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第77話:捕食要塞と、黄金の翼(後編)


 裂けた膜の向こう側、そこは大断層の底を無理やり作り替えた、肉と粘膜が脈打つ玉座の間だった。

 中央に座っているのは、前回戦った時よりもさらに肥大化し、下半身が地脈と完全に同化してしまった暴食のベルゼブブ。奴の周囲には、この世のものとは思えないほど濃厚な飢餓の魔力が渦巻いており、立っているだけで魂を削り取られるような錯覚に陥る。


「ああああああああ。懐かしい、匂いだ。鋼を、打ち、直して、来たか。それも隠し味、に、過ぎない」


 ベルゼブブの全身に並ぶ口が、一斉に不気味な笑みを浮かべた。


「リアム様、空気が重いですわ。まるで、世界そのものが私たちを飲み込もうとしているような」


 アリシアがアイギスの盾の背後に隠れながら、必死に闇の結界を維持している。バルガンの装備があるとはいえ、この領域の圧力は尋常ではない。


「主、影が消えかかっています。奴の存在そのものが、周囲の概念を喰らい尽くしている。このままでは、数分も持ちません」


 セレーナが影の中から膝をついた状態で報告する。彼女の影は、ベルゼブブが放つ強烈な吸引力によって、奴の足元へと吸い寄せられ、千切れそうになっていた。


「カイン、クラリスたちはアリシアを守ってくれ。シロは翼を広げること。これより、この領域の管理権を一時的に剥奪するぞ!」


 俺はシロの背に立ち、左手を高く掲げた。

 管理者の権能:環境固定。

 俺の魔力が黄金の波動となって広がり、ベルゼブブの吸引力と真っ向から衝突した。ギシギシと空間がきしむ音が響く。


「ほう。人間、風情が。私の、食事、を、邪魔するか!」


「食事の時間なら、さっき終わったはずだ。今から始まるのは、胃袋が破裂するまでの強制的に餌を与えるんだよ」


 俺はシロの翼甲から溢れ出す魔力を、一点に集中させた。


「いくよ、リアム! 勇者の進撃だああああああああああ!!」


 カインが新生した聖剣ガラティーンを手に、一直線にベルゼブブへと突っ込んだ。

 鍛冶師バルガンが施した秘銀の輝きが、奴の肉壁を容赦なく焼き裂いていく。


「ア、アァァァ!! 痛い。痛い、ぞ! 勇者の、光が!」


「受けてみろおおおおお!」


「クケケ。だが、食べた分だけ、私は、強くなる!!」


 切り裂かれた傷口から、新たな口が生まれ、カインの聖剣そのものを噛み砕こうと襲いかかる。


「カイン、深追いするな! クラリス、アイギスの光を最大に頼む。奴の感覚を麻痺させるんだ」


「はい! 聖域の福音です!!」


 クラリスが掲げた盾から、太陽のような白銀の光が放たれた。ベルゼブブの無数の瞳がその眩しさに焼かれ、一瞬だけ動きが止まる。


「今だ、セレーナ! 奴の地脈との連結を断ってくれ!」


「御意。影の処刑場です!」


 セレーナの影が、ベルゼブブの下半身である地脈から魔力を吸い上げている太い根のような触手へと、黒い大鎌となって振り下ろされた。

 バルガンの特殊な鋼を影に混ぜたことで、再生能力を無視した一撃が、奴の生命線を切断した。


「ガ、アァァァァァァァ!! 腹が、減った!! 地脈が、足りない!!」


 連結を絶たれたベルゼブブが狂ったように暴れ出し、要塞全体が崩壊を始めた。効いているな。


 ベルゼブブは、失われた地脈のエネルギーを補うべく、自分自身の要塞そのものを捕食し始めた。壁が、雑兵が、空気が、奴の体内に吸い込まれ、奴の体はさらに異様に膨れ上がっていく。


「リアム様! 奴の体内の魔力圧が限界を超えていますわ。このままでは、自爆してこの地方一帯を消し飛ばす気です」


 アリシアが悲鳴に近い声を上げる。


「自爆、か。最後まで行儀の悪い客だな。シロの秘銀の翼の真の力を見せてやれ」


「ワンッ!!」


 シロの翼が、鍛冶師バルガンの打った装甲と共鳴し、純白の光を放った。

 俺は管理者の権能:過負荷注入をシロの魔力に乗せた。


「ベルゼブブの胃袋は無限だと言ったな。それなら、この世界の質量そのものを、一瞬で飲み込めるか試してみろ」


 俺はシロの翼から、地脈そのものを黄金の粒子に変えて、ベルゼブブの口へと流し込んだ。破壊のエネルギーではなく、純粋すぎて消化しきれない、純度100%の生命魔力だ。


「お、おおお。なんだ、この。重い。腹が。はち切れる!!」


 ベルゼブブの巨体が、内側から黄金の光を漏らし、パンパンに膨れ上がっていく。奴の捕食は、あまりにも巨大すぎるエネルギーを吸い込んだことで、制御不能の拒絶へと反転したのだった。


「トドメだ、カインの聖剣で、その風穴を広げれば終わりだ!」


 カインの攻撃力は大きくないが、トドメはさせるかな。


「了解!! これが僕たちの、精一杯のご馳走様だ!! ガラティーン・ノヴァだあああああ!!」


 カインの渾身の一撃が、光り輝くベルゼブブの腹部を貫いた。

 黄金の爆発が、捕食要塞を内側から吹き飛ばした。

俺たちはシロの翼に守られ、爆風の中を空へと逃れた。

 下を見れば醜い肉の要塞は塵となって消え去り、大断層の底には、再び清浄な空気と、地脈から溢れ出した温泉の湯気が立ち上っていた。終わっかようだな。


「やった、のでしょうか?」


 アリシアが、シロの背の上で恐る恐る下を覗き込む。


「いや。まだだ。奴の本体は、まだ死んでいない」


 俺の言葉通り、湯気の中から、人の大きさほどになった、しかし全身が黄金の光で透き通ったベルゼブブの核が、ゆっくりと浮上してきた。

 奴はもはや、巨大な怪物ではない。ただの、飢えた幼子のような、儚い光の塊だった。


「ああぁ。暖かい。これが満足なのか?」


 ベルゼブブの核が、静かに語りかけてきた。


「世界を喰らっても得られなかったものは、体にあるその光だ。他者から奪うのではなく、与えられたことで得られる、本当の温かさだよ」


 俺はシロの背から降り、宙に浮く核へと手を伸ばした。

 原作では、ここでベルゼブブは、勇者の剣によって無惨に切り刻まれ、絶叫の中で消滅する。俺の管理する結末は、少しだけ違うだろう。


「ベルゼブブ。次、生まれてくる時は、その小さな胃袋を、誰かと囲む食卓で満たすといい」


 俺が核に触れると、ベルゼブブは満足げな溜息を一つ漏らし、数万の光の蝶となって、夜空へと溶けていった。



 大断層を覆っていた暗雲は消え、朝焼けが世界を美しく照らしている。


「リアム様、本当に、終わりましたのね」


 アリシアが、俺の隣に立って、その光景を眩しそうに見つめた。


「完了だ。あいつの胃もたれも、これで少しはマシになっただろうよ」


「リアム! 本当に凄かったよ! バルガンさんの剣も、シロちゃんの翼も、リアムの魔法も全部が繋がって、あいつを救えた気がするんだ!」


 カインが鼻を真っ赤にしながら、満面の笑みで握手を求めてきた。俺は少し嫌な顔をしながらも、その手を軽く握り返した。


「主。周囲の魔力汚染、完全に沈静化しました。王都の食糧庫も、これで腐る心配はなくなります」


 セレーナがいつもの冷静な声で報告するが、その口元は微かに緩んでいた。


「さあ、帰るぞ。シロ・フォートレスへ。鍛冶師バルガンに約束した最高の酒を、今夜は俺たちも一緒に飲むんだ」


「ワンッ!!」


 シロの力強い遠吠えが、朝焼けの空に響き渡った。

ベルゼブブの驚異は、ひとまず去った。俺たちの管理すべき日々は、これからも続いていく。

 俺はシロの翼を撫で、仲間たちと共に、誇らしく輝く大地へと舞い降りた。

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