに、住人たちは二十四時間体制でやることを見つけ続けなければならないという、ある種の強迫観念に突き動かされていた。
「さて。次の区画の下水配管を済ませるか」
俺は設計図を宙に浮かせ、次の工程を練り始めた。背後では、三人の仲間たちがそれぞれの戦いを繰り広げている。
新築されたばかりの領主館、テラスで、アリシアとセレーナは膨大な量の魔導書類を仕分けていた。
覚醒結界の影響で目は冴え渡っているが、精神的な疲労は着実に蓄積している。そんな極限状態の中で、二人の会話はどこか危うい感じに。
「ねえ、セレーナ。わたくし、最近リアム様が、以前にも増して人道という言葉をどこかに置き忘れてきたのではないかと不安になりますの」
アリシアが、羽ペンを剣のように握りしめて言う。
「アリシア様。主にとっての人道とは、死なない程度に効率を最大化することだと推察されます。事実、数日で王都が一年かけて行う工事を完遂しました」
セレーナは影から新しい書類の束を取り出し、流れるような手つきでスタンプを押していく。
「それは分かっていますわ。でも見てくださいな、カイン様の顔。昨日から穴を掘っては埋めるという、リアム様の課した無意味な労働による精神鍛錬のせいで、瞳から光が消えていましてよ」
「主曰く、無為に耐えられない精神こそが怠惰を打ち破るとのこと。アリシア様、私たちも他人事ではありません。書類が終わらなければ、次は全領民の戸籍の写しを素手で模写するという作業が待っています」
アリシアの背筋に氷が走った。
「やりますわ。全力でやりますわよ。セレーナ、右側の束をこちらへ。わたくしの暗黒魔法で、文字入力を高速化させます」
「賢明な判断です。主の愛は、時に深すぎて窒息しますから」
一方、領地の外縁部。
巨大な排水溝の底で、泥にまみれたカインが空を見つめていた。そこへ、差し入れの魔力が充填された超苦いお茶を持ったアリシアが通りかかる。
「カイン様。生きていらっしゃいますか?」
「あ、アリシア。見てよ、この溝。さっきリアムが来てさ、角度が一ミリ狂っている。魂の乱れだ。掘り直せって言って、埋めていったんだ」
カインの手には、バルガンが打った伝説の聖剣ガラティーンが握られている。聖剣は魔王を切るためではなく、泥をすくうシャベルとして酷使されていた。
「あら、一ミリ。リアム様らしい精密さですわね。でもカイン様、嘆いてはいけませんわ。あの方の結界のおかげで、わたくしたちは怠惰に飲み込まれずに済んでいるのですから」
「分かってる、分かってるけどさ。ベルゼブブの時の方がまだ楽だったよ。あの時は戦えば終わったけど、これは終わらないんだ。リアムは僕を勇者じゃなくて、全自動掘削機だと思ってるんだ」
「ふふ、あながち間違いではありませんわね。でも、カイン様。貴方がそうして泥にまみれているおかげで、王都から逃げてきた人々は、温かいお湯に浸かれるのですわ。頑張りなさいな、ヒーロー?」
「アリシア、目が笑ってないよ。君もリアムに毒されてるよ」
夜といっても覚醒結界で真昼のように明るいがになり、カインがようやく、一時間の仮眠を許された。
彼が資材置き場の隅で項垂れていると、影の中からセレーナが音もなく現れた。
「カイン。主からの伝言です。寝言を言っている暇があるなら、筋肉に酸素を送るイメージを固定しろとのこと」
「セレーナ。君、リアムの影として、ずっと彼を見てるんだよね? 彼、いつ寝てるの?」
「主は三日前から、脳を左右交互に眠らせる特殊な魔導術式を自らにかけています。理論上、彼は死ぬまで活動を止めません」
カインは顔を覆った。
「化け物だ。やっぱりあの人、人間じゃないよ」
「ですが、カイン。主がこれほどまでに急いでいるのは、霧の向こうで膨らみ続ける怠惰の魔力に危機感を抱いているからです。貴方が穴を掘るのが、領地の結界を強固にする礎になっているのは事実です」
「セレーナがそう言うと、なんだか本当に意味があることに思えてくるから不思議だね。でもさ、影の中にいる君だって、本当は眠いんでしょ?」
セレーナの指先が、わずかに震えた。
「影の底は冷たく、静かです。主がいなければ、私は今頃、永遠の微睡みに沈んでいたでしょう。だから私は冷酷なまでの輝きに付き従うと決めたのです」
「そっか。じゃあ、僕ももうちょっとだけ、スコップを振るかな。聖剣に泥の匂いがするなって呆れられてる気がするけど」
「その意気です。あ、カイン。主が戻ってきました。角度がまだ一・二秒ずれているそうです」
「ひぎゃああああああ!!」
俺は、摩天楼の頂上から活気に満ちた殺気にも似た領地を見下ろした。
アリシアが書類を焼き、カインが泥を跳ね上げ、セレーナが影を走らせる。
ベルフェゴールの術式は、何もしないことの多幸感を餌にする。
対する俺の術式は常に何かを成し遂げているという強制的な達成感を餌にする。
毒を以て毒を制す。不眠不休こそが、世界を救う唯一の劇薬になると思う。
「シロ。準備はいいか」
「ワンッ!」
シロが翼を広げ、領地の北側、黄金の霧が最も濃く溜まっている場所を睨みつけた。怠惰のベルフェゴール。
まだ、玉座の上で欠伸を噛み殺しているつもりだろうが。まどろんでいる間に、俺は土地を、牙が通らない鋼の精神を持つ不夜城へと書き換えてやった。
「さあ、夜明けは近い。誰も眠らぬ、残酷なまでに輝かしい朝がな」
俺は不敵な笑みを浮かべ、次なる建設命令、二十四時間営業の巨大噴水広場の錬成術式を起動させた。




