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第78話 凱旋の美酒と、英雄たちの休息
大断層グラトニーを覆っていた肉の要塞は消え去り、そこには地脈から溢れ出した清浄な空気と、夜明けの柔らかな光だけが残された。
俺たちは、神獣シロの背に揺られながら、馬車とともにまずは我が領地の要塞都市シロ・フォートレスへと向かった。
眼下に広がるのは、俺がこの手で開拓し管理し、守り抜いてきた愛すべき領土だ。麦畑、煙突から細く上がる煙、そして何より、俺たちの帰還を待ちわびる人々の笑顔だった。
「ワンッ! ワンワンッ!」
シロが、故郷の匂いを感じ取って嬉しそうに吠える。
「あぁ、帰ってきましたのね。なんだか、何ヶ月も旅をしていたような気分ですわ」
アリシアが、シロの白い毛並みに顔を埋めながら安堵の息を漏らす。その隣では、カインがボロボロになった聖剣の鞘を愛おしそうに撫でていた。
要塞の城門が見えてくると、見張り塔から鐘の音が鳴り響いた。
「リアム様だ! リアム様と神獣様が帰還されたぞー!」
城門をくぐると、そこには領民たちが総出で集まっていた。凄いな。
「公爵様! お怪我はありませんか!」
「勇者様! ベルゼブブを追い払ってくれたんですってね!」
「シロちゃん、お帰りー! 美味しいお肉、用意してあるよ!」
熱狂的な歓迎の嵐。俺を冷酷な悪役令息として遠巻きに見ていた者たちの目は、今や濁りのない尊敬と親愛に満ちているようだ。
「ふん、相変わらず騒々しい。村長、鍛冶師バルガンを呼んで欲しい。それと、地下倉庫の一番奥にある、あの竜殺しのヴィンテージ酒を出しておくこと」
「は、はいっ! 公爵様、ただちに!」
俺は仲間たちと共に、要塞の中央ホールへと向かった。そこには、三日三晩不眠不休で武具を打ち上げ、泥のように眠っていたはずのドワーフ鍛冶師、バルガンが欠伸をしながら現れた。
鍛冶師との約束だからな。
「おう、公爵様。随分と派手な花火を打ち上げたじゃねぇか。ここまで振動が伝わってきたぜ」
バルガンは汚れた顔を拭いもせず、俺たちが携えた武器と防具を見た。
「バルガンの打った鋼は最高だった。聖剣ガラティーンは一度も折れなかったし、シロの翼は絶望の嵐を完璧に切り裂いたぞ」
俺の言葉に、バルガンは満足げに鼻を鳴らした。
「当たり前だ、誰が打ったと思ってやがる。で、約束のブツはどうした?」
「忘れるわけないだろう。来いよ、最高級の酒だ」
ホールの長机に、黄金色に輝く古酒のボトルが置かれる。蓋を開けた瞬間、芳醇な花の香りと、大地を思わせる力強い香気が広間に満ちた。
「おおおっ! こ、こいつは王家でも滅多に口にできねぇエルフの涙の原酒か!? 公爵様、あんた、どこでこんなもんを!」
「俺のコネクションを舐めるなよ。さあ、注ごう。今夜は身分の差などない。この勝利を、鋼と絆に捧げよう」
「ハッ! 違いねぇ! 乾杯だ!」
バルガンの野太い声が響き、宴が始まった。カインは領民の若者たちに囲まれ、ベルゼブブの口がこんなに大きくてさ、と身振り手振りで武勇伝を語っている。まあ、本当は大して活躍はないが、カインの顔を立ててやろう。アリシアとセレーナ、それにクラリスとフィオナは、女性陣だけで集まって、今回の戦いでの俺の過保護ぶりに花を咲かせているようだ。
「リアム様、本当に必死な顔でシロちゃんを抱きしめていらっしゃったのよ」
「主は、口では突き放しますが、行動が全て愛に溢れていますから」
聞こえてるぞ、まあ、今日くらいは好きに言わせておくか。
シロは特大のTボーンステーキを三枚、一瞬で平らげると、鍛冶師バルガンの膝の上で、バルガンは少し迷惑そうだが、幸せそうに喉を鳴らしている。
俺は、窓の外に広がる平和な領地の夜景を見ながら、一人静かに酒を飲むとしよう。
原作では、本来ならここは、飢餓によって荒廃した領地で、主人公カインが領民を見捨てて逃亡するシナリオもあったか。今ここにあるのは、誰も飢えることのない、笑い声に満ちた夜だな。
翌日、領地の安定を確認した俺たちはを王都へと向かった。ベルゼブブ討伐の報はすでに王都全土に広まっており、通りは祝祭のムードに包まれていた。俺が真っ先に向かったのは王城ではなく、冒険者ギルドの最奥にいるマスターのカサンドラの執務室だった。
「失礼するぞ、カサンドラ」
扉を開けると、そこには山のような書類を前に、一本の高級ワインを開けて待っているカサンドラの姿があった。
「遅かったじゃない、リアム。それとも、領地で可愛い女の子たちと祝杯を上げるのに忙しかったのかしら?」
カサンドラは妖艶な笑みを浮かべ、俺をソファへと促した。
「あいつらは騒がしすぎる。静かに飲める相手が必要だっただけだ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも、本当にお疲れ様。貴方がいなければ、この街は今頃、巨大な胃袋の一部になっていたわ」
カサンドラは、俺のグラスに深紅のワインを注いだ。
「カサンドラ。ギルドの被害はどうだ?」
「貴方が食糧庫を守り、亡霊騎士団を鎮めてくれたおかげで、死者はゼロよ。負傷者も、クラリス様の聖魔法で完治したわ。冒険者たちは、今頃みんな酒場で貴方の名前を叫びながら飲んでるわよ。氷の公爵が、俺たちの明日を繋いでくれたってね」
「氷の公爵、か。悪くない二つ名だな」
俺はワインを一口含んだ。渋みの中に広がる深い甘みが、連戦の疲れを溶かしていく。以前は豚の貴族と呼ばれたから、豚よりはましか。
「リアム。貴方はこれから、どうするつもり? ベルゼブブを退けたことで、他の七つの大罪たちも黙ってはいないわよ」
「分かっている。奴らは互いに喰らい合い、競い合う性質だ。暴食が倒された。強欲マモンと色欲のリリスと3人の大罪を討伐に成功。奥底に眠る傲慢の大罪もまだいるし、動くかもしれない」
俺はグラスを見つめ、原作の未来を読み解く。
「カサンドラ。ギルドの調査網を、南の帝国国境付近まで広げておいてくれ。異変があれば、すぐに俺に報告しへほしい」
カサンドラの目が、鋭いプロのそれに戻る。
「まだ4人も大罪は残っているからね」
カサンドラは俺のグラスを軽く鳴らした。
「そうだな。シロも、王都の最高級の肉を待っていることだろう」
ギルドを出ると、王都の夜空には祝福の花火が上がっていた。俺の隣には、いつの間にかアリシアとセレーナ、そしてカインが並んでいた。
「リアム様、カサンドラ様とは何をお話しされていましたの?」
アリシアが、少しだけ嫉妬深そうに俺の腕を覗き込んでくる。
「仕事の話だ。まだ飲み足りないのか?」
「もちろんだよ! さっき王都の若手冒険者たちに、リアム様によろしく伝えてくれってたくさん奢られちゃってさ。リアムも一緒に行こうよ」
カインが俺の背中を叩く。この勇者、いつの間にか俺への距離感が完全におかしくなっているぞ。
「主、私も、少しだけ羽目を外してみたい気分です。今夜は、影の中に隠れるのはお休みにします」
セレーナが、月光の下で微かに微笑んだ。俺はシロの頭を撫でた。シロは「もちろんだ!」と言うように、俺のズボンの裾を引っ張って、賑やかな大通りへと誘っている。激戦の後の、束の間の休息になった。原作では描かれなかった、英雄たちの日常ということか。これを守るために、俺は悪役から変わり、これからも運命を変えてやろう。俺が死ぬシナリオをこの世界は強引に持って行くだろうからな。
「分かった。ただし、俺の財布を空にするほど飲むなよ」
「やったー!」
「リアム様大好きですわ!」
「主、最高です」
笑い声と共に、俺たちは王都の騒ぎの中へと消えていった。




