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第81話 規格外の整地作業
王都の騒がさから離れ、神獣シロの背に揺られる。馬車も一緒に移動させる。俺たちが辿り着いたのは、暴食のベルゼブブが大断層を開け、世界を飲み込もうとした傷跡。その周辺に広がる広大な不毛地帯だった。
国王から好きなだけ開拓してよいとされたその土地は、なるほど、国王が気前よく手放すわけだ。視界に入るのは、ベルゼブブの粘液によって変質した黒い岩塊と、地脈が乱れたことでねじ曲がった奇形の大樹、鋭く尖った断崖絶壁。土壌は酸性に傾きすぎて、雑草すら生えるのを拒んでいる。
「リアム様、ここを領地と呼ぶには、少々想像力が必要かもしれませんわね」
アリシアが馬車から降り、困ったように周囲を見渡した。彼女の足元で、乾燥した土がパサリと音を立てて崩れる。
「想像力? 違うな、アリシア。必要なのは破壊と再構築だな」
俺は地面に降り立ち、手袋を外して生温かい風を感じた。隣ではカインが聖剣の柄を握りしめ、やる気満々といった様子で鼻息を荒くしている。
「よし、リアム! 僕に任せてよ。この岩山、全部聖剣で叩き割って更地にしてあげるから! 毎日千個ずつ割れば、十年後には住めるようになるかな?」
「十年? 気の長い話が好きだな、カイン。俺なら十秒で終わらせる」
「えっ、十秒?」
原作主人公のカインがポカンと口を開ける。俺は彼を無視して、荒野の中央へと歩み出た。
今の俺の魔力量は、ベルゼブブ討伐を経て、以前の数倍いや、数十倍へと膨れ上がっている。大罪の魔核を取り込み、それを管理者の権能で己の血肉とした結果、俺という個体はすでに歩く魔力炉心と化していた。
「シロ、足場を固めてくれ。アリシア、カイン、少し下がっていていい。土埃で服が汚れるぞ」
みんなを下がらせて静かに精神を統一する。視界に映る景色を、目ではなく構造として捉える。
地層の深さ、岩石の密度、ねじ曲がった地脈の流れ。それらすべてが俺の脳内で数式へと変換されていく。
「管理者の権能:構造再構築。全域、平滑化」
俺が地面に掌を触れた瞬間、世界が一変した。
ドォォォォォォォォォン!!
地響きではない。それは、大地そのものが悲鳴を上げ、形を変える音だった。手のひらから放たれた極大の魔力が、地中数千メートルまで一気に浸透し、頑強な岩盤を分子レベルで粉砕していったのだ。
「な、なんですの!? 岩山が岩山が溶けていきますわ!」
アリシアが叫んだのも無理はない。彼女の目の前で、高さ五十メートルはあった黒い岩の峰が、まるで熱いコーヒーに落とした角砂糖のようにサラサラと崩れ、平らな地面へと吸い込まれていったのだから。
それだけではない。鋭く尖っていた断崖は滑らかな傾斜へと書き換えられ、ボコボコだったクレーターのような窪地は、地底から押し上げられた土砂によって完璧な水平面へと埋め立てられていく。
「ああ、あわわリアム、これ、やりすぎだよ! 地形が変わってる! 地図が役に立たなくなっちゃう!」
カインが必死にシロの足にしがみついて叫んでいる。俺の手は止まらない。
「不純物の排除、および土壌の再編。暴食の残りを食らえ、我が魔力」
さらに出力を上げた。大地に染み付いていたベルゼブブの汚染物質を、魔力が燃料として食らい尽くし、代わりに植物の成長に不可欠な栄養素——窒素、リン、カリウムといった成分へと変換し、土の中に強制的に浸透していく。
光の波紋が地平線の彼方まで広がり、黒ずんでいた大地は、数秒のうちに深みのある肥沃な黒土へと色を変えた。
「仕上げだ。シロ、滞った大気を洗え」
「ワンッ!!」
俺の合図とともに、シロが六枚の翼を大きく広げ、天空へと舞い上がった。鍛冶師バルガンから授かった秘銀ミスリルの翼甲が、太陽の光を反射して黄金色に輝く。
シロが咆遠吠えすると、大断層周辺を覆っていた重苦しい火山灰の雲が、巨大な竜巻となって巻き取られていった。
「神獣の息吹。大気循環、加速!」
シロが放った黄金の風が、不毛な荒野を吹き抜ける。腐敗したガスや硫黄の臭いは一瞬で彼方へと押し流され、代わりにどこからか花の種を含んだ、甘い風が流れ込んできた。
やがて、静寂けさが戻った。ほんの数分前まで地獄のような様相を呈していた荒野の姿はなかった。地平線の先まで続く、完璧なまでに水平な、黒土が広がる理想の大地。
「ふぅ。これで第一段階の下地作りは完了だな」
俺は実際には一滴もかいていないが、満足げに頷いた。
「リアム様。わたくし、今までリアム様を魔法の天才だと思っておりましたが。訂正いたしますわ」
アリシアが、夢遊病者のような足取りで近づいてくる。彼女は岩山があった場所を指差して、震える声で言った。
「貴方は世界の創造主か何かになろうとしていらっしゃいますの?」
「まさか。ただの公爵、リアム・ド・グラナードだ。俺の新たな領地が荒れ地だと、馬車が揺れて酔うだろう。効率を考えれば、平らなのが一番だ」
「効率って。あんな岩山を消し飛ばして、効率の一言で済ませるなんて」
カインが地面に膝をつき、ふかふかになった土を触っている。
「すごいよ、リアム。この土、僕の実家の最高級の畑より柔らかい。でも、これじゃ僕の出番、本当にないじゃないか」
「そんなことはないぞ、カイン。更地にした後は建設だ。セレーナ、例のものは届いているか?」
影の中から、セレーナが音もなく姿を現した。彼女の手には、王都から取り寄せた巨大な建築用資材の目録と、俺が設計した新都市計画図が握られている。
「はい、主。王都ギルド、およびバルガンの工房から、第一陣の魔導重機と石材が、間もなく転移門を通過します。しかし、主。この広大な土地すべてを、一度に都市にするおつもりですか?」
「中途半端に少しずつ作るのは時間の無駄だろう。ここに、王都をも凌ぐ物流と魔法の集積地を作る。名はシロ・ノヴァにする」
俺がそう宣言すると、シロが誇らしげに胸を張った。
本来、物語の節目は、新たな大罪である怠惰の足音に怯え、人々が徐々に活力を失っていくという湿っぽい展開になるはずだった。
原作の主人公カインなら、この荒れ地を前に途方に暮れ、仲間と共に泥にまみれながら、数ヶ月かけて一つの井戸を掘ったことだろう。俺は原作のシナリオライターが用意した苦労の美学なんてものには、一分たりとも付き合ってやるつもりはない。
「リアム様、見て、あそこ! 貴方が土壌を変えたせいで、もう芽が出てきていますわ」
アリシアが指差す先。俺の魔力が凝縮された土から、本来なら数週間かかるはずの発芽を数秒で終えた、青々とした若草が顔を出していた。呪われた大断層が生命の大地へと変わった瞬間だった。
「さあ、次は温泉の掘削と、摩天楼の基礎打ちだ。シロの寝床は一番景色のいい場所に作ってやるからな」
「ワンッ!!」
俺たちは、夕焼けに染まる広大な更地を眺めた。ここから始まるのは、破壊の物語ではない。圧倒的な魔力と技術で、世界をより良く書き換えていくとする。
俺がこれほどまでに活発に、効率的に生のエネルギーを爆発させているその一方で。世界を覆う眠気が発生しているかもな。怠惰のベルフェゴールが放つ、あらがいようのない甘い誘惑が、すぐそこまで、静かに忍び寄っているなら危険だ。
「まあ、眠たくなったら、その時はその時だ。俺の作った最高級のベッドで、せいぜい快眠させてやるよ」
俺は少し笑みを浮かべた。その日の夜。整備されたばかりの真っ新な大地に、俺たちは仮設のテントを張った。テントといっても、俺が魔力で作り出した結界付きの豪華な移動式住宅だ。
「リアム様、このお肉、とっても柔らかいですわ。先ほどシロちゃんが獲ってきた魔獣のものとは思えませんわね」
アリシアが、焚き火で焼かれたステーキを頬張る。
その肉も俺が構造解析で筋繊維を最適化し、焼き加減を完璧にコントロールしたものだ。
「リアム。君と一緒にいると、なんだか頑張るって言葉の意味が分からなくなってくるよ。全部君が解決しちゃうから、僕、ただのお客みたいだなあ」
カインが情けない顔でスープをすする。
「いいじゃないか、カインは、いざという時に剣を振るう最後の一撃であればいい。それまでは、俺の管理下で存分に平和を享受してれば」
「主、少し、静かすぎませんか?」
不意に、セレーナが言葉を挟んだ。彼女は、闇に溶ける自身の影をじっと見つめている。
「夜の静けさにしては、生き物の声がしません。先ほどまであれほど活発だった風も、今は止まり、大気が淀んでいるように感じます」
「気づいていたか、セレーナも」
俺はグラスの中のワインを揺らし、夜空を見上げた。その光はどこか、ぼんやりと霞んでいるように見えた。
「何かが、動いている。まるで、泣いている子供を無理やり寝かしつけるような、そんな不自然な優しさだ」
「え? そうかな? 僕は、なんだかすっごく気持ちよくて、今すぐにでも眠れそうだけどふわぁああ」
カインが大きな欠伸をした。カインだけではない。アリシアも、どこかトロンとした目で焚き火を見つめている。
「怠惰の影響か。やはり、動き出しているようだな。俺の領地開拓はまだ始まったばかりだ。邪魔をさせるつもりはないぞ」
俺は毒づきながら、眠りに落ちそうな仲間たちの周りに、強力な覚醒の結界を薄く張った。
戦いはまだ始まっていない。俺たちの目覚めをかけた戦いは、これからだ。
俺はシロの柔らかい毛を枕にしながら、手元の魔導書をめくった。明日、この更地に建てるべきは、どんな闇も入り込めない不夜城にしよう。
「おやすみ、みんな。明日も、忙しくなるぞ」
俺の独り言に答える者はなかった。




