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第83話 不夜城
幸せとは、時に暴力よりもタチが悪い。腹を空かせた化け物が襲ってくれば、人は剣を抜く。極上の羽毛布団が一生そのまま眠らせてやると言ってきたら、抵抗できる人間がどれほどいるだろうか。
俺が新領地シロ・ノヴァの、ど真ん中に温泉をぶち抜き、聖剣モデルの魔導摩天楼の骨組みをぶっ立ててから数日がたった。
現場の空気は、戦場よりも深刻な停滞に包まれていた。
「リアム様ぁ。あそこのネジ、締めた方がよろしいかしら? それとも、明日でもよろしいかしらぁ。ふわぁ」
アリシアが、王家秘伝の魔導杖を掃除のハタキみたいにブラブラさせながら、生温い風に吹かれている。
瞳の焦点は定まっておらず、唇からはやる気という名の魂が、薄桃色の蒸気になって漏れ出しているようだった。
「だめだ。今やれ、アリシア。明日やろうは絶対にやらないよ」
「リアム様、厳しすぎますわ。この日差し、この温泉の湯気。もう、世界なんて救わなくてよろしいんじゃなくて?」
隣ではカインが、鍛冶師バルガンの聖剣ガラティーンをまくらにして、よだれを垂らしながら更地のど真ん中で大の字になっていた。
「むにゃリアムもう、魔王とかいいよ。僕は羊さんを数える仕事に転職するんだ」
これだ。これが怠惰のベルフェゴールが放つ、目に見えない精神汚染。恐怖を押し付けるのではなく、生存本能そのものを安らぎという名のロープで首を絞めていく卑劣な攻め方。
「ワン、クゥ」
極めつけはシロだ。神獣であるはずのコイツが、自分自身のふかふかの尻尾を抱きしめて、完全に駄犬と化してスヤスヤ眠っている。
秘銀ミスリルの翼甲が重たそうに地面にこすれ、黄金の輝きがどんよりと曇っている始末。
「セレーナはどうだ。まだ起きているか」
俺が背後の影に声をかけると、数秒の沈黙のあと、泥の中から這い出すような速度で姿を現した。
「は、はい。主。ですが、影の底が、まるで温水プールのような心地よさで。あと五分だけ、暗殺を延期しても」
「どいつもこいつも、非効率の極みだな」
暗殺メイドのセレーナでもこれか。俺はカクテルグラスに入った冷たいミネラルウォーターを飲み干し、氷をガリリと噛み砕いた。
俺の管理者の権能は、周囲の精神干渉を弾き続けているが、仲間のこの惨状は無視できない。
都市建設が遅れる。それは、計画が狂うことを意味する。
「よし。優しさが敵なら、こちらは刺激で対抗するまでだ」
俺は、昨日打ち立てたばかりの魔導摩天楼の芯柱の前に立った。高さ百メートルを超える鋼鉄の柱。そこに、俺は手のひらを押し当てる。
「全回路、接続。出力は三〇%。属性は氷結および強迫観念にする」
俺の魔力が、冷たい蒼い光となって柱の表面を走り、刻まれた魔導文字を一つずつ起動させていく。
不夜城の灯火。
俺が開発した、領地全域をカバーする強制覚醒結界のこと。
キィィィィィィィン!!
高周波の音が空気を震わせた。その瞬間、摩天楼の頂上から、目に痛いほどの真っ青な光が放射状に放たれ、更地全体を包み込んだ。
「ひぎゃあああぁぁぁっ!? つ、冷たい! 耳元でリアム様が説教してる声が聞こえますわぁぁ!!」
アリシアが飛び上がった。結界の魔力に触れたことで、彼女の脳内に締め切り厳守という俺の思考がダイレクトに叩き込まれたのだ。
「うわぁっ! 痛い痛い! 聖剣が僕のケツを叩いてくる!?」
カインも跳ね起きた。枕にしていた聖剣が、俺の遠隔操作によってバイブレーション機能を搭載したかのように振動し、彼の眠りを物理的に粉砕したのである。
「ワンッ!? ワンワンッ!」
シロも、冷たい風に翼を叩かれて目を開いた。
「よし、起きたな。これぞ管理者の技術。名付けて鬼監督だ」
「主。今、非常に不吉な名称が聞こえましたが。おかげで、眠気が、恐怖に塗り替えられました」
セレーナが、震えながら影の中でシャキッと背筋を伸ばす。
「いいか。この領地に一歩でも足を踏み入れた者は、俺の魔力が尽きるまで、眠ることも、サボることも許されない。ベルフェゴールの安らぎと、俺の鬼監督。どちらが強いか、試してみようじゃないか」
仲間たちが強制的に覚醒状態、というかパニック状態にあるうちに、俺は一気に建設を進めることにした。
「カイン、アリシア。そこにある魔導石材を、摩天楼の周囲に円状に配置しろ。遅れたら、結界の冷気レベルを一段階上げるぞ」
「わ、分かったよ! やればいいんだろ、やれば!」
「リアム様が、鬼畜の権化に見えますわ!」
文句を言いながらも、二人は全速力で動き始めた。更地の地下に張り巡らせた魔力パイプに意識を集中させる。
昨日の温泉は単なる入浴施設ではない。あれは、地熱を魔導エネルギーへと変換する、巨大な発電設備の心臓部だ。
「もっと加速する。温泉の蒸気を地熱設備へと誘導しよう」
地底から湧き上がる熱エネルギーが、俺の設計した変換回路を通り、純粋な魔力へと姿を変える。摩天楼の柱を通って地上に溢れ出し、あらかじめ配置していた自律魔導ゴーレムに命を吹き込んだ。
ガガガガ、ズズズ!
更地のあちこちで、重厚な石材がひとりでに積み上がり、舗装路が勝手に伸びていく。脳内にある都市図面が、現実の空間に複写されていくような感覚。
本来なら数千人の石工労働者が数年かけてやる作業を、俺の膨大な魔力と、ベルフェゴールの眠気を逆手に取った集中力が、秒単位で終わらせていく。
「すごいですわ。昨日までただの更地だったのに、もう王都の大通りにそっくりな街並みが」
アリシアが呆然としながら、出来立ての石畳に足を乗せた。俺は追い打ちをかけるように魔法を放つ。
「永久ランプを点灯」
パッ、パッ、パッ! と。
完成したばかりの街灯が、一斉に青白い光を放った。太陽がまだ高いというのに、光は太陽よりも鋭く、影を許さない。
この光を浴びている限り、人は生物的な眠気から切り離されるだろう。
「さあ、ここが俺の領地、不夜城シロ・ノヴァの第ニブロックだ。ベルフェゴールの支配する眠れる王国の隣に、二十四時間年中無休の不眠の要塞を建ててやったぞ。文句があるなら、直接寝坊助なツラを見せに来い」
忍び寄る怠惰に向かって俺は言い放つ。都市の骨組みができあがり、ようやく街としての形が見えてきた頃。
ふと、北の空を見上げた。俺の青い結界の光とは対極的な、黄金色のかすみが漂っていた。
「主。見てください。王都の方角から、避難民がやってきます」
セレーナが遠くを指差した。避難と呼ぶにはあまりにも異様だった。やってくる人々は、必死に逃げているのではない。
ゾンビのようにふらふらと、あるいは寝ぼけたような足取りで、吸い寄せられるようにこの新領地へと向かってきている。
「あ、暖かい。あっちに行けば、もっと、眠れる」
「仕事、なんて、もういい。王様も、みんな、寝ているんだ」
彼らの言葉を聞いて、俺は眉をひそめた。王都が、すでに怠惰》の毒に完全に浸食されている。
「リアム。あのおじさんたち、目が笑ってる。怖いよ。ベルゼブブの時みたいに襲ってくる方が、まだマシだ」
カインが、聖剣を構えるべきか迷いながら後ずさりする。
「当然だ。奴らにとって、今の状態は最高に幸せなんだからな。アリシア、覚醒結界の出力を最大にしてくれ。幸せボケした奴らを、叩き起こしてやろう」
「承知いたしましたわ。わたくしも、なんだか怒りが眠気を上回ってきましたもの」
アリシアが強い勢いで杖を振り上げた。
俺の作った不夜城に、世界中から希望者たちが押し寄せてくる。
怠惰のベルフェゴールが世界を寝かしつけたいなら、俺は世界中を叩き起こしてやる。
管理者の辞書に、有給休暇の文字はない。俺は押し寄せる幸福な群衆を冷ややかに見据えながら、次なる強制労働魔法の構成を練り始めた。
「シロ、吠えろ。昼寝の時間は、永久に終了だ」
「ワンッ!!!!」
神獣の遠吠えが、甘ったるい霞を真っ向から切り裂いた。




