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第75話:伝説の鍛冶師と、不屈の鋼(後編)
赤く焼けた大地を踏みしめ、俺たちは紅蓮の核であるサラマンダーの心臓石を手に、再びバルガンの工房へと戻った。
工房の重い鉄扉を開くと、そこには溶岩の熱気にも負けない鋭い視線を向けるドワーフの姿があった。
「戻ったか。ほう、その手にあるのは」
俺は、手の中で今なおドクドクとしている、太陽の欠片のような心臓石をバルガンの前に差し出した。普通なら、手に触れた瞬間に炭化するほどの超高温だった。俺の管理者の権能によって熱量は完全に沈静化され、冷たい結晶のようにすら見える。
バルガンはそれを受け取ろうとして、一瞬指を止め、俺の顔をまじまじと見つめた。
「本当に持ってきやがった。それも、この石を素手で掴んで、完全に沈静化させてやがる。一体何者だ? 王国の貴族に、こんな真似ができる奴がいるなんて聞いたこともねぇ」
「ただの過保護な飼い主だよ。家族が腹を空かせた化け物に狙われてるんだ。それくらい、どうということはない。さあ、約束だ。こいつを使って、装備を整えてもらおうか」
バルガンは一瞬呆気に取られたように口を開けていたが、やがて腹の底から響くような笑い声を上げた。
「ハハハ! 過保護な飼い主、だと? 気に入った。公爵様、あんたのその傲慢なまでの優しさ、鋼に叩き込んでやるよ。おい、小僧! そのなまくらの聖剣を出せ! 白いのもこっちへ来い。翼に、折れぬ鱗を打ってやる!」
バルガンは金槌を肩に担ぎ直し、工房の奥へと消えていった。
それから三日三晩、工房からは地響きのような金属音が絶え間なく響き続けた。シュン、シュンと鳴り響く蒸気の音、ガツンと重厚な鋼が打たれる音。バルガンは一睡もせず、溶岩の炉と向き合っている。
その間、俺たちは工房の近く、熱風を避けるように岩陰に設営した簡易キャンプで過ごしていた。アリシアが手際よく用意したテント。そこには、王都の華やかな夜とは正反対の、静かで温かな時間を過ごした。
「ねえ、リアム様。ベルゼブブに勝ったら、この火山をもっと涼しくして、みんなでピクニックに来たいですわ」
アリシアが、パチパチと爆ぜる焚き火の火を見つめながら、ふとそんなことを口にした。
「ピクニックか。アリシア、ここは観光地じゃないんだぞ。あんな熱い場所、俺は御免だ。シロだって、毛並みが焦げると言って怒り出すだろうな」
「クゥーン」
シロは俺の膝に顔を乗せ、半分寝ぼけたような声で相槌を打つ。
「ふふ、でもリアム様のことですもの。魔法でこの山一つ分くらい、一瞬で雪原に変えてしまわれるのでしょう? わたくし、リアム様とみんなで、もっと色んな景色を見たいのです。この戦いが終わったら、美味しいサンドイッチを持って約束ですわよ?」
アリシアが、少しだけ熱を帯びた瞳で俺の手をぎゅっと握る。
「まあ、シロがどうしても行きたいと言うなら、考えてやらんでもないがな。サンドイッチには、領地で採れた新鮮なレタスと厚切りのハムを忘れるなよ」
「わぁ! 約束ですわね! 今からメニューを考えておきますわ!」
アリシアが嬉しそうに笑う。その横で、セレーナが自身の影から取り出した短刀を、鋭い手つきで研ぎながらボソリと。
「ピクニックには、美味しいお弁当が必要ですね。主、私が特製の影の燻製を作ります。魔力の残り香で熟成させる、一級品です」
「セレーナ、それは色が真っ黒で、少し怖いですわ。食べても大丈夫なものですの?」
アリシアが引き気味に尋ねる。
「外見は確かに炭のようですが。味は、主の保証付きです」
「おい、セレーナ。俺を勝手に毒見役にするな。あれは食べた後、三日間くらい舌が痺れただろうが」
「それは、主の魔力が強すぎたせいで過剰に反応しただけです。次は、もっと優しく仕上げます」
セレーナの無表情な冗談に、キャンプ地は柔らかな笑い声に包まれた。
原作では、勇者カインはここで独り、己の無力さに打ちひしがれ、孤独に耐えながら剣が仕上がるのを待つはずだった。今こうしてみんなで笑っている。この温かさ、この繋がりこそが、ベルゼブブが最も嫌う満足の種だ。きっと、絶望を喰らうあいつの胃袋を打ち破る、最強のスパイスになるはずだ。
カインも、折れた聖剣の代わりにバルガンから渡された練習用の木刀を振り抜きながら、俺たちの方を見て白く輝く歯を見せた。
「リアム、僕、負ける気がしないよ。君たちがいるなら、どんな闇だって切り裂いてみせる」
「その意気だぞ勇者なんだからな。寝坊して出発を遅らせるなよ」
夜空には、火山灰の隙間から、強い星の光が見える。
四日目の朝。東の空が白み始めた頃、工房の扉が凄まじい勢いで開かれた。中から現れたのは、汗にまみれても、瞳に確かな達成感を宿したバルガンだった。その手には、これまで俺たちが目にしてきたどんな武具とも比較にならないほどの、神々しいオーラを放つ装備が握られていた。
「待たせたな。できたぞ。俺の生涯で、最高の一振りと一対だ」
バルガンはまず、カインの前に一本の剣を差し出した。白一色だった聖剣とは異なり、刀身の芯に紅蓮の心臓石の輝きが一本の脈のように通り、周囲をミスリルが守るように覆っている。
「小僧。これが研ぎ直された、真・聖剣ガラティーンだ。ただの浄化の力じゃねぇ。ベルゼブブの再生能力を、一太刀ごとに腐敗へと反転させる祝福を叩き込んでおいた。カインの意志が折れねぇ限り、この剣が折れることは万に一つもねぇ」
カインがおそるおそるその柄を握る。その瞬間、剣から溢れ出した光がカインの全身を包み込んだ。まさに勇者っぽくなったな。
「すごい。剣が、僕の鼓動に合わせているみたいだ。重さを感じないのに、力強さが伝わってくる。ありがとう、バルガンさん」
「礼なら公爵様に言いな。それから、白いの、こっちに」
バルガンがシロを呼ぶ。シロがトコトコと近づくと、彼は重厚な秘銀の翼の甲でミスリル製を取り出した。
「公爵様。これがあんたの神獣用の装備ミスリルアーマーだ。心臓石を練り込み、秘銀ミスリルのを極薄に引き延ばして鱗状に重ねた。ベルゼブブのどんな酸も、どんな吸引力も、この翼を折ることはできねえ。空を駆ける神の盾だ」
「ワンッ!」
シロが新しい防具を装着し、誇らしげに翼を全開にする。うん、似合っているな。神獣らしさがアップしたな。朝日に照らされたシロの翼は、秘銀ミスリルの純白と心臓石の黄金色が混ざり合い、まるで世界を祝福する夜明けの空のように美しく輝いた。
「バルガン、恩にきる。これほどまでの出来、並の報酬では足りないな。約束通り、俺の領地から出る最高級の酒、そして王国内でのドワーフ自治区を作る権利を公的に保障しよう。どうだ?」
「ハッ! 相変わらず抜け目のねぇ公爵様だ。自治区の話、悪くねぇ。いいだろう。ベルゼブブの首を獲って帰ってきたら、その酒を浴びるほど飲ませてもらうぜ。約束を違えるなよ?」
「ああ。悪役は、契約だけは守るのが主義だ」
俺たちは、伝説の鍛冶師の野太い笑い声に見送られ、再び決戦の地へと向けて馬車を走らせた。
決戦へのカウントダウンはもう始まっているからな。馬車の中、装備を整えた仲間たちの顔つきは、数日前とは劇的に変わっていた。
恐怖が消えたわけではない。恐怖を上回る意志が、一人一人の瞳に宿っている。カインは新しくなった聖剣を何度も抜き差ししてその感触を確かめ、アリシアは杖を握る手に力を込め、セレーナは影の中に溶け込む自らの魔力を最終調整している。
装備は整った。仲間の心も、これ以上ないほど研ぎ澄まされている。暴食のベルゼブブ討伐を成し遂げよう。待っていろ、ベルゼブブ。世界を喰らい、絆を笑う卑しい口を、この不屈の鋼で縫い合わせてやる。
俺はシロの頭を撫でた。シロの翼から倒せる勇気をもらう。赤く燃える火山の空を背に、俺たちは迷うことなく、運命の断層へと向けて突き進む。
「よし。全速力で飛ばせ。晩餐会の主賓が、待ちくたびれているだろうからな」
馬車は、地響きを立てて荒野を駆けていった。決戦の地、大断層へと舞い戻った。




