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第74話 伝説の鍛冶師と、不屈の鋼(前編)
大断層グラトニーでの一時撤退。それは俺にとって、原作知識という予習があったにもかかわらず喫してしまった、苦い誤算だった。王都へ戻る馬車の中、沈黙が支配する。アリシアは不安げに俺の袖を掴み、セレーナは自身の短刀を見つめて悔しげに唇を噛んでいた。カインにいたっては、聖剣を抱えたまま原作にはない意気消沈している。
「リアム。僕の聖剣、ベルゼブブの皮に傷一つつけられなかった。勇者の剣なのに、あいつに不味いって言われてるみたいでショックを受けた」
「気にするな。今の奴は地脈そのものと癒着しかけている。普通の聖剣で太刀打ちできないのは当然だ」
俺はシロのふかふかの背中を撫でながら、脳内のデータベースを高速で検索する。
原作ではカインが一人で挫折を味わい、山に籠もるイベントだ。それでは遅すぎる。ベルゼブブが完全に目覚めるまで、残された時間は少ない。ならば、俺がその時計を無理やり進めるまでだな。
「行き先を変える。王都ではなく、北西の絶口火山へ向かうぞ」
「絶口火山? あそこは一年中火を噴いている地獄のような場所ですわ!」
アリシアが驚いて声を上げる。
「そこには、世界で唯一、ベルゼブブの事象捕食を無効化する鋼を打てる男がいる。伝説のドワーフ鍛冶師、バルガンだ」
灼熱の地へ行くと言うとアリシアは驚いていた。絶口火山へと近づくにつれ、空気は重く、熱く変化していった。空は火山灰で灰色に濁り、時どき地響きとともに溶岩が遠くで噴き上がるのが見える。ゲームよりも迫力があるな。
「暑いですわ。闇の結界で熱を遮断していますが、魔力の消費が激しいですわね」
アリシアが額の汗を拭う。彼女の魔力運用は以前より格段に上達していても、この自然の猛威は異常だ。
「主、影が、揺れています。熱気で、かげろうが立ち、空間の座標が安定しません。伏兵がいれば、察知が遅れる可能性があります」
セレーナが短刀を抜き、警戒を強める。
「シロ、冷たい風を周囲に送ってくれ。みんな、この熱は単なる自然現象じゃない。バルガンの工房から漏れ出す執念の熱だ。気を引き締めて行こう」
「ワンッ!」
シロが吠えると、涼やかな黄金の風が俺たちを包み込んだ。その風に導かれるようにして、俺たちは真っ黒な岩肌にへばりつくように建つ、巨大な鉄の建造物へ。バルガンの工房へと辿り着いた。
工房の扉は、それ自体が巨大な鋼鉄の塊だった。俺がその扉を三回叩くと、中から地響きのような声が響いた。
「帰れ! 命が惜しければ、溶岩に飛び込む前に王都へ引き返せ!」
「バルガンだな。俺はリアム・ド・グラナードだ。あなたに暴食を穿つ牙を打たせに来た」
扉がギギギと音を立てて開いた。中から現れたのは、自分の身長ほどもある巨大な金槌を担いだ、筋骨隆々のドワーフだった。全身に火傷の跡があり、その瞳は溶岩よりも熱く燃えている。
「グラナード公爵。ふん、王国の甘ちゃん貴族が何の用だ。そっちの勇者小僧も、腰のなまくらの聖剣が泣いてるぜ」
「なまくら!? これは聖なる剣だよ!」
カインが食ってかかるが、バルガンは鼻で笑って聖剣の鞘を指差した。
「ベルゼブブの粘液を浴びて、神聖魔力が腐食し始めてやがる。そんなもん、次に振ればポッキリ折れるのがオチだ。いいか、俺の鋼は魂を売らねぇ奴には打たねぇ。その覚悟があるのか?」
「覚悟なら、ここに来るまでに捨ててきた。あるのは、大罪のベルゼブブを倒して、領地で旨い肉を食うという欲望だけだな」
俺が言い放つと、バルガンは一瞬だけ呆気に取られたような顔をし、やがて豪快に笑い出した。
「ハハハ! 欲望か! 面白い、公爵様、あんたはドワーフの気質をよく分かってやがる! 実力が伴わねぇ欲望はただの寝言だぞ」
バルガンは奥にある巨大な溶岩の炉を指差した。
「今から、俺の炉に火を焚べる。普通の炭じゃ足りねぇ。火口の最深部に棲まう紅蓮のサラマンダーの核を持ってこい。それができれば、あんたらのために最高の一振りを打ってやる」
「主、やるのですか?」
「当然やる。火口まで行こう」
「主のためなら、どこにでも行きます」
「大丈夫だよセレーナ。勇者の僕がいるから」
俺たちはバルガンの言葉に従い、さらに過酷な火口内部へと足を踏み入れた。
足元を流れる溶岩の川。一歩間違えれば、神獣であるシロですらタダでは済まない熱地獄だった。
「リアム様、あそこ! 溶岩の中から、何か巨大なものが!」
アリシアが叫ぶ。溶岩が爆発するように跳ね上がり、炎に包まれる巨大なトカゲ。サラマンダーが姿を現した。その全身は冷え固まった溶岩の鎧で覆われ、瞳には理性を失った破壊の意志だけが宿っている。サラマンダーは危険な魔物として原作でも有名であった。
「こいつが、バルガンの言っていた獲物か。カイン、先に行け! 聖剣の腐食を気にするな。折れる前に、その魂をぶつけろ!」
「分かった! やってやるよ! 光輝の一閃!」
カインに行かせてみる。勇者の経験値を少しでも積めるチャンスだろうからな。まあ、死にかかったら俺が助けるからな。カインが跳躍し、サラマンダーの頭部へ斬りかかる。バルガンの予言通り、聖剣の輝きは鈍く、硬い岩の皮膚に弾かれて終わる。
「ぐわぁっ!? 重いなんて硬さだ!」
「主、援護します!
影縫いの氷鎖!」
セレーナが熱気の中でも消えない絶対零度の影を伸ばし、サラマンダーの足を拘束しようとする。サラマンダーが反抗すると、その熱量によって影が次々と蒸発していってしまう。
「無駄だったか。こいつは火山のエネルギーそのものを背負っている。シロ、翼を広げてくれ。管理者の権能:概念冷却を展開する」
俺はシロの背に立ち、周囲の熱という概念そのものを、一時的に魔力で凍結させた。
「今だ、アリシア! 闇の流れで、奴の鎧を砕くんだ」
「はい、リアム様! 常闇の崩落!」
アリシアの放った闇の魔法が、冷却されたサラマンダーの皮膚に直撃する。急激な温度変化に耐えきれず、サラマンダーの頑強な鎧がガラスのように粉々に砕け散った。
「ア、アァァァ!!」
サラマンダーが苦悶の声を上げる。むき出しになった心臓部には、太陽のように輝く紅蓮の核が露出していた。
「よし、カイン! トドメだ!」
弱ったサラマンダーの今ならカインでも戦えるだろうな。
「いくよ! 折れてもいい、僕の全部をこの一撃に!!」
カインが聖剣を両手で握り締め、むき出しの核へと肉薄する。
その瞬間、サラマンダーが最期の反撃として、周囲の溶岩を全方位に爆発させた。
「うううっ! リアム様!!」
アリシアの悲鳴が響き、俺たちの視界は真っ赤な炎に包まれた。
「ふぅ、危なかったな」
煙が晴れた中心で、俺はシロの翼でみんなを覆い隠していた。バルガンから借りていた臨時の防熱盾はドロドロに溶けていたが、その足元には、カインが執念で切り落とした紅蓮の核が、静かに光を放っていた。
「やった、やったよ、リアム。聖剣は、ボロボロだけど」
カインが手にする剣は、もはや刃の形を留めていない。顔には今までにないほどの達成感が宿っている。
「よくやった、カイン。これでお膳立ては整った」
俺は紅く輝く核を拾い上げ、工房の方角を見据えた。
原作の本来ならカインの挫折を描く回だが、どうやら不屈の物語に書き換わったようだな。さあ、バルガン。最高の鋼を打ってもらおうか。
俺たちは傷だらけになりながらも、確かな勝利の証を手に、再びバルガンの工房へと歩き出した。真の最強装備を作ってもらおう。
「見てろよ、ベルゼブブ。この熱よりも熱い俺たちの絆が冷え切った胃袋を焼き尽くしてやるからな」




